幼真の雑文

Osanai Makoto no zatsubun

「大正堂」その2

2012-04-06 | 小説


 斉藤はライターの炎を噴き上げ、ドアを閉め、シャッターを下ろし、菊田を外まで誘導した。

 ところで先輩、どうしてあんな缶詰を発想したんです。
 ああ、あの缶詰?一種のタイムカプセルといったところ。
 なんだ、そうだだったんですか。
 安心した?
 ええ、まあ。
 単純なやつ。
 で、大正堂でどのような研究を?
 ――あそこではね。
 斉藤はライターを消すと足を滑らせた。
 おっと、デカイナメクジでも踏んじまったようだな。
 デカイナメクジですか?
 ああ、二〇センチばかりのやつをね。
 菊田は怯えた。

 ところでシャッターに鍵をかけました?
 いや。
 大丈夫ですか?
 そういえば、先週、ひどく荒らされたんだよ。
 じゃ、どうして鍵を掛けないんです?
 今日は勝手に進入したら、おシャカだよ。
 もしかして爆弾か何か?
 まあ、そんなところだ。ほら急ぐぞ。

 斉藤は急ぎ足で菊田を先導した。

 オマエ、歩くのが遅いぞ。
 先輩が速すぎるんですよ。
 自分の体を科学すればいいんだよ。
 どういうこと?
 やや前かがみになるだろ、そして腰をひねりながら、一歩足を大きく踏み込む、それだけだ。
 それにしても、この辺り、ほとんど灯がついていませんね……。
 連中の仕業だよ。
 連中って?
 デロイドだよ、奴らは家を破壊したり、水道管に汚水を流し込んだりしてねえ。
 なんです?そのデロイドって。
 デロイドってのは、超模範的な連中の事だよ。
 どうしてそんな連中が模範的なんです?
 ヤツらからみれば、この区域はカスかゴミなんだろうよ。
 まったく知りませんでしたねえ、そんな存在があるとは……。
 そりゃオマエが知らないのも無理もないよ。デロイドっていうのは八十年程前の工学的な専門用語だったんだけど、その後、差別用語となって、今じゃ死語っていうかね。
 どうしてまた差別用語や死語に?
 デロイドは人工的な体外受精児だから、デロイド自身がデロイドだと気付かないようにするために、育ての親からデロイドだとは聞かされていないんだよ。それで禁止用語にしたらしいのだとか。
 何故、デロイドがつくられたんですか?
 ある時代に、幹細胞による卵子の異常が世界規模に拡がって、子供の人口が急激に減少したことから逆に精子が開発されてデロイドの誕生となったらしいよ。
 よくわからないけど、そうだったんですか……。でもどうして、デロイドがあんな過激な事を?
 デロイドは知能が高いと云われているけど、おそらく個人としての意志はあまりないな。
 と、いうと?
 誰かに記憶をいじくり回され、制御されているんだろう。
 制御?
 ああ、世の中の学力のある素直な連中ってのは、多かれ少なかれ国家によって制御されているじゃない。
 それじゃ、僕もデロイドなんですかね?
 オマエのレベルじゃ、どうかな……。
 しかしデロイドとは妙な存在ですね。
 少数の権力者の意図だろ。おそらくな。人間は神様によって造られたと信じているが、神様は人間が造った存在だから、人間も人間が造ったって事になるだろ?
 つまり、人間の創造主ってのは……人間ということに?
 そう、人間ではあるけれども、その人間は俺達のような姿や形はしていないだろうよ。
 もしかすると先輩は頭脳明晰だから、デロイドかもしれませんね。
 ――実はそうなんだ。
 やっぱりね。菊田は苦笑した。
 心配するな、俺は天職をプログラムされていないから、ただの人間だよ。
 天職ってプログラムだったんですか?
 だと思うよ。
 アインシュタインは?
 やつは異星人のデロイドだよ。
 しかし、デロイドに停電を命令するっていうのも、せこい話しですよね。
 住人を立ち退かせるための策か何かだろう。
 それにしても、こんな状況下で人が住めるもんなんですね。
 オマエ、気付かないのか?よーくみて見ろ――全て空家だよ。
 そ、そう言われてみればそうですね~。
 菊田は辺りを見直してゾッとした。

 ちっと小便してきます。
 こらこら、品のない奴だなあ、便所はあっちあっち。
 どこですか?
 ほら、そこの公園の中に公衆便所があるだろ。
 でも真っ暗ですよ。
 俺もつきあってやるよ。

 菊田が小便を始めると斉藤がライターをつけた。
 おお、なかなかご立派なもんですな。
 火を消してくださいよ。
 そこのドアの中に三本足がいるようだから、じゃあな。
 ま、待ってくださいよ~ひどいなあ先輩は……。

 菊田はチェックを上げながら便所から出て来ると、斉藤が裸体の彫刻に炎をかざして眺めている。

 こういう物って、こういう公共の場所によくあるだろ?
 それがどうかしたんですか?
 どうしてケツやオッパイ見せなきゃならないのかといつも思っていてね。
 そういえばそうですよね……。
 困るんだよな……こういうの。
 困るって?
 ボッキするからだよ。
 ボッキ?

 斉藤は彫刻によじ上り、彫刻に抱きついて胸や尻を撫ではじめた。
 先輩がそうやると彫刻が生きてきますね……。
 そうか、こういうものは、そのためにあったのか……。
 それはないと思いますよ。
 こういう彫刻はあんがい、権力者どものたくらみかもしれんな……。
 何のために?
 繁殖効果のためにだよ。
 二人は公園を出て、コンクリート屏が連なる細い路地に入った。

 アパートを出るとき何の話の途中だったっけ?
 ……ええっとう、先輩の大正堂での研究のことでしたっけ?
 ああ、そうだったな……地球のクローン化の研究だよ。
 地球のクローン化ですか?
 そうだ。
 そんな事って可能なんですか?
 ああ、勿論可能だよ、理論的にはね。
 何故、そんな研究を?
 我々は他の惑星への移住計画にはことごとく失敗しただろ?
 ええ、まあ……。
 つまり新天地を求めて宇宙を探し廻るのは古い発想だろ?
 古いんですかね……。
 それに生存するために動き廻る生物ってのは下等なんだよ。
 下等なんですかね……。
 つまり、今の人類じゃ滅びやすいって事さ、要は移動せずに根を張って生きている植物は高等だってことだ。
 そうなんですか。
 イチョウなんて二億年ほど前から存在しているらしいしね。
 しかし、地球のクローン化は違法なんじゃないですか?
 じゃ訊くが、最先端の科学研究で合法化されたものって聞いた事があるのか?
 研究はそうですけど、内容によっては社会秩序が乱れますよきっと。だって先輩がさっき、のようなことを言ってたじゃないですか、最先端の科学実験をする前には善悪概念が不可欠だって。
 ああ、たしかに言った。それじゃあ、スペースコロニーなら秩序が保てるとでもいうのか?
 僕は議論が苦手ですからやめましょうよ。

 斉藤は鋭い目で菊田を睨んだ。
 この計画をオマエが知った以上は、組織の一員も同じなわけだから、裏切りは絶対に許されないんだよ。
 な、なんです突然。もしかして、この計画を口外したら僕は殺されるんですか?
 いや、そんな甘いもんじゃない。オマエの脳は完全にコントロールされる事になる――な。
 そ、それじゃ僕はデロイドと同じじゃないですか。
 馬鹿だな、安心しろ。オマエが地球のクローン化を誰かに告げ口したとしてもだ、誰も信用してくれるはずがないだろうに。斉藤は苦笑した。
 この話し、ほんとに本当なんですか?
 オマエってほんとに推察力に欠けるよな。
 そうですかね?
 もしもこの研究開発がほんとに極秘だったら、俺がオマエに話した時点で、俺はこの世に生きていられるはずがないだろうに。
 それも、そうですね。



 二人は、寂れ果てた商店街の一角に出て、そこを通り過ぎ、真っ暗な隧道の前に差し掛かった。するとその時、無造作に並んでいるゴミバケツの中からイビキ声が響いてきた。
 菊田は怖じ気づいて言った。何です、あれ?
 れいの三本足かもしれんな。
 まさか~。
 気にするなよ。
 襲われたらどうします。
 オマエ何か護身術は?
 いいえ、まったく。
 それなら駆け足は?
 あまり自信は。

 斉藤が突然、ライターの炎を最大に上げた。
 脅かさないでくださいよ~。
 連中は火を怖がるからね。
 そうだったんですか。
 おそらくバケツの中で寝てる連中はただの宿無しだよ。安心しろ。
 どうしてわかるんです?
 三本足は火に敏感だからね。

 隧道の壁に貼られたポスターにライターの灯りがあたり、菊田はそれを見て言った。なんだろう?このポスター。
 人魚講座だろ?

 斉藤はライターを消すと先を急いだ。

 何です人魚講座って?
 人魚に成れるってことだよ。
 まさか。
 それなりに科学的な根拠があるらしいよ。
 どんな?
 つまり、人とイルカって同類なわけで、イルカのような呼吸方法を習得すれば、水の中で仕事も生活も出来るようになるって事だよ。
 人とイルカと同類なんですか?
 ああ、同類も同類さ。
 どうして?
 イルカは猿と違って、体毛が薄いし、それにお互いが向き合って交尾をするからね。
 へえ、なるほど、それで、どんな人が人魚になるんだろう?
 質問の多いやつだな、行くぞ!あまり時間がないんだ。
 
 菊田は斉藤の後を追い掛けながら言った。
 先輩、ちゃんと答えてくださいよ……。
 あれは、水族館の人魚ダンサーの求人募集だよ。
 求人?なあんだ……。

 斉藤は隧道の三叉路に立ち止って、菊田の方に振り返った。
 今度は何です?菊田は怯えた声で言った。
 どっちを行こうか。
 どっちって?
 やはり左にしよう。
 こんな真っ暗なとこ通れんですか?
 ここからだと大正堂までは、うんと近くなるんだ。
 そんな馬鹿な……。
 疑ってるのか?
 先輩の冗談好きは充分わかってますからね。

 隧道の中に入ると、二人の話声と靴音と水の滴る音が混ざり合って響いている。

 ここは昔、下水路や防空壕だったらしいよ。
 そういえば少し臭いますね。
 こりゃ下水の臭いじゃない。霊魂の臭いだよ。
 霊魂って?
 幽霊だよ。
 幽霊に臭いがあるんですか?
 知らないのか?
 じょ、冗談はやめてくださいよ~。
 オマエ、もしかして幽霊の存在を信じてないの?
 見たことはないですけど、どちらかと言えば信じている方かもしれません。
 実を言うとね、俺には見えるんだよ。
 幽霊がですか。
 ああ。
 そ、そんなおっかない声で言わないでないでくださいよ~。
 最初に見た幽霊は、川の土手のところでね。斜に揺れてる女だった。
 斜ですか~。
 それも魚の腐ったような臭いがしていてね。
 へ~。
 そして、その翌日、その川から女の水死体が上げられて、よく見ると、体が豆腐みたいに白く膨れ上がっていて、そして顔面は魚に食いちぎられていて、穴だらけで、それから……。
 そ、それ以上はもうやめませんお願いですから。
 オマエって意外に想像力があったんだね。
 そんな話しより、早く此処を出ましょうよ。

 斉藤は立ち止まり後の方を振り向いて言った。まいったぞ、ほらっ、幽霊が束になってこっちに駆けてくるぞ。
 え~っ、そ、そりゃないですよ~。
 オマエ、何でもいいから何かお経あげられるか?
 は、はい。
 じゃ、走りながら出来るだけ大きな声で頼むぞ、そらあっ!
 斉藤は先に走った。
 ちょ、ちょっと、待ってくださいよ……。なんまいなんまいなんまいなんまいなんまい……。

 隧道を走り抜けると、古いビルがいくつか建ち並んでいる。菊田は真っ青になって倒れ込んだ。
 ……あ~気持ち悪くて吐きそうですよ。
 なんだ、スタミナ切れか。情けない奴。
 ここはどこです?
 顔を上げてよ~くみて見ろ。
 た、大正堂じゃないですか、そ、そんな馬鹿な。
 もしかして、テレポートしたとでも思ってるのか?
 ここって、もう府中?
 そう。近道をして二キロほど短くなっただけのこと。
 なあんだ。
 それじゃ一時間ほど寄ってくるから、そのあたりで待ってろよ。
 そ、それはないですよ先輩。
 あれ、そう言わなかったっけ?
 聞いてませんよ……ほんとに行っちゃうんですか?
 悪い、しばらくの辛抱だから。
 斉藤は大正堂の方へ歩き始めると、菊田が何やら焦り、ポケットを探りながら言った。あッ、あれ、財布がない、どうしよう。
 どうせ暇なんだから戻って取ってくれば?
 嫌だな~。一緒に付き合ってくださいよ~。
 さっきの幽霊の話はすべて冗談だよ。
 ほんとですか?ひどいな……。でも、ちゃんと足音が追い掛けてきましたよ。
 あれは、俺たちの駆け足による反響音だ。
 そうかな……。
 俺、遅れるといけないから。
 ちょっちょっと待ってくださいよ~。こんなところで一時間もですか……。
 そうだッ!
 それじゃ、ライターを置いていってくれません?
 斉藤は菊谷にライターを投げた。

 

 大正堂はかなり古い時代に建てられ、西洋式とも東洋式とも云いようもない中途半端な建物である。斉藤は木造の螺旋階段を五階まで上り、所長室のドアをノックして入った。

 どうも。

 所長は窓を避けるように、不安気に壁よりに立っている。

 何をやってるんです?斉藤は言った。
 君こそ、どうしたんだこんな時間に。
 自宅のバッテリーが不調で端末が使えないものですから……。
 ちょっとそこの小窓から外を見てくれないか?
 はい。
 亜細亜ビルが見えるだろ?所長は言った。
 ……はい。
 そのビルの隣の屋上に何か見えないか?
 アンテナのようなものしか見えませんけど。
 そのもっと右の方に何か小さく時々点滅しているものがあるだろう?
 ええ、あれは追尾灯ですよ。
 追尾灯?
 捜索に使用されている信号灯の事です。
 つまり、この場所は追尾されてるって事なのか?
 というよりも、所長が追尾されている可能性がありますね。
 どうして、この私が?
 もしや、あの計画が知れたとか。
 そいつはいかんな。
 大丈夫ですよ、俺に任しておいてください。というのも俺の後輩で役に立ちそうな奴がいまして――これから会ってみませんか。
 ああ、かまわんよ。
 斉藤と所長は小声で話し合いながら大正堂の入口のドアを開けると、菊田は汗だくになりひどく衰弱している。
 ところで財布はあったのかい?斉藤が言った。
 あ、ありましたありました。それよりもあの中はおっかなかったですよ。
 菊田君、所長を紹介しよう。
 あれっ、もしかして……柳井先生じゃ。
 柳井?斉藤は何のことだかわからず、所長を横目で見た。
 所長は眉間に皺を寄せ、怪し気に斉藤と目を合わせてから言った。
 おーっ、憶い出したよ。君か……。
 先生お元気そうですね。
 まったく、しばらくぶりだね。
 よかったら実験室を覗いてみないか?斉藤が言った。
 菊田は斉藤と所長の無気味な笑みに怖じ気づき、と、とんでもありません。お邪魔しても何ですから、また今度にしますよ。
 まあいいじゃない遠慮するなよ。斉藤は菊田の肩に手を回した。
 どうだね君、我々の計画に参加してみる気はないかね。
 どのような計画なんです?
 それは見てのお楽しみ。斉藤が言った。
 僕には先輩たちのような知識も技能もないですから。
 そんな事はないさ、オマエには資質がそなわっている――ですよね所長。
 ああ、そうともそうとも。

 了



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