咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

調神社の北から鳩ヶ谷へ向かう昔の道

2018年01月03日 | 日記
明治13年の迅速測図で浦和を見る。
中山道の調神社の北から右上方向に延びる道を赤で示す。この道は「至鳩谷駅道」と表示されている。
明治13年測地図でそのあたりを見ると鉄道が描かれている。
明治13年から44年後の大正13年測地図を見る。迅速測図に「至鳩谷駅道」と表示されていた道は変わっている。
「至鳩谷駅道」を踏襲した道を赤で示す。鉄道の西側がかなり変わった。

鉄道の西側を大正3年浦和町明細全図で見る。
「至鳩谷駅道」を踏襲した道を赤で示す。ジグザグになっている。
大正11年の浦和耕地整理組合原形図を90度回転させる
大正3年浦和町明細全図に赤で示したジグザグ道この道(赤)になると思う。
昭和9年の浦和耕地整理組合確定図を90度回転させる
「至鳩谷駅道」を踏襲した道を赤で示す
この道を大正11年の浦和耕地整理組合原形図に描くとこのようになると思う。
そうすると緑で示した道は浦和第一小学校の敷地になったと考えることができると思う。
緑で示した道を大正3年浦和町明細全図に描くとこんな感じになると思う。

平成4年浦和市発行『わがまち浦和 地域別案内(改訂版)』には高砂小学校について “ 浦和最古の学校で明治四年三月浦和郷学校の名称で玉蔵院の境内に創設されまもなく現在地に校舎新築移転。学制発布後、浦和小学校と改称、(中略) 明治後期に高等科を設置して校舎を増築、新築移転をし、一時埼玉県女子師範学校附属となったが、大正八年に附属を解かれて浦和尋常高等小学校と改称した。” と記述されている。明治後期に校舎を増築、新築移転する際、学校の敷地を拡大したのではないかと思う。

現在の地図(ヤフー)に「至鳩谷駅道」を踏襲した道を赤で示す
昭和9年の浦和耕地整理組合確定図のこの道と概ね重なると思う。
現在の地図に緑で示した道を描くと大体こんな感じになると思う。
そうすると当初の学校用地はこのくらい(黄)だったと思う。

迅速測図に描かれた「至鳩谷駅道」を現在の地図に描くと概ねこのよう(赤)になると思う。
赤矢印方向を見た2017年11月の写真。

コメント (2)
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