その答えは、ニックとともに、遠くへ行ってしまった
「ニックをきちんと描いてほしい」…「ジャージー・ボーイズ」の映画の話が出たときから、ずっと願っていたことでした。ニックこそがこの作品のドラマとしての要素の重要な部分を占めるキャラクターだと感じていたからです。
まず、トミー役にTVドラマで活躍しているヴィンセント・ピアッツァが起用されまして、その強烈な印象から「映画は、やはり、トミーとフランキーの相克が中心に描かれるのかな」と思っていたところに、ニック役は北米ツアーで同役をしていたマイケル・ロメンダが選ばれた、という情報が来ました。マイケル君はとにかく見栄えがいい。ニック役というのは、どことなく謎めいていて、何を考えているかわからない。女性好きというのもニックの一つの側面ではありますが、他のニックたちは、マイケルのようにハンサムなプレイ・ボーイというよりは、いやらしいオッサンな雰囲気。でも、スクリーン映えもいいマイケル・ロメンダを見ていると、女性の中には「こんな人になら、一度ぐらいは口説かれてもいいかな~」ぐらいに感じる人もいるかもしれませんね(?)舞台のニックたちは「ちょっと勘弁して」な雰囲気の人が多いですよ(笑)…
まぁ、とにかく…見るからに好感度が高そうなマイケル・ロメンダを起用したことで、この役本来のダークでアクの強い部分は随分薄められたような気がします。それでも、この4人の中で一番イケメンな「4人の中のリンゴ」に素直に同情した人もいたことでしょう
突然ここで、私のお気に入りのニック役を紹介させてもらいます~シカゴ・プロダクションにいたマイケル・インガーソルです。
彼のニックは「4人の中のリンゴ」云々と口先では語っていても、おそらく、これは本心ではなさそう…表面上は卑屈を装っていても、実はたいそうな自信家でもあるのが見え隠れ…心の底にある感情のモザイクがその口調や表情から浮き出てくるような、実に凄みのあるニックでした。
とにかく、この役はもっと「一筋縄ではいかない」キャラクターのはずなのです。
映画に話を戻しますが…公開前のトレーラーを見て「あっ!」と思ったのは…例の、フランキーとボブの「ジャージー契約」を陰で聞くのがトミーになっていたことです。ここは舞台ではニック。ここは非常に重要なところですね。私としては、「君の瞳に恋してる」にまつわる時系列を変えたことよりも、こちらの方が重大に感じます。
映画では、あくまでもトミーとボブ&フランキーの「力の引き合い」を中心に据えて話を進めていきたかったのでしょうか。
映画でも、ニックはフランキーに歌の手ほどきをし、コーラスでは低音を響かせ、その才能を見せますが、舞台では、ニックは「即興でハーモニーを作れる天才」だったことがトミーから語られ、「独特のスタイルを貫く人だった」とボブから語られます。フランキーは「彼は本物だった…クインシー・ジョーンズやドン・コスタのようになれたかもしれなかったのに」と語ります。考えてみれば、ニックだけが他の3人からその人物像が語られるキャラクターであるのです。
冒頭で、「地元を抜け出す道は3つしかない」とトミーが話しますが、結局、トミーはどこへ行っても生まれ育った世界の闇の部分をその属性として持ち続けます。「ラスベガスで12秒」…あそこまで行くと、観ているものはただ笑うだけですよね。一方のボブは「地元なんて大した意味は持たない」と言ってのけます。彼のように育ちも良く才能のある人間は「抜け出す」も何もない…最初から柵に縛られずに生きることが許される位置にいました。
結局「抜け出す」ことが大きな意味を持ったのはフランキーとニックだったのではないでしょうか。その点においては2人は「同じ」でしたが、類まれな声の持ち主だったフランキーのほうが一歩先に出ます…それでも、トミーとニックが抜けた後、フランキーは「トミーは所詮ギャラをピンハネするような奴だった…(中略)…それよりも心配なのはニックだ」と語ります。そして、ニック抜きで「契約」を結んだことに後ろめたさを抱き続けます。
考えてみれば、トミーというのは元々「ミュージシャンとして努力をしない」人でした。トミーであれば、ボブとフランキーが勝手に契約を結ぶ場面を見ても、「そのうちにボブのほうが力を持つようになるのではないか」というような不快感は覚えても、それ以上の感情はなかったでしょう。むしろ、才能にも恵まれ「自分のグループを作りたい」という希望を持っていたニックこそ、ミュージシャンとして、一人の人間として、深い絶望感を味わったはずです。舞台では、それはフランキーも共有していくことになります。
フランキーが借金返済のためにツアーに忙しい生活を送る場面…安ホテルのダイナーでゴキブリに出くわすシーンがあります。ここは、舞台でのフランキーの台詞を映像化したもの。「地図の上を這い回るゴキブリのようにあちこちへ行った」という。ここではまたこういうフランキーの台詞もあります。「ニックが『ホテルの小さい石鹸が悲しい』『家が一番いい』と語った意味がわかった」…私としては、これも生かしてほしかった。私が監督だったら(?)ゴキブリよりもこの台詞を映像化するでしょう…。言葉を弄ぶニックではありましたが、それら一つ一つの中に真実が隠されていたことをフランキーが実感していくのでした。
さて、殿堂入りの日、トミーはホテルでパーティーを開くと言います。何故か、ニックとも仲直りしていて(ニックはマイ・タオルを持ってきた模様)、昔のように派手に騒ぐらしい…。しかし、フランキーはそのパーティーの部屋のドアの前までは行ったのだけれど、中に入れませんでした。
フランキーは語ります…「何故かわからないけど…おそらくニックは『フランキー、何を気取ってんだ?』と言いたげに僕を見ていただろう」
フランキーとしては、もうトミーの影響力が及ぶ世界に戻りたくはなかったのでしょう。しかし同時に、閉ざされたドアの向こうにいるニックの眼差しを感じないではいられませんでした。「フランキー、お前だってこっち側の人間だろう?」これは…フランキー自身の内にある一つの問いかけが、ニックの眼差しという形をとったのかも知れません。
「ニックはどう思っていたのか、それはもう知る由もない。2000年のクリスマスイブの日に、神は彼に永遠の休息を与えたもうた。彼はあくまでもスタイルこだわったらしい、最後はカトリックとして」
舞台では、4人の中で唯一ニックが故人となっていることが告げられます。映画はこの作品のドキュメンタリー的な部分をわりと忠実にスクリーンに持ってきているとはいえ、このような情報を伝えるのは合わないでしょうね。映画では特にここに触れなかったというのは、それで良かったと思います。
でも、ここはこの作品の中で最も重要な台詞でしょう。
「ニックはどう思っていたのか、それはもう知る由もない」フランキーのこの言葉で、この問いは観ている側の私たちに渡されてしまうのです。ここはいつも胸をつかれます。フランキーは「電池で動く人形のように、ただただ歌い続ける」と言います。じゃあ、私たちはどうするのだろう?…なんて思ってしまう。
人は光ある輝かしい世界に向かおうとします。順調に歩みを進める者もいれば、途中で倒れる者もいる。それを分けるものは果たして何なのか?才能?努力?運?…それは誰にも分からないのかも知れないけれど、一つ言えるのは…輝かしい成功を勝ち取った者であっても、常に「本当にこれで良かったのか?」と自問し、その途上で置き去りにしてきたものへの思いが消えることはないのです。そして、それを振り払うように、またまた人は進み続けるのです。
舞台の「ジャージー・ボーイズ」はここが非常に巧みに描かれている。私はテネシー・ウィリアムズの「ガラスの動物園」とか、あの辺りのテーマと共通するものを感じないではいられません。「ガラスの動物園」の主人公のトムは、絶望的な環境から抜け出すも、どこへ行っても置き去りにしてきた心を病んだ姉の姿がちらつきました。
「ジャージー・ボーイズ」では、光の象徴:ボブ、闇の象徴:トミー、光を目指すフランキー、途上で挫折するニック。4つのキャラクターが絶妙のバランスで描かれていて、ドラマとしての形態も非常に整っています。でも、映画では、いろいろな制約もあるとはいえ、ここが崩れたのは非常に残念です。
「ジャージー・ボーイズ」の映画版は、ライブ・シーンなどが少なくなっているのは監督が「ドラマを重視」したから…だと、例によって舞台も観てない人が憶測で言ってますが(!)舞台版のほうがずっとドラマとして整っていると思うんですがね(笑)
ま、この「シリーズ」はこれで終了なので、最後に吼えてますが(汗)
本当に「ドラマを重視」するのであれば、パーティー会場に来るも、ドアを開けて中に入ることができないフランキーの逡巡とニックの表情をラストシーンにしてほしかった。私は「ジャージー・ボーイズ」の話がドラマとして映画化されるとしたら、で、私が監督するとしたら(笑)絶対にそうする~と長年妄想していましたからね。
まぁそれでも、日本の皆さんにこれだけ支持されたというのは、素晴らしい音楽とともに、繊細で深い人間ドラマに共感された人が多かったからだろうと思っています。マイケル・ロメンダのニックが最も印象に残ったという方も多いでしょう。とにかく、舞台も素晴らしいので、ぜひぜひ観てください。
さて、一昨年の6月、ニュー・ジャージーを案内してもらったとき、私はフランシーンさんとニック氏のお墓にも行ってきました。フランシーンさんのお墓はフランキーの両親の墓と並んでいて、映画に出てくる墓地とよく似た場所にありました。ニック・マッシ氏が眠っている墓地は、プレートが埋め込まれているタイプでした。(こちらのほうが管理しやすいので、近年このタイプの墓地も増えているそうです)で、案内してくださったオードリーさんがニック氏の墓の場所を忘れられて(?)ふたりで一緒に探した…という(笑)伸びかけの夏草をかき分けながら、その名が刻まれているプレートを探したのもいい思い出です。
緑の風が吹き抜ける気持ちのいい場所で、「4人の中のリンゴ」のモデルとなったニック・マッシ氏は永遠の休息を与えられていました。
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