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父の一周忌。青木の父、青木昭三の素顔

2010-07-17 07:10:59 | その他
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おはようございます。研修講師の青木公司です。

本日は明日の本気道場の事例問題作成と添削を行ないつつ、父の一周忌があります。

この父の一周忌のため、福岡、大阪、東京で行なわれる「民間が行なう起業家セミナー」講師を依頼されならがお断りしました。

しかし、この日は喪主を務めた青木はそちらを優先しないといけません。

青木の父は、無骨で真面目で、仕事一筋な人でした。

お酒も飲まず、必死に働いていました。

調子よく立ち回ることはできず、そのため、家族にも誤解されることがある父でした。

非常に厳しく、時には鉄拳も振るうため、子供の頃は青木も怖い父という印象しかありませんでした。

中学卒業後、市役所や蕎麦屋などで働き、自分の兄弟を育てるために働き、19歳で給料がいいからという理由で航空自衛隊に入隊します。

訓練中に、たまたま事務官が倒れたとのことで、市役所勤めの事務能力を買われて、急遽、人事の仕事に抜擢されます。

以後、自衛隊の人事畑一筋で定年まで本当にがんばりました。

自衛隊の大きな2つの事件(これはここでは書けません)の担当を行い、大変な事件を乗り切ったそうです。

家族の事情で、中学まで成績優秀だった父が中卒で働き、夜間高校は仕事の都合であと半年のところで退学させられた父でしたが、2佐まで昇進(普通、高卒以下で2佐までいくことはそうはないそうです)。

自衛隊を54歳で定年退官した後も、三井住友クレジットで64歳まで働きました。

そんな真面目な父は昨年、4月に国から勲章をいただく名誉をいただきました。

本当に喜んでおり、防衛大臣から叙勲式で勲章をもらい、皇居に拝謁にいくのを楽しみにしていました。

その直後の5月頭、敗血症になり3ヶ月苦しみ、2009年7月17日。亡くなりました。

青木が子供時代、無骨で非常に厳しい父とは折り合いが悪かったのですが、大学生の時、ロス・アンジェルスにホームステイにいくために、一年アルバイトしてお金をためてお金を払うときになって、父が全額お金を出してくれました。
「お前が必死にためたその金は、今度、お前が本当に必要なときに使うため、とっとけ。」

父の優しさでした。

就職活動の頃からはいつも父は青木の味方でした。

それまで非常に厳しかった父ですが

就職先を決定するとき、そして独立するとき。

いつも青木が決定する方向性を無条件に承認してくれました。

青木が会社を辞めて、独立することを告げるとこういってくれました。

「お前は、自分の道を間違えない男だ。どんな道を選んでも、うまくやっている男だ。俺はお前を信頼している。やりたいようにやれ。ただ、健康だけには気をつけろ。」

人事畑一筋。何万人もの自衛隊員の名前と特徴が言えるほどで、人の本質を見る目が評判だった父ですが、きっと子供を思うよく目でしょう。

しかしその力強い全面的な承認は僕にとって、強い力となりました。

一年前、父が71歳で亡くなりました。

まだまだ教えて欲しいことはたくさんありましたが、もうかないません。

しかし、父の遺伝子は僕の中で強く流れています。

「青木公司」という僕の名前。

父が「公(おおやけ)を司(つかさ)どる立派な漢(おとこ)になるように」

という思いをこめて付けてくれたそうです。今はまだ名前負けしています。

お父さん。見ててください。

今は道半ばですが、僕も父さんの子供として、その名を汚さないよう全力で僕自身の高みを目指すから!

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