幹事さんのひとりごと

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寒風山

2016年09月19日 | ひとりごと
男鹿は秋田県の日本海沿いの中心部に位置する半島。
男鹿市は2005年、若美町が合併して、新制の男鹿市が発足。
現在人口は32000人強。
漁業を中心とし船川港木材コンビナートがある。
観光地として男鹿国定公園。
日本の灯台50選の入道崎灯台。
日本の渚百選の鵜ノ崎海岸では「ゴジラ岩」が売り(?)
国の史跡に数えられる脇本城や国の重要文化財の赤神神社五社堂。
そこから始まる伝説がなまはげ(国の重要無形民俗文化財)。
男鹿温泉郷や宮沢・五里合・戸賀海水浴場、そして男鹿水族館GAO。

男鹿半島の日本海中心にあるのが寒風山だ。
古くは島だったようだが。
標高355mの成層火山で、安山岩の採石が行われている。
昔は妻恋山(つまこいやま)あるいは羽吹風山とも呼ばれていた。
菅江真澄は『男鹿の秋風』で、これは男鹿という地名から牡鹿の
「妻恋」から名付けたのではないかとしている。

その寒風山に木がほとんど生えてない。
「男鹿」の地名が鹿に由来するならば寒風山に鹿がいてもおかしくないわけで。
鹿がいない理由は木がないからだとは思うけどね。
「男鹿」なのに鹿がいないということで、宮城の牡鹿半島から
鹿をもらってきて寒風山に放牧したこともあったようで。
でもあんまり増えなかったんだろうな。
その残ったやつが寒風山の観光レストハウスの裏に柵を作って飼われて
いたのは俺が小学校のころのこと。

1810年には男鹿大地震が起こったようで、そのときに地形もずいぶん
変わってしまったようだ。
その大地震のとき、寒風山が噴火したと江戸幕府に提出された文書が
残っているようだが、被害や噴火の詳細がまったく書かれておらず、
噴火の堆積物も見つからないため、農作物の被害を水増し申告するための
布石として、江戸の久保田藩邸において創作し、江戸幕府に提出したもの
と考えられている。
って公文書偽造かよ。

ただ、この大地震は5月頃から続き、八郎潟の水の色が変化しボラが多数死亡。
日に70回の地震が続き、9月25日にはM6.5と想定される大地震が発生。
寒風山を中心に被害が発生し、山崩れが多く地割れより泥が噴出した。
死者が57名(163名とも)、負傷者116名、全壊1003棟、半壊400棟、大破387棟、焼失5棟。
男鹿市北浦の温泉湧出が止まり、八郎潟の西岸の松木沢と払戸間が約1m隆起した。
寒風山の山頂付近の地震塚には「変死亡霊供養塔」が建てられた。

っていう男鹿と寒風山。
木がないんで日本海からの風が直接吹き付けパラグライダーのメッカになってるね。
そんで木がない理由が草のうちに刈ってしまってるからだと。
だから山はほぼ全体が芝生のようになってたんだな。
以前は野焼きも毎年やってたし。
最近は防災上の都合や人員予算の都合で野焼きもやってないみたい。
だからか頂上の展望台の反対側には木が生えてきたんじゃない?


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
3年間通いまして… (夫婦岩)
2016-09-19 23:32:43
真冬は寒風山から吹き下ろす風の寒いこと寒いこと……刺さりましたね。
厳しい『寒風』でした。
観光地とするには (幹事)
2016-09-20 12:16:41
周りになにもないところだもんな。
吹き抜けの寒い風が名物としたって誰も行こうとは思わないよ。
回転展望台も天気悪けりゃなんも見えないしね。
単純に戸賀に抜ける通過点っていう程度だな。
スキー (てぃーぼー)
2016-09-20 18:35:51
よく滑りにいってました。
もちろんリフトなんて無いので
自力で登って滑ってました。
寒風山スキー場? (幹事)
2016-09-21 12:13:59
滑れるとこあったの?

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