マンホールのモジョモジョ話

豊橋のシカゴブルースバンド『マンホール』が徒然なるままに書き込む、一種の随筆である。

チェス・レコード

2007年09月27日 | ブルース
2120 South Michigan Av

ローリング・ストーンズの初期の楽曲のタイトルでもあるこの場所はシカゴ・ブルースや初期ロックンロールの名曲が数多くが生み出されたチェス・レコードの住所だ。


2年前のシカゴ訪問のおりに、もちろん自分もここを訪れた。



近くまで行く交通手段がないため、宿舎からタクシーで片道1000円ほどの行程。

チェス・レコードの建物は現存しているものの現在はブルース・ファウンデーションという協会の本部になっているが、10ドルほどで見学ツアーもある。



タクシーでチェスの前に降ろしてもらうが、そこはブルースにおけるランドマークの様な雰囲気はまるでなく、ぽつんと一人。

「OPEN ~時」と書いてある時間に間に合わせているのに、ドアも施錠してある。

ガチャガチャやってると中から帽子を斜めかぶりにした大柄な若い黒人が。


「ヘイ、ヨー。あと30分後に開けるよ~」とサンドイッチ片手に言われ、「まぁ、これもアメリカらしいな・・・」と時間をつぶしに近くのファーストレストラン風ソウルフード屋さんに入る。

おいしそうなフィッシュフライとコーラを頼み、持っていた本を読み始めると他の客の黒人の視線が痛い。


アメリカは差別をなくそうというスローガンを表向きに掲げているが、やはり黒人居住区と白人居住区は明確に分かれている事も多く、シカゴではサウスサイド、ウエストサイドが黒人居住区となる。

そこにひょっこり現れた一人のアジア人は、アメリカ風にいうと「場をわきまえてない行動」という事だったのだろう。


まぁ、今更遅いので、痛い視線の中、マイペースに時間をつぶす。

約束の時間になり、チェスに戻ると見学者は自分だけと言う。


日本でよく見る黒人とは比べ物にならないほどデカイさっきの黒人が案内人になり、彼に10ドル渡し説明を受ける。


2階建ての1階は10ドル払う割には取り立てて面白いものもなく、ガラスケースにボ・ディドリーの靴が飾ってあったり、ココ・テイラーの衣装が飾ってあったり。

ブルースの名曲のオリジナル歌詞カードがあったりした。


2階に上がる際に、

「ヘイ、ヨー。この階段はオリジナルの階段だヨー、その後ろのドアからマディ・ウォータースやらハウリン・ウルフが機材を持って上に上がってきたんだヨー。」

と言われ上がるんだが、この階段が非常に斜めってる。

とにかく段差も違うし歩きにくいのだ。



悲しいかな、その印象しかない・・・。


2階が本格的にレコーディングをしていた所らしい。

しかしマイクが置いてあるわけでもなし、何もない空間のカベに、その当時の写真が飾ってあるのみ。

聞いた話によると、同じように音楽スタジオとして有名なテネシー州メンフィスのサン・スタジオだと、エルビス・プレスリーが名曲「ハートブレイク・ホテル」だかを録音した時のマイクの位置、ベースの位置等に印がうってあるらしい。


ここにはそういった気の利いた演出もない。



しかし、ここを訪れたストーンズが大感激して、ここで録音して帰ったように、何かしらの感慨深げな感覚があった。

帰ってから、チェスで録音された曲を聴くと、

「なんで、あの空間でこの音を出せるんだろう??」と思うこともある。


やはりブルースの聖地の一つだ。


感慨深げな自分に、案内人の彼は言った。








「でさ、お前ヒップホップは聞かないの?」






やっぱりか、お前!


byボーカル


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