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ターペー通りの骨董店:謎のラオス陶磁

2016-05-03 09:04:45 | 陶磁器
<ターペー通りの骨董店シリーズ・#1>

ターペー・ゲートからピン川方向に100-150m程の処に、骨董店があったが6-7年前に閉店した。その骨董店で入手したのが、写真の花瓶である。

老主人はタイ語のみで、当地に赴任したて(20年前)の当該ブロガーには、さっぱり理解できなかったが、幸いにも主人の娘さんが英語を話した。
聞くと具体的な焼成地は分からないが、北タイ産であると云う。当時3000B程だったので、迷わず購入した。老主人は、何を根拠に北タイ産と云われたのか、根拠を聞かなかった。鉛緑釉はカロンの一つの特徴であるが、当該花瓶の掛け流しの緑釉と比較すると、どことなく味わいが異なる。合わせて浅薄な知識ながら、カロンに掛け流しの装飾はなさそうなので、確かにカロンではなさそうだ。それではパーンであろうか?・・・でも、なさそうだ。
月日は経過した。上記写真を見て、富山・佐藤記念美術館の学芸員氏から、ラオスのジャール平原では・・・との指摘を受けた。調べると掛け流しの緑彩陶磁が特色で、時代は若干下り16世紀頃とのことである。
その後、このジャール平原の緑彩陶磁について調べるが謎が多すぎて、真実に辿り着けないでいる。どうも、窯址さえ発見されていないようである。
写真はハノイ国立博物館展示のキンマ用のライム・ポット(石灰壺:15-17世紀)で、緑釉が掛け流しされている。上のジャール平原産と思われる緑釉掛け流し壺は、この安南陶磁の影響が考えられる。
ジャール平原は、ラオス・シェンクワーン県に在る。県都ポーンサワンから7号線を西に20kmのムアン・ソイのプー・ケンという山の斜面に、例の謎の石壺が在る。その一帯のどこかに窯が存在していたであろうと云われている。
黎朝大越国5代・黎聖宗(在位:1460-1497)は、洪徳10年(1479)8月ランサーン王国へ親征し、5方面から進軍した。王都ルアンプラバーンを破壊、ポーンサワン地域に鎮寧府を設置し、7県を置いて統治したという。ルアンプラバーンは平地がないが、ポーンサワンは東西25km程の盆地で、ベトナムにも近く鎮寧府を置くには適していたであろう。
16世紀と云われる先の花瓶、15世紀末大越国による鎮寧府の設置。これらを勘案すると、鎮寧府設置後ベトナム人の関与により、ジャール平原の辺りに窯が設置され、ベトナム風の上記花瓶等が焼成されたものと思われる。
このジャール平原産陶磁については謎が多い。若き研究者により謎の解明が進むことを期待したい。








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