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北タイ陶磁の源流考・#7<インドシナの治乱攻防と窯業・#3>

2017-01-12 07:45:14 | 北タイ陶磁
<続き>

3.13世紀後半(ランナー王国成立前夜)

「大越国・陳朝」1225年―1400年・・・キン(ベト)族
前の李朝末期、乂安(ゲアン)、清化(タインホア)、寧平(ニンビン)で民衆の反乱が起こり、各地の豪族の中にも政府に反逆する者が現れる。1208年に乂安の反乱を鎮圧するために招集した軍隊が昇龍で反乱を起こすと、皇帝・高宗ら李朝の王族は昇龍から放逐され、李朝は反乱の鎮圧に外戚である陳氏の力を借りることになる。力を得た陳氏一族は曲折の後1225年に、李氏一族を一掃し建国した。この頃、現・ハイズォン省チーリン県フンダオ社のTran Dien窯やVan Yen Xa窯が操業を開始し、施釉陶磁を焼成した。

「チャンパ王国・占城」
占城の前期については前述。
ビジャヤ王朝は13世紀には元のクビライの侵攻を受けた。元寇撃退の過程で陳興道ら大越陳朝の軍勢と連携(白藤江の戦い)したチャンパ王ジャヤ・シンハヴァルマン3世は、和平後に陳仁宗の皇女・玄珍公主を娶り、大越・チャンパの蜜月時代を醸成して、域内平和に貢献した。

「ペグー王国(ハンタワディー)」・・・モン族
13世紀後半より、ペグー(バゴー)を首都としてエーヤワディー(イラワジ)川流域の下ビルマを支配した王朝。建国者のワーレルー王は、シャン族であるが、事実上モン族国家である。

「アンコール(クメール)王国」・・・クメール族
前回記述。半世紀ほど早いがジャーバルマン7世(在位:1181-1218年)の時に最大版図を得た。タイ東北部、ラオス、ベトナムのそれぞれの一部も領有し、ミャンマーのマルタバン湾岸にも達した。

「パガン王国」・・・ビルマ族
前回記述。13世紀後半、ペグー王国(ハンタワディー)の台頭とともに衰亡にむかう。

「スコータイ王国」・・・タイ族
タイ族最初の王朝。雲南から南下したタイ族や北ベトナム付近から西南下したタイ族は、13世紀頃まではアンコール王国の支配下にあった。ジャヤーバルマン7世が崩御すると、タイ族の反乱がおこる。2人のタイ族有力土豪が協力して、クメール勢力を追放し、スコータイに建国した。
領域は、タイ北部の南半分を中心としスコータイ、シーサッチャナーライ、ウタラディット、カーンペーンペッ(ト)、ピサヌローク、ナコーンサワン、チャイナートなどが主要なムアンで、中部のスパンブリー等々や南部のナコンシータマラート、さらにはミャンマーのマルタバン湾岸、ラオス北部のルアンプラバーンにまで達していた。
従って下ビルマには、スコータイ朝のタイ族文化の何がしかのものが、及んだと考えられる。
シーサッチャナーライの最下層から出土するモン陶は、13世紀後半からと云われている。シーサッチャナーライ陶磁に先行するものである。

「ハリプンチャイ王国」・・・モン族
前回記述。ランナー王国を建国したメンライ王により、1281年に滅亡した。

「ラヴォー王国」・・・モン族
前回記述。




                                  <続く>






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