ヤパニストリ-トベンダ-ズ ☆本日のお勧め☆

メニュ-はその日の気分で変わります。シェフ(笑)の目から見たあれこれを語ります。

8月30日<2009年夏のNY・・・その7>

2009年08月30日 | New York
一昨年の冬にNYに行った時に、ユニオンスクエアのお気に入りのカフェであたしの前の席に座ったおじさまが、ジャスミン茶にお砂糖を3袋入れていた。
え?ジャスミン茶に砂糖?

そう思ったときには、すでに声を掛けていた。

「ねえ、それ、ジャスミン茶だよね?お砂糖、入れるの?」

「うん、ついでだからもうひとつ・・・」

計4袋のお砂糖を入れて、おじさんは美味しそうに飲んだ。
見ているこちらの方が、ウプッとなりそうだ。

その後、おじさんと色々と話した時に聞いたのは、おじさんは画家で、メトロポリタン美術館に「僕の絵が掛かっているから見に行ってごらん」と言われた。
あと、日本の風景画を書いてみたいけれど、「日本に行く機会がない」とも言っていた。

おじさんのお友達が来て、2人はおフランス語で話し出したので、きっとパリで絵を勉強したんだろうなあ・・・なんて勝手に想像していた。

お友達が帰った後、また、お代わりしたジャスミン茶にお砂糖を入れて飲みだしたおじさんとNYの話をして「じゃ~ね~」と別れた。



そして今年。
もちろん、そのユニオンスクエアのカフェには一日置きに通った。
そこから見るエンパイアがとてもステキなのだ。
一日、ずっとそこにいても飽きない。そのぐらい、好きだ。

少し早めのカルフォルニアロ-ル&ラテ&スイカのランチを食べていたら、ど派手なショッキングピンクのシャツを着た、白髪交じりの男性があたしの前の席に座って、Hiと言った。

あ・・・この人・・・

あたしもHiと言って、様子を見たら、やっぱりあのおじさんだ。
ペットボトルのお水に、お砂糖を4袋も入れている。
しかも、ガス入りのお水に・・・だ。

「あたし、あなたにあったことがある。ここで」

「そう?いつごろ?」

「一昨年の冬。このひとつ向こうの列の、窓際の席で」

「覚えてないけど・・・」

「フランス語を話すでしょ?絵を描いてるでしょ?日本の風景画を描きたいと思ってるでしょ?」
記憶にある限りのおじさんの情報を言ったら、

「なるほど・・・確かにどこかであってるみたいだね」

聞けば、おじさんはユニオンスクエアでやっているグリ-ンマ-ケットにあわせて、自分の絵を売っているのだという。

「え?メトロポリタンに絵があるって言ってたじゃん。そんな人が、青空マ-ケットで絵を売るの?」

「いや、僕の絵は難しすぎてあんまり売れないから・・・こんな天気のいい日は気分転換に外に出てみようと思ってさ」

「ねえ、絵って儲かる?」

「ぜ~んぜん!」

「そうなんだ」

そこから「投資」の話になり、経済の話に繋がって、今の世界金融不安の背景の話などをしてしまった。
おじさんは、アパ-ト(日本で言うマンション)丸ごと3棟を持っていて、その賃料で暮らしているのだそう。売りたいものもあるんだけど「この値段じゃあ、売ってもあんまり儲からないから。だから、他のアパ-トの中の1室をバラであっちこっち買ってるよ」

「じゃあ、その中のひとつにあたしを住まわせて」

「君、面白いね。今日の夜、空いてる?飲みに行かない?」

一瞬、迷った。でも、あたしは基本的にお断りする事にしている。
なぜなら、「お酒を飲みながら話すようなことはないから」だ。
もし、何か話したいのなら、今、ここで話せばいい。

「今日はね、ホ-ボ-ケンに行くんだ。友達が自宅に招待してくれてるの」

「じゃあ、明日は?」

「Bleecker Streetへお買い物に行くんだ」

「明後日は?・・・あ、俺が忙しいんだ・・・」

「残念だね」

「ホ-ボ-ケンから何時ぐらいに帰ってくるの?」

「わかんない。友達の家に泊まるかもしれないし」

「断れない?」

「うん、だって友達のお誕生日パ-ティ-だから」

「そうか・・・」

そこでおじさんは、「あ!」と言ってペットボトルを持って走ってどこかへ行ってしまった。
なんだろ?変な人。
そう思っていたら、すぐに戻ってきて

「ほら、あそこがボクの絵を並べているところ。今、僕の絵を見ている人がいたから、行かなくちゃって思ったんだけど、たどり着く前にどこか行っちゃった」

「残念!」

「まあ、いいさ。なかなか売れないものだし」

「でも、持っていかれたりしないの?大丈夫?」

「ああ、周りの人とうまくやってるから・・・じゃあ、これ、名刺。連絡ちょうだい」

「ありがとう」

「君の連絡先は?どこに住んでるの?」

「47丁目」

「じゃあ、近いね。僕は34丁目」・・・近いって言えば近いけど(あたしはなんなく歩いちゃう距離だから)、近くないって言えば近くない、微妙な距離。

連絡先は、申し訳ないけれどいつも「携帯の数字を並び替えた番号」を教えている。だって・・・何があるかわからないから。「こんな事になるなんて、思ってませんでした」って言ったところで、その隙を見せた自分が悪いのだ。だから、本当に申し訳ないけれど、携帯は番号並び替え。メルアドは、@以下を「自分の名前.com」 にして渡している。

「へえ、会社を経営してるんだ?」って聞かれたら、「小さな会社よ」って(笑)。


そんなこんなで、一応、予防線は張りながらも、時間が経って、また、同じ場所で再会するなんてことが普通にあるから、NYは好きだ。
そして、その前にあったときのことを思い出せなかったとしても、ゼロから始まるのではなくて15ぐらいから始められる街だ。


そう、一度、街を離れても、あたしのことを忘れることがないのだ。
街のどこかに、あたしの存在は残っている。
だから、JFKに着いたら

ただいま~!!!

ってご挨拶するのだ。

JFKから飛び立つ時は、もちろん

「行ってきま~す!!」

でしょ。



帰りたい~♪ 戻りたい~♪ 待っててね~♪・・・ この言葉がピッタリです。






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8月28日<2009年夏のNY・・・その6>

2009年08月28日 | New York
帰りたい~♪

戻りたい~♪

そろそろ、次の台詞を考えなくちゃ(笑)。


さて、今年の夏のNYのお話。

世の中にはいろんな人がいて良いと思う。
顔かたち、肌の色、考え方、モノの見方、性格、信条。
それと同じように、体の外見にちょっと違うところがあっても良いと思う。

ただ・・・

そういう人たちが、街角に座って前に缶や紙コップを置いてお金をねだる?姿は好きじゃない。
働く場所がなくて、生活に窮しているのは簡単に想像できる。
でも、だからって、その人たち本人がそういう事をしなくてはいけない世の中ってどうなんだろう?
ある程度・・・贅沢ではなくても、そこそこ暮らしていける程度・・・の生活の援助は、政府なり、地方自治体が責任を持って行うべきだと思う。

だから、あたしは今まで、一度も、そういう人たちにお金を渡したことはなかった。


NY滞在最終日。
セネガルから来て、パシュミナを売るストリ-トベンダ-を経営(?)しているおじさんがいる。
バ-ニ-ズの角で、綺麗にパシュミナをディスプレイして売っている。
そのおじさんから、帰国前に必ず遊びに来てと言われていたので、11時ごろ、バ-ニ-ズの角に行った。

おじさんの平台はあったけど、開店準備中で商品はひとつもなかった。
もう11時だよ・・・営業開始は何時から?

仕方がないので、2ブロックはなれたブル-ミングデ-ルズにでも行こうかと、パ-クアベニュ-を渡って歩いていたら、ウィリアムズソノマがあることを思い出した。

「結婚した友達に、なにかお祝いを買おう」

ウィリアムズソノマで、家庭雑貨を色々と見て選び、お店の人の意見も取り入れて、なんとか格好がつくお祝いを購入。
おじさんがいないおかげで、タイムリ-なお買い物が出来たよ。

そして、おじさんのベンダ-に行ったら、いる、いる・・・おじさん、元気にパシュミナを売ってるよ!

「ち~っす!」

「あ、来てくれたんだ!」

「さっき、ここを通ったんだけど、まだ、開店前でさ・・・ほら、これ、証拠写真。まだ、開店準備中でしょ?」 <と携帯で撮った、平台だけのおじさんのお店の写真を見せたら爆笑。「おひめも暇だね」って。

「これ、おやつに食べて。食べるつもりで持ってきたけど、食べ切れなかった」

「ええ?いいの?」<と嬉しそうにすぐにミルキ-を食べるおじさん。

その時、バ-二-ズの角に(おじさんのベンダ-のすぐ脇に)車椅子に乗ったオトコの人がいて、その人がじ~っとあたしを見ている事に気がついた。

その人は、腕が上半分と、足も膝から上半分しかなく、手にマックの紙コップを持って座っていた。

「ねえ、あの人・・・」と聞くあたしに、

「ああ、俺の友達さ」と答えるおじさん。

「え?友達?」

あまりの気持ちの良いお天気に、紙コップを持ったまま、うたた寝しているその人を「Hey!」と呼んで起こすおじさん。

「このお菓子・・・彼も欲しいって思ってないかな?2人分、持って来れば良かった」

「大丈夫さ。俺があとでこの中からあいつにも分けて置くよ」

「ほんと?ありがとう」

そこで車椅子の彼を見たら、にっこり笑ってくれた。
子供のような、純粋な笑顔だった。
その瞬間、ちょっと心にひとつの矢が刺さった気がした。

おじさんが、あれこれ「お土産のお礼に」とパシュミナを選んで私に持たせようとするので、

「良いよ、これ、おじさんの生活の糧じゃん!だめだよ、こんなことしたら!」

「良いんだ、おひめは俺の友達だから」

「ええ?じゃあ、これ、ひとつだけいただくよ」

「そんなこと言わないで、ほら、この色も似合うし、こっちも似合うよ」<結局、ブル-、パ-プル、ピンク、白、アイボリ-の5点をいただいてしまった。

「ねえ、聞いてもいい?」

「なんだい?」

「あの人、なんであんな体になったの?」

「生まれつきって言ってたなあ」

「働けるの?」

「無理だろ。だから、あそこでああやっているのさ」

あそこで、車椅子に座って、紙コップを日がな一日持っている日々。
同じ「人間」として生を受けたのに、この違いは・・・胸が痛む。

「でもさあ、政府とか市が面倒見てくれるんじゃないの?」

「彼はね、あれが仕事だって言ってるけど、本当は違うよ。ああやって、外に出て、人と触れ合っていたいんだ」

「なるほどね・・・じゃあ、紙コップは必要ないんじゃない?」

「手持ち無沙汰だろ?あはははは」<いや、笑い飛ばすことじゃないでしょ~

おじさんとあたしが楽しそうに話しているのを、彼はずっと見ていた。その視線を後頭部にびんびんに感じながら、あたしは彼にお金を渡したほうが良いのかどうか、迷っていた。

しばらくおじさんと話しながら見ていて分かったのは、ほとんどが毎日、その道を通る人のようで、彼はその道行く人たちと挨拶をしていた。そして、1ドル札を入れるおばさんには

「今日も良い天気だね」

「そうね、行って来るわね」

と、普通の会話をしていた。
本当に「人と触れ合いたくて」そこにいるんだ。
じゃあ、なおさら、あたしがお金を渡すって、迷うなあ。

それで、おじさんに

「ねえ、このパシュミナ、ちょうだい」

と、最後の1点になったピンクの織柄入りのパシュミナを選んで、10ドル渡した。おじさんは当たり前のように5ドルのお釣りを出して来たので、

「あたしは、彼のような人にお金を渡すことに抵抗があるの。でも、おじさんから渡してもらう分には全然構わないから、そのお釣りを彼に渡してもらえる?あたしは、このパシュミナを10ドルで買うから」

と言ったら、

「OK。後で俺から渡しておくよ」

と言ってくれた。

お昼休み時間になって、おじさんのベンダ-に足を止める人が増えてきたので、

「じゃあ、そろそろ忙しくなってきたみたいだから、帰るね。また、冬にね!」

と言ったら、

「待ってるから、また、来てよね」

と、手を振ってくれた。その流れで、車椅子の彼にも

「じゃ~ね~!ばいば~い!」

と手を振ったら、上半分しかない手を一生懸命に振って

「ば~い!」

と言って、笑顔で見送ってくれた。
また、あたしの心に小さな矢が刺さった。


確かに、よくアジア圏で見るような、これ見よがしに自分の体を人の目にさらして「お金ちょうだい」をしている人には抵抗がある。
でも、そうでない人もいるってこと。

そして、そこで「お金ちょうだい」をしている目的も、それぞれだってこと。

そういう事をしている人たちの中にも、ステキな笑顔を持っている人がいるってこと。

アツい日が続いて、ただ座っているだけでも決して気楽な毎日ではないと思うし、これから冬になって、彼がそこにいるかどうかも分からないのだけど、あの、半分の手を精一杯ふってくれた気持ちに、あたしは清清しい思いがした。

今日のお写真は、グリ-ンマ-ケットで売られていた花束。
彼の笑顔に添えて。
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8月27日<2009年夏のNY・・・その5>

2009年08月27日 | New York
帰りたい~♪

戻りたい~♪

は、ただいま最高潮。 そろそろワクチン接種が必要でしね。チクンと一発、痛くないようにやっておくんなまし。

ワクチン接種・・・次回、NY行きの航空券の購入。

なんだか、あたしにとってNYは「欠かすことのできない物」を越えて「空気」のような物になりつつある。

ところで、そんな今年の夏のNY。

冬にタイムズスクエアのバス停の前に落っこちていたM104のバス停の案内板。
今年はまだ、そのままになっているだろうと思ったら、ごらんのようにしっかりと修復されていました!!!

ってか、そのバス停が移設→除去されてて、おそらく3つのバス停がひとつのバス停に集約されたので、移設を機に修復されたのだと思う。

だって、M104のところだけ、妙に新しいもん。

タイムズスクエアが、片側の道路部分だけ通行止めになって公開空地として開放されているのだ。だから、バス停も移設を余儀なくされてしまった。

あそこにあったバス停なんだけど・・・
そこにバス停があったら、「ここ、ここ!冬にね・・・」と思い出も完璧だったのに、バス停があった痕跡のかけらも残ってはいない。

TKSの建物を利用した、大きな階段状の屋根には、いつ行っても大勢の人が座り込んでぼ~っとしていた。あたしも初日の夕方~夜に座ってぼ~っとしていたのだけど、あっという間に3時間も経ってしまったよ。
それぐらい、ぼ~っと座っているのが心地よい街。

人の流れが絶えることなく、車もいつも渋滞して、そのうちの9割がタクシ-。
「いや、こんなにタクシ-があっても、乗る人はいるのかな?」と思うけれど、「なかなかタクシ-がつかまらない」ぐらいの需要の高さ。

まあ、NYでは「歩く」か「タクシー」かぐらいの乗り物なので、考えて乗るわけじゃないし。

あっちこっちで、ぼ~っと座り込んでNYのにおいと音を楽しんできたけれど、そのどれもが「心地よい時間」で、飽きることのないひと時だった。

自分の身をNYに置くことの大切さ?がここにあるんだなあ。

誰でもない、自分は自分。
他の人が何をどう言おうと、それはご自由にどうぞ・・・
その自由さが、とても好き。


ああ、ダメだ。
思考回路がショ-ト寸前。
本当にワクチンが必要になってきたらしいので、ちょっとANAのHPに行って遊んできます。

取りとめのない文章ですみませ~ん!
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8月25日<2009年夏のNY・・・その4>

2009年08月25日 | New York
戻りたい~♪

帰りたい~♪

JFKを飛び立った時から、その二言が頭をぐ~るぐる♪

帰りたいわ~♪

帰らせて~♪



さて、今日の朝、ちょっと間違えてコ-ヒ-ポットにモカではなく、「Holiday」と言う豆を移してしまった。
この豆は、この前の冬に名前に惹かれて1パウンドだけ買い求めた物で、冷凍庫で大事に保管していたのだ。
ところが、隣においてあったモカと間違えて入れてしまった。

う~ん・・・まあ、良いか。
いつまで取っておいても、味は落ちちゃうし。

で、淹れてみたらちょっと薄い感じ。
期待薄・・・(笑)。

あたし、すっぱいコ-ヒ-は苦手なのだ。
だから、「エチオピア」とか「キリマンジャロ」とかは好きではない。
一昨年だったか、記念に買った「エチオピア」・・・半分ぐらい頑張って飲んだけど、捨てちゃおうかと思ったぐらいに苦手だった。

Holidayもなんとなくすっぱいコ-ヒ-に見えたのだけど、実際に飲んでみたらそこそこの味があり、あまりすっぱくなかった。
あ、意外といけるじゃん。

そして、そのまま会社へ。

帰ってきたら、キッチンにとても良い香りが充満。なんだろう?
朝、生ゴミはちゃんとビニ-ル袋にいれて捨てたし。
変な話、生ゴミのにおいだったりしたら、あまり気にしないのだけど(あ、袋に入れてなかった・・・って、そのゴミ袋全体を、さらに大きなゴミ袋に入れれば済むし)、あまりにも良い香りだったので気になってしまって。

その香りの主は、Holidayでした。
その名前そのままのイメ-ジの香りで、どちらかと言えばお花の香りっぽい。

こんなに良い香りなら、取っておけば良かった・・・と貧乏性のあたしは思ったのだけど、また、買ってくれば良いや。
しばらくエスプレッソの豆を封印して、Holidayの香りを楽しみます。



ところで、今年のNYのお話。

去年の夏、ブルックリンに出来たIKEAのミ-トボ-ルが美味しいと聞き、食べに行く事にした。でも、実はミ-トボ-ルは2番目の目的で、一番の目的は「water taxi」に乗ることだった。
water taxiに乗りたいと思っていたのだけど、乗り方も分からなければ、ただむやみに乗っても・・・と思い、ハドソン川を航行しているwater taxi を横目で見ていた。
だから、ピアから乗れるIKEA行きのwater taxi となれば乗らないでいるわけには行かなかったのだ。

サウスストリ-トシ-ポ-トの横のピアから自由の女神を右手に見て、一気にブルックリンへ。10分ぐらいかな。
しかも、IKEA直通だから無料。

よくよく見ていると、IKEAまで一緒に行った人のうちの半分ぐらいの人がIKEAに行かずに、そのまま帰りのwater taxi に乗って帰って来ていた。
一度、自転車を持ち込んでいる人がいて、あれは確実にブルックリン在住の人が「ちょっと利用させてね」と言う感じで乗っていたに違いないと思う。

だから、左右の端が3列で、真ん中が4列の座席がほぼ満席。
しかもアッパ-デッキもあるのだから、かなりの乗船率だったと思う。
そのうちの何人が本当にIKEAに行って買い物をしたのかは分からないけれど、半分ぐらいいたのか、いなかったのか。。。

最初の1回は、ミ-トボ-ルを食べてIKEAの店内を歩いたのだけど、広くて疲れたのと、欲しい物はあるけれど、日本に持って帰ることを考えると「まあ、いいか」で結局、なにも買わずに帰ってきた。

冬に行った時も、夕暮れの「自由の女神」を見にwater taxi に乗った(しかも、2回も)。

だから、今年も・・・と思ったのだけど。
世の中、そう、うまくないかないのであった。

なぜなら、ブルックリンから通勤で使う人が増え、乗船率の割に売り上げが上がらず、ついに片道5ドルの有料化。
それでも、平日はIKEAで10ドル以上の買い物をして切符をレジで出すと、5ドルのク-ポンがもらえるから、実質タダになる。
そして週末は、今でも無料。

だから、週末に行っても良かったのだけど、週末はマンハッタンの中でいろんなイベントがあって、ブルックリンまで行く時間が取れない。
5ドルだったら、別に良いか・・・と金曜日の午後にIKEAへ。

行ってみてびっくりした。
ほとんどの人が「無料」と聞いて来ていたので、5ドルと聞いて「じゃあ、良い」と帰る人が多い。
結局、20人ぐらいしか乗らなかった。

water taxi の車両?船?も左右が2列の、真ん中は背中同士がくっつきあってる縦座席に変わっていた。
そして、何より変わっていたのはIKEAの店内だった。

あんなにたくさんの人が席を探してウロウロしていたレストランは、席が選り取りみどり。あんなにざわざわしていたのに、し~んと静か。
そして、天井まで積まれていた商品は、棚がスカスカ。

「あれもこれも欲しい~!どうしよう!安いよね~!」

と言っていた去年がうそのように

「買い物、ないじゃん。うわ、この値段なら、どこでも買えるよ」

と言う店内になっていた。

これじゃあなあ・・・

レストランで、あたしの前に並んでいた女の子5人グル-プが、10ドル以上買い物をしないとク-ポンがもらえないことを知らずに、6ドルぐらいの食事でク-ポンをもらおうとして、

「10ドルだって!10ドル以上、食べないともらえないって!」

「ええ?じゃあ、夕飯もここで食べる?」

あたしはその会話を聞いて、爆笑したよ。

「でも、同じ物を2回も食べられる?」

と聞いたら、

「それもそうね。食べたら、帰ろう!、ね?」


あたしも、結局10ドルの買い物にはならず、帰りも5ドルでwater taxi に乗るつもりでいたら、帰りの乗り場前でレシ-トの提示を求められて見せたら、ただで乗れた。
レシ-トを持っていない人は5ドル払っていたから、帰りは「なにか買えばただ」ぐらいの運用なのだと思う。

IKEAのater taxi が有料になって、お客さんの数が減り、商品が減ったのか、それとも商品が減って、お客さんが行かなくなったのか、どちらなのかは分からないけれど、「顧客サ-ビス」の意地の難しさをちょっと思った出来事でした。

あたしが買ったのは、お花型の氷が作れる製氷皿2つ・・・だけ。
〆て3.98ドル。

今日のお写真は、IKEAのミ-トボ-ル。4.98ドル。
これに、ドリンクバ-がソフトドリンクは1ドル。ホットコ-ヒ-が1.20ドル。ブルックリン価格です。

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8月24日<2009年夏のNY・・・その3>

2009年08月24日 | New York
去年の夏にNYにいた時、友人から泡食って電話があって

「ア-バンコ-ポレ-ションって知ってる?」

「うん、知ってる」

「倒産した」

「え?」

「倒産したんだって!」

と聞いた。
そして、その日の夜にリ-マンブラザ-ズの本社の前に立ち、きらびやかにビル入り口を飾る電飾に「さすがだね・・・」とため息をつき、タイムズスクエアのスタバでコ-ヒ-を飲んだ。
その1ヵ月後に、リ-マンがあっけなくぱったり行くなんて、考えもしないで。

冬にNYに行った時は、路面店の小さなお店が撤退して「賃貸募集中」の張り紙があちらこちらにあった。中には、ビル1棟丸ごと売り出している物もあって、やっぱりリ-マン以降、景気が悪いんだなあ・・・なんて思ってみていた。

そして今年の夏。
路面店の小さなお店の撤退は、一段落したみたいだった。
見覚えのあるお店が並び、売り上げを伸ばすためにディスプレイを変えたお店はあったものの、雰囲気は変わっていなかった。

景気底打ち・・・なんだな、きっと。
そんなに急には良くならないけれど、これからはジワジワと良くなっていくと思うよ。日本の株価も上がってきたしね。

じゃあ、記念にちょっと何か買っちゃおうか~!(笑)

そんな気分で出かけたロックフェラ-センタ-の展望台。
展望台の入口で、あたしの足が止まった。

1階に大きく張り出された「テナント募集中」の張り紙。
え?ちょっと待って・・・ここって、何があったんだっけ?
思い出せないぐらいに、そこは「空くはずのない空間」だった。

きっろ、世界に名だたるロックフェラ-だ。賃料だって、それなりなのはわかる。だからこそ、「それなりの会社」がテナントとして入っていたはずで、あのリ-マンショックを乗り越えた後に撤退する????

そう思って、マンハッタンをバスで移動するときにビルの1階を見ていたら、明らかに1階の空きスペ-スが増えている。それも、大型店が一斉に撤退したような感じだ。

冬は、その規模ゆえ、早々と持ちこたえられなくなった小規模店舗が撤退し、夏は「一見、大丈夫か?」と思えた大規模店舗が撤退。
景気の底打ちなんて、全然まだ、先の話じゃん!!

そういえば、一昨年の夏はマンハッタンのミッドタウンですれ違う人の80%の人が手にスタバのカップを持って歩いていた。スタバを持って歩くのが決まり?のような感じだった。
去年の夏はあまり暑くなかったせいもあるのだけど、スタバどころかペットボトルを持って歩いている人さえ、あまり見なかった。なんとな~くバブルが弾けるのが感じられていた頃。クレジットクライシスが人々に認識され、その事の大きさが表面化しだした頃。
そして、冬は寒いからさすがにスタバ片手に歩く人は少ないけれど(温かいコ-ヒ-もすぐに冷めちゃう)、スタバで本を読んだりしながら長い時間くつろいでいた人がガタッと減った。どこのスタバを見ても、ガラガラだった。
そして今年の夏。

スタバのカップを手に歩いている人は、少し増えたような気がする。
でも、その人たちのほとんどは「観光客」だ。地元の人ではない。
地元の人は、ダンキンド-ナツかマックのカップを持っていることが多かった。
なぜか。

スタバよりも安くて、スタバよりも美味しいから。

ダンキンド-ナツは日本でHPを見て調べて行ったのだけど、アイスラテはとても美味しかった。一番小さいSMALLで日本で言うTOLLの大きさ。それで消費税込み2.71ドル。スタバでアイスラテを飲むと軽く4ドル近いのではないだろうか。
それでいて、クピクピ飲める美味しさ。
アパ-トの角のところにダンキンがあったので、出かけた帰りに1杯、バスを降りて歩いて帰る途中で1杯・・・と何度、寄ったことか。

マックはフレ-バ-コーヒーを出していて、確か去年の冬にJFKでプレミアムアイスコ-ヒ-の「モカラテ」が飲みたいと言って飲んだら、とても美味しかった。それも一番小さいサイズで、かる~く2人分はありそうなぐらいの大きさだったが、薬を飲んだ後であったこともあって、グイグイ飲めた。
今年は、フレ-バ-コ-ヒ-のキャラメルに挑戦。
味は、少し薄目かも。あと、コ-ヒ-の香りがあまりしない。
それでもファストフ-ドと思えば「やむなし」と思えるぐらいの味ではある。それとバ-ガ-とポテトで消費税込み4.99ドル。

スタバが高級路線で「うちの豆は他とは違います」といくら言ったところで、その差が埋められるとは思わない。それぐらいに「お値段」と「味」の差は感じられなかった。

だから、ダンキンはどこに行っても込んでいたし、マックは言うまでもなく・・・込んでいました。


そんなある日、面白いことがあった。
バ-ニ-ズにいるアンドリュ-に会いに行った時。
景気はどう?と聞いたら、

「とても悪い事に変わりはないけれど、良くなってきたわ」

聞けば、ワ-クシェアで週38時間労働が36時間労働になり、最終的には32時間労働になると聞いていたのだけど、32時間になる前に売り上げが上がってきたので36時間労働のままで止まっていると言う。
「良かったじゃない!」
「本当にね。今は仕事があるだけでもありがたいし」

同じ日に、バ-二-ズの角でパシュミナを売っているストリ-トベンダ-のおじさんにも会った。同じように「景気はどう?」と聞いたら

「悪いね」

「去年の冬とどっちが悪い?」

「今年」

あれれ?アンドリュ-は景気は良くなってきたって言ってたよね?
つまりは、去年はバ-ニ-ズで300ドルで売っているパシュミナと似たようなもの・・・パッと見にはその違いはわからないもの・・・がおじさんのところで5ドルで売っていたから、みんなは「5ドルだって!」と飛びついて買った。確かに、ユニオンスクエアでも、タイムズスクエアでも、5ドルのパシュミナはいつも人が集まっていたもの。

でも、今年になって少しずつ景気が上向き、人々は何枚も買えないにせよ、バ-二-ズで300ドルのパシュミナを1枚ぐらいは買えるようになってきた。
5ドルは5ドル。何色も持って、気分で使い分けるのも良いけれど、やっぱり、よいものを1つだけもって、大切に長く使いたい。

そういう流れになってきたのだと思う。

そんな中、今までも優しかったけれど、バスのドライバ-が必ず挨拶を返してくれるのが嬉しかった。

辛い時は、みんな辛い。
ボクだって、今日を必死に頑張ってるんだ。
だから、みんなも頑張ろうよ。

そんな感じで、ニコッと笑いながら「行ってらっしゃい」「気をつけてね」「おやすみなさい」と一言掛けてくれるドライバ-が急激に増えた事に、やっぱり、人間は一人じゃ行けていけないんだなという事を再認識しました。

今日の写真は、ロックフェラ-からの眺めです。



★ 今日のおまけ ★

ついに・・・
ついに・・・

最後に出してもらったお薬で発熱しました。
腕はバリバリに痒いし、荒れてるし、ひりひりして痛いです。

おそらく、同じ消炎剤で反応しているので「使えるお薬がないかもしれません」と言われてしまったよ。

それで解熱剤を飲んでも良いかどうか病院に電話して聞いたら

「先生に聞いてみないと」 <そりゃ、そうだ。

どうやら、整形外科と皮膚科の両方で診る必要があるらしく、「速やかに診察に来てください」って言われてしまった。

もし、お薬で対応できない場合は????
注射でっか?

この、体にハリが刺さることが受け入れられないあたしに、注射ですか?
たじげでぐれ~!!!

たとえ、コジマ先生でも注射はダメでし。
絶対に、ダメでし。

他のお薬を探してくれでしよ~~~!!!
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8月22日<2009年夏のNY・・・その2>

2009年08月22日 | New York
帰りたい~♪

戻りたい~♪


そうなのだ。あたしは今、就業ビザでアメリカからやってきて、出稼ぎ中なのだ。(笑)日本で暮らすあたしは仮の姿なのだ!!!


ところで、NY初日に最初のランチはここ!と決めているYum Yumでパッタイのランチを堪能して、メトロカ-ドを買うべく地下鉄の駅に向かって9番街を北に歩いていたあたしは、46丁目の交差点の異様な気配に気がついた。

みんなが目を向けている先に、なにかがある。
なんだろう?

え?お母さんと子供が道路に横になってる???
そして、道の端に止められたタクシ-が一台。

あたしの横にいたおばさんが Oh My God! と言ったその一言で、ハッと我に返った。タクシ-に親子が轢かれたのだ。

あたしはすぐにそばに行こうとしたのだけど、ちょっと待て。そこはマンハッタン9番街だ。南に向かって走る一方通行の6車線の道路だ。
下手をしたらあたしが轢かれる。

と思った時には、すでに9番街の真ん中にいた。
とにかく、何かしなくちゃ!の気持ちしかなかった。
「ここで車に轢かれても、その事には後悔しないだろう」ぐらいの気持ちだった。

駆け寄って、お母さんを見たら気が動転して言葉が出てこない。
子供は・・・可愛い男の子だったのだけど、口の中を切ったらしく出血がひどかった。

そうだそうだ、あたし、ウェッティを持ってるじゃん。
ウェッティで傷口を拭くと、アルコ-ルが含まれているからあまり良くないらしくて、だから、お母さんの体についた血液や、男の子の顔についた血液を拭き取っていた。

そして、それとほぼ同時に中年の女性が親子の少し手前の道の真ん中に立って、大きく両手を上げ、「車の進入禁止!」と車の動きを止めてくれた。
他の女性2人が道路の右端と左端に少しずつ車を寄せ、バスが動けるぐらいの空間を開けて誘導した。

あたしの周りでは、それぞれが携帯で警察、救急車に連絡をし、「ご家族に連絡をするから、連絡先を教えて」と携帯を差し出す人がいた。

すごい!!!この連携プレ-。
みんなが一般人で、多少の救急救護の知識があるにせよ、この手分けした無駄のない対応はなんだろう???

気がつくと、とある女性が「これ、使って。今、買ってきたばかりだから」とペットボトルのお水を持ってきてくださった。
「ありがとう」と受け取ると、「私も」「ここにもあるから」「置いておくわね。使ってね」「足りる?足りなかったら、買って来るわ」と、あっという間に私の周りに20本ぐらいのペットボトルが置かれていた。

お水を使うまでもなくウェッティを使っていたのだけど、とにかく出血が止まらないのと、男の子が泣いているのとで、お母さんは段々表情が固くなってきた。

そこへ、道路の真ん中に車をクイッと止め、ス-ツをキチンと着こなした白人男性が歩いてきた。

I'm a doctor

ええええ?本当にこんなことが起きちゃうの?
その男性は、男の子に「いくつ?びっくりしたね。大丈夫だよ」と話しかけ、お母さんに「痛いところは?アレルギ-はある?既往症は?いくつですか?あなたの子供?」などと簡単に質問をして様子を見ていた。
そして、ス-ツの上着を脱いでお母さんの様子を診ようとした時に、ご家族に電話をした女性が男の子に一生懸命に話しかけ始めた。

「偉かったわ。さっき、パパに話したわよ。あなたは我慢強くていい子だったって。本当にあなたは偉いわ。勇気があるわ。強いわ。本当にいい子ね」

男の子は泣くじゃくるばかりだったけれど、お母さんはその言葉に少しずつ落ち着きを取り戻したようだった。

「もうすぐパパが来るから。その時は胸を張って抱きつくのよ。わかった?パパにはあなたは偉かったって伝えたから」

お母さんは外傷はなかったのだけど、体を起こしているのが辛いようだったので、あたしが両手でお母さんの上半身を支えていた。
そのまま道路に寝てしまったほうがいいのかもしれないけれど、頭を動かさない方が良いと思ったので、「支えててもらえる?」と頼まれたのだ。


そして程なく救急隊の人が3人来たんだけど。。。
これが日本とは全く違う。

普通に歩いてやってきた。
日本のように、ドタバタと走って「どいてください!」「離れて!」「おい、そこ!」なんて言葉は全くなく、普通に歩いてきて、道路に救急セットを広げた。
そして、とても穏やかに

「頭は痛いですか?自分で寝られますか?どこか痛むところはありますか?」

と質問し、先ほどの通りがかった医師が自分が聞いたことを引き継ぎして、そのまま帰ってしまった。

あ・・・と思って周りを見たら、いつの間にか交通整理も婦人警官に代わっている。一般人から引継ぎを受けたそれぞれのプロが、見事に現場をコントロ-ルしていた。


そして、消防車が来たのだけどとにかく道が詰まっていて動けない。
すると、道路の端にいた男性が

「おい、お前だ、どけよ!消防車が通れないじゃないか!」

と1台1台に言って、道を開けさせた。
その消防車は、広い9番街に斜めにクイッと止め、本当に通行止めにしてしまった。

そのうちにお母さんは道路に寝かされ、泣き出してしまった。

そんな9番街の暑いアスファルトに寝転ぶことがあるなんて・・・

なんで、こんな事になってしまったのだろう???

どうして、私なのかしら?

いろんな思いがあったんだと思う。声を出して泣き出してしまった。


そしてお父さんがもう一人の子供を抱きかかえて、歩いて来た。
タクシ-のドライバ-は I'm sorry と言ったきり、心配そうに親子を覗き込んでいたけれど、お父さんは状況が理解できずにそこに立っていただけだった。
救急隊の「お父さんですか?」の質問に「はい」と答え、「どこにいました?」「すぐそこでお茶を飲んでいました」と言ったきり、黙ったままだった。

日本だったら。。。

お父さんはドライバ-に怒鳴るかも知れない。
それも汚い言葉で、相手をののしるような言い方をするかも知れない。
その周りでは、「あたし、一部始終をみてたのよ」と半ば興奮気味に声高に喋る人もいるかもしれない。

あたしはお母さんの手を握ってそばにいたのだけど、救急隊の人から「もう、大丈夫だから。ありがとう」と言われて、あとはお任せすることにした。
中腰でいたので、帰ろうと立ち上がったら足が痛い。
ん?

アスファルトに中腰でいたので、膝小僧周辺を軽くやけどしたみたいだ。
「このペットボトルのお水、ひとつもらっていい?」と救急隊に聞いたら、「我々も持ってきたから、良いよ」と言ってくれた。
すこし温まって来ていたけれど、膝小僧を冷やすには十分の冷たさだったので、1本いただいて、それを膝小僧に当てて応急処置(笑)。

ストレッチャ-に乗せられたお母さんが救急車で病院に運ばれたのを見届けて、50丁目の地下鉄の駅まで歩いたのだけど・・・

現場にいた人たちのネットワ-クと言うか、連携プレ-は本当にすごかった。自分に出来ることをそれぞれが自分で探して物事に当たる。
そして、それを当然のこととして捕らえて、何も言わずに現場から立ち去る。
何と言う社会だろう。



例えば、あたしはそこに知り合いもいなくて、ここで何か事件に遭ったとしても頼れる人がいないとする。
それでも、「あたしは一人なんだ」と思った事がない。
どこかで社会と繋がっているような、連帯感?安心感?がある。
それはきっと、こういうところなんだと思う。
見ず知らずの人でも、必要な時には手を差し伸べてくれることが分かっているから?それも、決してでしゃばらず、程よいところまで。
すごいわ、本当にすごい!


そして、メトロカ-ドを買ってバスに乗ってセントラルパ-クに向かっていた時に思い出したこと。
あたしが手術をしなければいけないと言われたとき、日本で手術をしようとはまったく考えなかった。「手術して摘出しましょう」と言われた次の瞬間に、「アメリカで切ろう」と決めた。
それはもしかしたら、叔父と叔母のツテで病院の心当たりがあったからかもしれないし(叔父は年中、病院に救急搬送されていたし、叔母はサンディエゴで看護婦をしていた)、友達もその時は研修でアメリカの病院にいたし、医療費がいくらかかるのかとは別の次元で、日本で手術しようとは思わなかった。
その時はなんとも思わなかったけれど、普通に歩いてやってくる救急隊と言い、温かい笑顔で子供に話しかけていた通りがかりの医師の姿といい、無意識のうちにアメリカと日本の医療のあり方の違いを感じていたのかもしれない。

いろんな角度で、「人が人としてあるべき姿」を見たような気がした出来事でした。



ところで。
アメリカの女性は体格が良いでしょ。
その女性の体を支えていたわけで・・・当然のように、四十肩が痛み始めました。バスで冷房で冷やしてはいけないと、厚めのパ-カ-をすっぽりかぶっていたけれど、やっぱり痛くてお買い物はあまり出来ませんでした。

コジマ先生、お願いしますだ。
冬にまたNYに行くので、その前にこの肩をなんとかしておくれなまし。
でないと、お買い物もままならないし、もしかしたら救急救護も出来ないかも知れませんでしだ(笑)。
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8月21日<2009年夏のNY・・・その1>

2009年08月21日 | New York
帰りたい~♪

戻りたい~♪

まだ日本復帰2日めだと言うのに、すでに「あの日に帰りたい」あたし。
そのぐらい、メチャクチャ充実してました。

さすがに18回目のNYとなると、正直言って飽きる。
なぜ、また、来ちゃったんだろう?と思うこともある。
成田を出て、NYに着くまでの間に「あと、何回、こんなことを繰り返すのだろう?」と思うこともある。
それでも・・・

NYに着いて、マンハッタンを歩いているだけで自然に笑顔になっている自分に気がついて、

「これだから、やめられないのよ。NYに来ちゃうのよ」

と、思う。

あの、空気・音・気温のすべてが「これでなくちゃ」と思わせる何かがある。

今回は最初の2泊はNJにいたので、荷物を置いてからバスでマンハッタンに出た。この前NJに泊まったのはテロの後の年末年始だったからかれこれ8年前?

「バスはポ-ト(オーソリティー)の2階から出ますよね?」

「それが4階に変わったんですよ」

「え?確か、203ゲ-トじゃなかったでした?」

「406になったんです」

「へえ・・・」

さすがに8年も経つと色々と変わる。

「99Sのバスは?」

「99Sはずっと先のほうにバス停が移動したので、123の方が便利ですよ」

99Sは一番近い道を通っているので、あまり渋滞に巻き込まれることもなく早い。その代わり、123よりも少しだけ運賃が高かった。当時で99Sが$2.25で、123が$1.75だったかな。

それで123でマンハッタンに出る事にしたんだけど、「昼間は1時間に1本ですから、気をつけてくださいね」

「え?1時間に1本?」

「だって、昼間は乗る人がいないから、それで十分でしょ?ラッシュの時さえ、バスが走っていれば良いんですから」

確かに・・・
そして時刻表を見ていて気がついたのは、朝8時台のバスだとマンハッタンまで20分ぐらいで走っているのに、昼間は40分ぐらいかかるようだ。

「ああ、それは道が込んで渋滞するから、遅れる分を計算して時刻表を作っているんですよ」

なるほど~!!!
日本のように、ラッシュ時も昼間のスイスイ走れる時間帯も同じ所要時間で時刻表を作るのではなく、その時間帯の道路状況にあわせて時刻表を作っているのだ。さすがアメリカ!!!


久しぶりに乗った123のバスは新型車両に変わっていて、快適だった。
そして、バス代は$2.25に値上がりしていた。

ハドソン川を渡る(トンネルだけど)のだから、$2.25でも安いかな?
そういえば、トンネルはいくらだろう???
8年前は$5だったかな?
今は$8になっていた。

毎日、車で通勤するとして、朝、$8を払ってマンハッタンへ行く。
それって、高いのか、安いのか。
交通費が毎日$8。高いような気がするけど。

ガソリンは、NJで1ガロン$2.98だった。
去年の冬が$4を越えていたから、かなり安くなったよね。

それでも・・・毎日、なんだかんだと小銭を使って通勤しなければいけないことを考えると、通勤費もバカにならないなあ。

そんなことを考えながら、マンハッタンに着いてバスタ-ミナルへの専用道路を走っていると、

「ああ、来ちゃった」

と思う。

そしてそのまま、NYへ着たら「お約束」の46丁目×9丁目のYUM YUMにランチを食べに行った。
NYに着いたら、最初のランチはここと決めている。
それぐらい、好きだ。

いつものパッタイに春巻きとアイスコ-ヒ-のランチセット($6.95)にピ-ナツドレッシングたっぷりのサラダ($2.35)を追加して、満足してお店を出た後に遭遇した事件・・・

これぞ、アメリカ!!!!

と思う出来事に、いきなり遭遇したのでした。
この事件は、明日、お話します。

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