【掲載日:平成21年7月22日】
島の宮 勾の池の 放ち鳥 人目に恋ひて 池に潜かず
【草壁皇子の島の宮跡付近の明日香川】
「人麻呂 そちは 噂に違わぬ 歌詠み
天の原の 神々の「国分ち」から詠み起こし
天孫降臨のこと
浄御原の天皇のこと
そして わが子 草壁の 治世がなれば
春花の都 望月の都と よくぞ 褒めたたえてくれた
草壁も さぞかし 満足であろう」
「さて 長歌の後は 反歌じゃ」
持統女帝の 促しに 人麻呂 用意の歌を 詠みあげる
ひさかたの 天見るごとく 仰ぎ見し 皇子の御門の 荒れまく惜しも
《慕いつつ 仰いで見てた 皇子の御殿 人住まへんで 荒れて行くんや》
―柿本人麻呂―(巻二・一六八)
あかねさす 日は照らせれど ぬばたまの 夜渡る月の 隠らく惜しも
《明るうに 日は照るけども 月みたい 光ってられた 皇子見られへん》
―柿本人麻呂―(巻二・一六九)
島の宮 勾の池の 放ち鳥 人目に恋ひて 池に潜かず
《皇子がいた 宮の池住む 放ち鳥 人恋しいと 水に潜らん》
―柿本人麻呂―(巻二・一七〇)
殯宮 舎人らのすすり泣きの中 ここ真弓の岡に 人麻呂の声が 流れる
※殯宮―埋葬に先立つ新城)での祀り
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人麻呂は 思っていた
(なんと 気丈な
あれほどに 即位を望まれていた 皇子様を 亡くされ 悲嘆の縁に 沈まれているかと お思いしていたに
この国は 揺るぎはせぬ このお方が 居られる限り
わしも このお方について行けば 歌詠みとして 名を馳せられるやもしれぬ)
以後 草壁の遺児 軽皇子(文武天皇)の即位まで 持統帝の治世は続く
しかし
持統帝は 異常とも言える数の 吉野への行幸
諫めを無視しての 伊勢行幸
近江へ 紀伊へ・・・
そこには 心 穏ならない 持統が いたのか
<島の宮>へ
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