ガラスの脚を持つ天才は何度でもよみがえった。ファンの夢を乗せて飛ぶ不死鳥のように。
名馬列伝第三回目はトウカイテイオー。
ルドルフの初年度産駒。グッドルッキングホースで、天才という言葉がよく似合う馬だったと思う。
テイオーは12月デビューというクラシックを狙うにしては遅いデビューから4連勝でG1皐月賞へ向かった。
トウカイテイオーという馬はどんなときも颯爽としていた。そして平然とゴール前を駆けていった。誰よりも速く。皐月賞では一番人気に支持されたものの、これまで重賞経験がない、さらに18頭立ての大外枠など、不安はあった。彼に試練が課せられたように見えた。しかし、テイオーはいつものように平然と勝って見せた。何事もなかったかのようにウイナーズサークルにたっていた。それが当たり前のように。
そしてダービー。
競馬関係者にとって最高の舞台。それは馬にとっても同じ。ここでテイオーはまた大外枠を引いた。それでも単勝は2倍を切っていた。そして2分半の激闘の後、テイオーは颯爽と引き返してきた。もちろんウイナーズサークルへ。このレースを激闘と呼ぶのは間違いなのかもしれない。少なくともテイオーには激闘を戦い抜いた素振りはなかった。当たり前のように、走って、そして先頭でゴール板を駆け抜けた。
三冠馬であり、テイオーと同じように無敗でクラシックロードをかけていった父ルドルフのように、いやそれ以上の信頼と期待を残して、夢を置き土産に府中を去っていったテイオー。そこには、かつて日本競馬史上一度もない親子三冠達成の偉業がくっきりと見え始めていた。
三日後。テイオー骨折の一報が入ってきた。全治6ヶ月。だれもが夢描いた親子三冠は夢のまま宙ぶらりんになってしまった。
テイオーの走法はほかの馬より足を高く上げていたといわれている。その脚の使い方がテイオーの強さの所以であったという。しかし、この走法は諸刃の剣であった。速く走れる分、脚への負担は大きかったのである。
そして、月日は流れ、テイオーが戻ってきたのは桜の花びら舞う阪神競馬場。ダービーから実に10ヶ月。ターフにもどってきたテイオーはやっぱり颯爽としていた。普通、10ヶ月の休み明けでは勝つのは難しい。しかし、天才に常識は通用しなかった。休養前と同じように、当たり前のようにゴール前を先頭で通過した。岡部騎手が上機嫌で「ルドルフの日経賞よりも楽だったね」とコメントしたのが印象深い。
そして、一番人気で迎えた天皇賞。颯爽と淀のターフに現れたテイオーは、3200Mの長丁場をやっぱり平然とゴール板を駆け抜けた。生涯初めて、ほかの馬の後ろで。二度目の骨折。このころから、颯爽と走っていたはずの天才に悲壮感が漂い始めた。
半年後、骨折あけの天皇賞ではかかったこともあり7着と惨敗。怪我で泣かされる天才という、月並みなフレーズがテイオーにはつけられつつあった。
5,7着と不敗神話の崩壊した天才は次走JCでは久々に一番人気を奪われ5番人気に甘んじていた。しかし先団にとりついたテイオーはゴール前ではナチュラリズムとの叩き合いを制し、またもウイナーズサークルに戻ってきた。一年前のダービーと同じように。それは、テイオーにとって当たり前で驚いていたのは人間だけなのかもしれない。「普通に走ればこのくらいは」そんなことテイオーは自らの走りで見せた。続く有馬記念で1番人気に推されたテイオーは11着に惨敗。
しかも剥離骨折を起こしていた。3度目の骨折。引退してもおかしくない。
しかし、三度テイオーはターフに戻ってきた。不死鳥の如く。そしてファンの声に呼応するかのように。そう、戻ってきたのは冬枯れの中山競馬場。去年惨敗したアノ有馬記念。丸一年の休養でグランプリに出てきたテイオーは当然一番人気には支持されなかった。一番人気は菊花賞で5馬身差の圧勝を演じたビワハヤヒデ。
レースはメジロパーマーの逃げで始まった。ペースは平均。直線1番人気のビワがあっさり抜け出した。大勢決したかのように見えたその瞬間。一頭だけ、ビワに襲いかかってくる馬がいた。テイオーだ。怒号と歓声、そして悲鳴と歓喜に包まれたゴール前。テイオーはビワの前にいた。生涯で最高の末脚を繰り出して、ビワを差しきった。鞍上田原も「最後、交わしたのは精神力、本当にすばらしい馬です、馬をほめてやってください」と涙ながらに語った。馬券というものを超越して、感動を与えたテイオーは間違いなく名馬であろう。こうして、幾度もの骨折に見舞われながらも、戦い続けた不死鳥は感動のラストランという形でターフを去っていった。
しかし、もしもう一度アノ有馬記念を見ることができるなら音を消してみてほしい。テイオーはいつものように颯爽とそして平然とゴール前を駆け抜けている。
彼にはやっぱり悲壮とか感動という言葉は似合わないのではないか。そんなものは見ていた人間のつけたエゴではないか。そんな気にさえしてくれるほど彼は当たり前のように勝った。
天才の栄光と挫折。そんなサブタイトルがつきそうだが。それは間違いだ。天才は一度だって挫折してはいない。つねに、凛として平然としていた。その先の栄光を見据えて。
いま、テイオーは種牡馬になっている。G1馬を二頭出したが、後継はまだいない。さらにSSの後継種牡馬たちや外国産場に押され、日本馬のサイアーとしての活躍は、なかなかむずかしい。しかしそのうち現役時代のように当たり前のごとく後継を生むのではないか。彼にはそんな期待をかけられずにはいられないのである。
名馬列伝第三回目はトウカイテイオー。
ルドルフの初年度産駒。グッドルッキングホースで、天才という言葉がよく似合う馬だったと思う。
テイオーは12月デビューというクラシックを狙うにしては遅いデビューから4連勝でG1皐月賞へ向かった。
トウカイテイオーという馬はどんなときも颯爽としていた。そして平然とゴール前を駆けていった。誰よりも速く。皐月賞では一番人気に支持されたものの、これまで重賞経験がない、さらに18頭立ての大外枠など、不安はあった。彼に試練が課せられたように見えた。しかし、テイオーはいつものように平然と勝って見せた。何事もなかったかのようにウイナーズサークルにたっていた。それが当たり前のように。
そしてダービー。
競馬関係者にとって最高の舞台。それは馬にとっても同じ。ここでテイオーはまた大外枠を引いた。それでも単勝は2倍を切っていた。そして2分半の激闘の後、テイオーは颯爽と引き返してきた。もちろんウイナーズサークルへ。このレースを激闘と呼ぶのは間違いなのかもしれない。少なくともテイオーには激闘を戦い抜いた素振りはなかった。当たり前のように、走って、そして先頭でゴール板を駆け抜けた。
三冠馬であり、テイオーと同じように無敗でクラシックロードをかけていった父ルドルフのように、いやそれ以上の信頼と期待を残して、夢を置き土産に府中を去っていったテイオー。そこには、かつて日本競馬史上一度もない親子三冠達成の偉業がくっきりと見え始めていた。
三日後。テイオー骨折の一報が入ってきた。全治6ヶ月。だれもが夢描いた親子三冠は夢のまま宙ぶらりんになってしまった。
テイオーの走法はほかの馬より足を高く上げていたといわれている。その脚の使い方がテイオーの強さの所以であったという。しかし、この走法は諸刃の剣であった。速く走れる分、脚への負担は大きかったのである。
そして、月日は流れ、テイオーが戻ってきたのは桜の花びら舞う阪神競馬場。ダービーから実に10ヶ月。ターフにもどってきたテイオーはやっぱり颯爽としていた。普通、10ヶ月の休み明けでは勝つのは難しい。しかし、天才に常識は通用しなかった。休養前と同じように、当たり前のようにゴール前を先頭で通過した。岡部騎手が上機嫌で「ルドルフの日経賞よりも楽だったね」とコメントしたのが印象深い。
そして、一番人気で迎えた天皇賞。颯爽と淀のターフに現れたテイオーは、3200Mの長丁場をやっぱり平然とゴール板を駆け抜けた。生涯初めて、ほかの馬の後ろで。二度目の骨折。このころから、颯爽と走っていたはずの天才に悲壮感が漂い始めた。
半年後、骨折あけの天皇賞ではかかったこともあり7着と惨敗。怪我で泣かされる天才という、月並みなフレーズがテイオーにはつけられつつあった。
5,7着と不敗神話の崩壊した天才は次走JCでは久々に一番人気を奪われ5番人気に甘んじていた。しかし先団にとりついたテイオーはゴール前ではナチュラリズムとの叩き合いを制し、またもウイナーズサークルに戻ってきた。一年前のダービーと同じように。それは、テイオーにとって当たり前で驚いていたのは人間だけなのかもしれない。「普通に走ればこのくらいは」そんなことテイオーは自らの走りで見せた。続く有馬記念で1番人気に推されたテイオーは11着に惨敗。
しかも剥離骨折を起こしていた。3度目の骨折。引退してもおかしくない。
しかし、三度テイオーはターフに戻ってきた。不死鳥の如く。そしてファンの声に呼応するかのように。そう、戻ってきたのは冬枯れの中山競馬場。去年惨敗したアノ有馬記念。丸一年の休養でグランプリに出てきたテイオーは当然一番人気には支持されなかった。一番人気は菊花賞で5馬身差の圧勝を演じたビワハヤヒデ。
レースはメジロパーマーの逃げで始まった。ペースは平均。直線1番人気のビワがあっさり抜け出した。大勢決したかのように見えたその瞬間。一頭だけ、ビワに襲いかかってくる馬がいた。テイオーだ。怒号と歓声、そして悲鳴と歓喜に包まれたゴール前。テイオーはビワの前にいた。生涯で最高の末脚を繰り出して、ビワを差しきった。鞍上田原も「最後、交わしたのは精神力、本当にすばらしい馬です、馬をほめてやってください」と涙ながらに語った。馬券というものを超越して、感動を与えたテイオーは間違いなく名馬であろう。こうして、幾度もの骨折に見舞われながらも、戦い続けた不死鳥は感動のラストランという形でターフを去っていった。
しかし、もしもう一度アノ有馬記念を見ることができるなら音を消してみてほしい。テイオーはいつものように颯爽とそして平然とゴール前を駆け抜けている。
彼にはやっぱり悲壮とか感動という言葉は似合わないのではないか。そんなものは見ていた人間のつけたエゴではないか。そんな気にさえしてくれるほど彼は当たり前のように勝った。
天才の栄光と挫折。そんなサブタイトルがつきそうだが。それは間違いだ。天才は一度だって挫折してはいない。つねに、凛として平然としていた。その先の栄光を見据えて。
いま、テイオーは種牡馬になっている。G1馬を二頭出したが、後継はまだいない。さらにSSの後継種牡馬たちや外国産場に押され、日本馬のサイアーとしての活躍は、なかなかむずかしい。しかしそのうち現役時代のように当たり前のごとく後継を生むのではないか。彼にはそんな期待をかけられずにはいられないのである。