<東京時代まつり(2)から続く>
次は「きれいどころ」の登場です。

↑江戸芸者
浅草花柳界の芸者さんたち。もちろん本物です。そろいの黒紋付を着てずらりと並んだ芸者さん、実に華やかでした。

↑おいらん道中
待ってました! 東京時代まつりの目玉とも言える「おいらん道中」。昨年は残念ながらこれがなかったのですが、今年こそはと楽しみに待っていました。
「おいらん」は「花魁」と書きます。花に魁ける、つまりどんな花よりも美しく華やかな存在だというのです。吉原遊郭のなかには3000人とも言われる数の遊女がいたそうですが、その遊女すべてが「花魁」と呼ばれていたわけではありません。一口に遊女と言っても様々な位があり、位が変われば呼称も異なります。吉原の遊女たちのなかで「花魁」は最高位にあり、容姿・教養・芸事すべてに秀でた女性しかなれなかったのです。当然、お客も大名や豪商などが中心で、普通の人はなかなか会うことができなかった存在です。京都の島原では「太夫」と言いますが、吉原の花魁と島原の太夫では、髪型や着付けなど様々な点でちがいがあります。
花魁の髪型は「横兵庫」というもので、大きな髪にべっ甲のかんざしが何本も飾られています。体の前で結んだ大きな帯には豪華な刺繍が施されています。着物は裾に綿がたっぷり入ったものを何枚も重ね、やはり豪華な刺繍が入った打掛を着ます。足は冬でも常に素足で、花魁道中の時には高い下駄を履き「外八文字」という独特の歩き方をします。島原ではこれが「内八文字」になるそうで、面白いです。
花魁道中の先頭は、店の名前の入った提灯です。提灯には「仲之町 松葉屋」と書かれています。

松葉屋は、吉原遊郭の「大見世」です。遊郭が廃止された後は料亭として営業を続け、近年では「はとバス」のコースにもなり、江戸名所のひとつとなっていました。しかし時代の流れか、今は営業をやめてしまったそうです。松葉屋が閉じてしまった今の吉原に、江戸時代の面影を残すものはありません。
花魁の名前が入った大きな提灯、遊女見習いの少女・禿(かむろ)に続いて、いよいよ花魁の登場です。店の名前の入った大きな傘を差しかけられ、男衆さんの肩に手をのせた花魁が、「外八文字」でゆっくりと歩いてきます。男衆さんは「吉原つなぎ」の柄の浴衣に、手ぬぐいを「吉原かむり」にしている、粋な格好です。花魁の後には新造が続きます。
美しい絵巻物を見ているかのように華やかで、そこだけ時間の流れが止まっているように感じられました。

この後、新撰組や徳川慶喜も通ったのですが、花魁道中に見とれているうちに脇を通り過ぎて行ってしまいました……。
そして時代は明治へ。「江戸」は「東京」となり、大きく変わっていきます。

↑黒船来航

↑明治維新

↑樋口一葉
行列の締めくくりは「奥山風景」。浅草寺の裏手はかつて「奥山」と呼ばれ、多くの見世物小屋や大道芸人が出てにぎわっていました。その様子を表し、面売り、三河万歳、獅子舞などが続々と通りました。

↑面売り

↑三河万歳

↑獅子舞
そしてこの後も浅草は、六区興行街に芝居小屋や寄席、活動写真小屋などが多く立ち並び、東京の娯楽の中心地として栄えました。

この少し前に、京都の時代祭を見物してきた私。
歴史上の出来事というのは、立場や見方が変われば解釈もまた違ってきます。一口に「時代行列」といっても、京都・東京でそれぞれの特色が出ていて面白いです。
江戸は京都に比べるとたしかに歴史は短いですが、短い間にこれだけの発展を遂げただけあって、様々な面で凝縮されているというか、一種のパワーを感じます。
京都の時代祭ももちろん楽しいのですが、東京の時代まつり行列は、歴史上の人物から芝居の登場人物、本物の芸者さんまでバラエティーに富んだ遊び心のある構成で、京都の時代祭とはまた違った楽しみ方ができました。
次は「きれいどころ」の登場です。

↑江戸芸者
浅草花柳界の芸者さんたち。もちろん本物です。そろいの黒紋付を着てずらりと並んだ芸者さん、実に華やかでした。

↑おいらん道中
待ってました! 東京時代まつりの目玉とも言える「おいらん道中」。昨年は残念ながらこれがなかったのですが、今年こそはと楽しみに待っていました。
「おいらん」は「花魁」と書きます。花に魁ける、つまりどんな花よりも美しく華やかな存在だというのです。吉原遊郭のなかには3000人とも言われる数の遊女がいたそうですが、その遊女すべてが「花魁」と呼ばれていたわけではありません。一口に遊女と言っても様々な位があり、位が変われば呼称も異なります。吉原の遊女たちのなかで「花魁」は最高位にあり、容姿・教養・芸事すべてに秀でた女性しかなれなかったのです。当然、お客も大名や豪商などが中心で、普通の人はなかなか会うことができなかった存在です。京都の島原では「太夫」と言いますが、吉原の花魁と島原の太夫では、髪型や着付けなど様々な点でちがいがあります。
花魁の髪型は「横兵庫」というもので、大きな髪にべっ甲のかんざしが何本も飾られています。体の前で結んだ大きな帯には豪華な刺繍が施されています。着物は裾に綿がたっぷり入ったものを何枚も重ね、やはり豪華な刺繍が入った打掛を着ます。足は冬でも常に素足で、花魁道中の時には高い下駄を履き「外八文字」という独特の歩き方をします。島原ではこれが「内八文字」になるそうで、面白いです。
花魁道中の先頭は、店の名前の入った提灯です。提灯には「仲之町 松葉屋」と書かれています。

松葉屋は、吉原遊郭の「大見世」です。遊郭が廃止された後は料亭として営業を続け、近年では「はとバス」のコースにもなり、江戸名所のひとつとなっていました。しかし時代の流れか、今は営業をやめてしまったそうです。松葉屋が閉じてしまった今の吉原に、江戸時代の面影を残すものはありません。
花魁の名前が入った大きな提灯、遊女見習いの少女・禿(かむろ)に続いて、いよいよ花魁の登場です。店の名前の入った大きな傘を差しかけられ、男衆さんの肩に手をのせた花魁が、「外八文字」でゆっくりと歩いてきます。男衆さんは「吉原つなぎ」の柄の浴衣に、手ぬぐいを「吉原かむり」にしている、粋な格好です。花魁の後には新造が続きます。
美しい絵巻物を見ているかのように華やかで、そこだけ時間の流れが止まっているように感じられました。

この後、新撰組や徳川慶喜も通ったのですが、花魁道中に見とれているうちに脇を通り過ぎて行ってしまいました……。
そして時代は明治へ。「江戸」は「東京」となり、大きく変わっていきます。


↑黒船来航

↑明治維新

↑樋口一葉
行列の締めくくりは「奥山風景」。浅草寺の裏手はかつて「奥山」と呼ばれ、多くの見世物小屋や大道芸人が出てにぎわっていました。その様子を表し、面売り、三河万歳、獅子舞などが続々と通りました。

↑面売り

↑三河万歳

↑獅子舞
そしてこの後も浅草は、六区興行街に芝居小屋や寄席、活動写真小屋などが多く立ち並び、東京の娯楽の中心地として栄えました。

この少し前に、京都の時代祭を見物してきた私。
歴史上の出来事というのは、立場や見方が変われば解釈もまた違ってきます。一口に「時代行列」といっても、京都・東京でそれぞれの特色が出ていて面白いです。
江戸は京都に比べるとたしかに歴史は短いですが、短い間にこれだけの発展を遂げただけあって、様々な面で凝縮されているというか、一種のパワーを感じます。
京都の時代祭ももちろん楽しいのですが、東京の時代まつり行列は、歴史上の人物から芝居の登場人物、本物の芸者さんまでバラエティーに富んだ遊び心のある構成で、京都の時代祭とはまた違った楽しみ方ができました。
