2004年4月4日。
午前5時26分。
昨日の服を着たまま寝てしまった私の耳元で、携帯電話がなった。
数日前に着メロ設定したばかりの美しい曲。
表示された発信元は「軽井沢病院」。
彼の危篤を知らせる電話だった。
私はこの電話が永遠に来ないことを祈っていた。
でも、時間は止まってはくれなかった。
服も着替えずに車に向かう。
外は春だというのに一面の雪。
この天も地も分からないような日に、あなたは空に帰っていくのね・・・
病院なんかに行かず、このまま雪の中に消えてしまいたかった。
病院に着くと、彼の家族はまだ来ていなかった。
「耳はね、最後まで聞こえているから、呼んであげて」
看護婦さんにいわれるままに、声をかける。
「もうすぐお母さんたちも来るから、頑張るんだよ!!」
たしかに頷いた。
彼の耳はまだ聞こえている。
ベッドの横に座り、私は彼に話し続けた。
「ねぇ・・・。私、あなたの気持ちずっと分からなかった。何を考えているか分からなかった。こんなに体悪くしてまでパチンコや麻雀やって。最低の男だって思ってたよ。私にいっぱい迷惑かけて、どうしようもない男。でも、私には最高の男だった。愛してるよ・・・・」
今までどうしてもいえなかったことを伝えた。
今、いわなかったら後悔すると思った。
彼はすでに下顎呼吸に変わっていた。
「生まれ変わったら・・・・」
私は最後の言葉を飲み込んだ。
約束はしないよ。
約束は相手を縛るものではなく、相手を信じるためにするものだから・・・
約束を破るのが得意なあなただものね。
もう悲しい思いをするのはたくさん。
前日、私は彼に会っていない。
彼の別れた娘さんが九州から来るということで、私は看病休みをもらっていた。
昼過ぎに電話がかかってきた。
もう呂律の回らない口で「ありがとね・・・ありがとね・・・」ばかりをくり返す彼。
いいんだよ、もういいの・・・・
それが彼の声を聞いた最後だった。
きっと彼は命を振り絞って、一生分のありがとうをいってくれたんだろう。
穏やかに息を引き取った彼を見送るために外に出る。
入院した時のように、正面玄関から元気になって出てほしかった。
あんなに帰りたがってた家にやっと帰れるね。
でもあなたの魂はもうこの世にはない・・・
外は朝と変わらず雪が降り続いていた。
卯の花のような雪。
ひとひとりの命が失われても何も変わらない。
時の流れも、ひとの生活も、そして私も。
その事実が重く、悲しかった。
この日からすでに3年近くの時が流れた。
あなたの名前が会話に出なくなってどれだけたつんだろう。
忘れられてゆくひと。
埋もれてゆく記憶。
でもね、私はあなたを忘れたことなんてないよ。
生まれ変わったらまたあなたを愛すとは限らないけど、私が生きている限り心のどこかであなたを愛し続けているよ。
あなたは私の手を離してくれたんだね。
自由に飛びたがっていた私。
あなたといる限り、幸せにはなれなかった私。
でも、どんな不幸になっても一緒にいたかったよ。
今やっといえる。
さよなら。
きみからのさよならわれのさようなら遠き地平にやっと重なる