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自然に学ぶ粋なテクノロジー なぜカタツムリの殻は汚れないのか

2009-02-09 23:32:45 | このブログについて・お知らせ
いろいろなことを教えてくださっている先輩方が、偶然にも、おふたり同時に読んでおられ、紹介してくださった本です。(すごいシンクロ!)
やはり読書好きの知り合い(こちらも環境の勉強仲間)が、たまたま「江戸時代の粋」という言葉を「住まい」という観点で語っていたことを思い出し、早速紹介。
建築と住まいという観点か意見を聴くのが楽しみです。

帯にはこうあります。

今わたしたちがつくり上げなければならない「ものづくりや暮らしのかたち」とは、生活価値の負可逆性を肯定し、同時に循環型社会をつくるということである。
そしてこの二つが二項対立しないためには、物欲をあおるテクノロジーから、自然感をもった精神欲をあおるテクノロジーへ移行しなければならない。
自然の完璧な循環を基盤とするこの精神欲をあおるテクノロジーこそが「ネイチャーテクノロジー」なのである。(本文より)

この「精神欲」という言葉を読んだときに、「ぴったりくる言葉がみつかった!」と嬉しく思いました。なんだかとてもいい言葉だと思いませんか?「精神欲」って。
と同時に、話は少し飛躍しますが、社会そのものが、パラダイムシフトする中、激動する広告放送においても、こうした「物欲」から「精神欲」へのシフトが必要なのではないか・・などと思いました。

それにしても「文明崩壊」の中で、数少ない崩壊しなかった文明として紹介されていた江戸時代。
本書でも「江戸は当時、世界最大の人口をもち、世界一の識字率で、衛生環境も世界一であった。長い目でみれば、その技と蓄積があったからこそ、日本は今も技術立国で暮らせているのである」とあります。

更に「江戸時代は、高度に熟成された日本人のもつ自然観が、テクノロジーと融合し庶民のものとなった、おそらく世界でも極めて特殊な形態を生み出したのである。」と。

そして著者は、「江戸時代の粋」を「日本人がつくり出した持続可能性社会のための文化」として、さまざまな例をあげて説明し、「江戸時代にもどることはできないが、江戸時代から学ぶことは多い」と主張しています。

それにしても「粋」という言葉の奥深さ、著者の洞察の深さに、目から鱗の一冊です。紹介してくれた先輩に感謝!!

自然に学ぶ粋なテクノロジー なぜカタツムリの殻は汚れないのか (DOJIN選書22) (DOJIN選書)
石田秀輝
化学同人

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■江戸時代が崩壊しなかった文明として紹介されている「文明崩壊」
文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)
ジャレド・ダイアモンド
草思社

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