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九州国博『~仏の国の輝き~タイ特別展』:その2

2017-05-24 09:39:15 | 博物館・福岡県
<続き>
 
〇第1章・タイ前夜 古代の仏教世界・#1
先ず出品目録から掲載する。第1章としての出品点数は50点であるが、今回の紹介は24点目の『クベーラ座像』までとしたい。尚記事を記すにあたりWikipediaと展覧会図録記載記事を参考にした。
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(青〇はパンフレット掲載の写真、赤〇は当該ブロガーが各地の博物館で撮影した写真を示す)
 
第1章・タイ前夜とは、13世紀にタイ族が現タイ王国に内陸部から南下・西南下する時代までの遺物・遺品展示である。その時代までのタイは先住民の王国であった。その主役はモン(MON)と呼ばれる民族である。
モンの出自は不明な部分が多々あるが、現インド東部とも云われている。伝説によると紀元前300年頃、現スパンブリー周辺にスワンナプーム(黄金の国)王国を建国し、前200年頃には、アショーカ王の遣わした伝道者により上座部仏教を信仰したと云われている。4世紀に至るとプラパトム・チェディーが建設された。
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(出典:グーグルアース)
プラパトム・チェディーの原形は、3世紀頃アショーカ王の命により建立されたと云われているが、当時は40mの高さであったとの伝承である。その後改修が繰り返され、現在は120.45mでラーマ4世の命で工事に着手し、ラーマ5世の時代に完成したものである。
その当時、モン族の東進とともに伝来した仏像が、出品番号2番の仏陀立像でインド・グプタ時代のものである。モン族が大切に運び込んだであろうとの空想を誘ってくれる。しかしこの時代は伝承の世界でハッキリしない。
スワンナプームと呼ぶ伝承の時代を過ぎると、モン族が建国したドヴァ―ラヴァティーの時代(6世紀ー11世紀)となる。伝説と云われていたドヴァーラバティー王国であるが、出品番号5-10までの銀貨が、その実在を証明した。その銀貨には『大いなる徳の持ち主であるドヴァーラバティーの王』と、記されていたとのことである。このモン族の硬貨は旭日文が表現されている特徴がある。
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(バンコク国博にて)
噺が横に反れて反れて恐縮である。タイで時折旭日旗をみる、日本大好きタイ人が掲げているのだが、その下地はモン族の旭日銀貨と思えなくもない。
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これはピサヌロークからスコータイへ移動途中、交差点で信号待ちをした際に見かけた日章旗と旭日旗である。さらにチェンマイでは旭日旗をデザインしたツクツクまである。
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噺が反れて恐縮である。この旭日銀貨について思うのは、モン族はヒンズー教徒が太陽崇拝するのと同様に、太陽崇拝の徒であったことによる。
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ドヴァーラバティーの仏教美術として独自の展開を示したのが『法輪』である。パンフレットを写したものであるが、その13は7世紀スパンブリー県ウートン遺跡から出土したものである。
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ドヴァーラバティーのモン遺跡は、楕円形の環濠集落を特徴としている。上の法輪はここから出土した。下の法輪はバンコク国博でみた法輪で、7世紀・ナコーンパトムから出土したものである。
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パンフレットの出品番号17番は仏陀説法図頂板・7-8世紀である。他にも多くの仏教関連遺物が展示されていた。これらの遺物はモン族が信仰した上座部仏教の遺物である。モンは仏教以外にもヒンズー教を信仰したであろう遺物・遺品が残されている。その一つが番号24の『クベーラ座像』である。図録から転載すればよいであろうが、残念ながら写真なしである。現品はプラパトム・チェディー国立博物館で目にすることができる。これは仏塔の基壇を装飾した磚である。
クベーラとは財神で日本では、多聞天・毘沙門天と称せられる。モンのドヴァーラバティーでは、仏教とともにヒンズー教も信仰されたのである。これらのことどもがモン族陶工に伝承されないはずはなく、装飾文様の背景をなしていると考えられる。
 
                                 <続く>
 
 

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