令和・古典オリンピック

令和改元を期して、『日本の著名古典』の現代語訳著書を、ここに一挙公開!! 『中村マジック ここにあり!!』

歴史編(28)仰ぎて待つに

2009年07月10日 | 歴史編
【掲載日:平成21年7月21日】

・・・大船の 思ひたのみて 天つ水 あふぎて待つに 
           いかさまに 思ほしめせか・・・ 

【草壁皇子の眠る岡宮天皇真弓丘陵】


(なんと したことか 
 お前のため どれだけの苦労を 
 他人ひとの眼が なんと言おうと
 十市皇女とおちを 追い詰めて 高市皇子たけちの 皇太子の芽を摘み・・・
 大伯皇女おおくを 伊勢斎宮いつきのみやに・・・
 大津皇子おおつを 亡きものとし・・・
 なんのための 年月・・・) 
持統女帝は 呆然ぼうぜんたる 日々を過ごしていた
時に 持統三年(689)四月 
草壁皇子くさかべのみこ 弱冠二十八歳の 薨去みまかりであった

温厚篤実おんこうとくじつ 部下の舎人とねりたちに 慕われしが
母 持統の重く熱い思いを 受け止めるには  あまりにも 気弱であったか 

持統女帝より 挽歌ばんかを託された 柿本人麻呂
その 歌音うたねは 荘重を極めた

天地あめつちの はじめの時 ひさかたの あま河原かはらに 
八百万やほよろづ 千万神ちよろづかみの 神集かむつどひ 集ひいまして 神分かむあがち あがちし時に
 
あまの河原に 世の始め 神々多く 集まって 統治おさめの国の 定めした》
天照あまてらす 日女ひるめみこと あめをば 知らしめすと 
葦原あしはらの 瑞穂みづほの国を 天地の 寄り合ひのきはみ 知らしめす 神のみことと 
天雲あまぐもの 八重かき別けて 神下かむくだし いませまつりし

天国あまくに統治おさめる 天照あまてらす 国の極みの 瑞穂国みずほくに 治め給えと みこさんを 雲かき分けて くだらせる》
高照らす 日の皇子は 飛鳥とぶとりの きよみの宮に かむながら 太敷ふとしきまして 
天皇すめろぎの きます国と 天の原 石門いはとを開き 神あがり あがりいましぬ

みこ子孫そのみこ 天武帝 飛鳥の宮に 国作る 作った天皇おおきみ 身罷みまかって 天の国へと のぼられる》
わごおほきみ 皇子みこみことの 天の下 知らしめしせば 
春花はるはなの たふとからむと 望月もちづきの たたはしけむと 
天の下 四方よもの人の 大船の 思ひたのみて 天つ水 あふぎて待つに 
いかさまに 思ほしめせか 

《天武みかどの その御子おこが 治め給えば この国は 春は花咲き 望月は つベきものと 世の人の 望み頼みて その時が 今に来るかと 思いしに》 
由縁つれもなき 真弓まゆみをかに 宮柱 太敷きいまし 御殿みあらかを 高知りまして 
朝ごとに 御言みこと問はさぬ 日月ひつきの 数多まねくなりぬる 
そこゆゑに 皇子の宮人 行方知らずも 

《縁無き里の 真弓岡まゆみおか 築いた御殿みやは 殯宮あらきみや お言葉なしの 日数ひかず過ぎ 仕える宮人みやびと 途方にくれる》 
                         ―柿本人麻呂―(巻二・一六七)
                         殯宮あらきのみや―埋葬に先立つ新城あらきでの祀り



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