熱も下がったので、数日前から上京していた母と、妹夫婦と食事をするために出かけた。
東京宝塚劇場の地下にある資生堂パーラーでランチを食べた。
ここは、ランチだと結構リーズナブルなのでよい。
ゆっくりランチを食べた後、早稲田の「穴八幡宮」へ。
なぜそんなところへ行ったのかというと、来たるべき節分に備えて「一陽来復(いちようらいふく)」のお守りを買いに行くためである。
この「一陽来復」のお守りは、穴八幡宮で冬至から節分の間に売られるお守りなのだが、これを、節分の日の夜中の12時に、その年の「恵方(えほう。縁起のよい方角)」へ向けて家の中に貼るのだ。
「節分」とはもともと、立春・立夏・立秋・立冬の前日をそれぞれ指していたのだが、そのなかでも特に、一年の始まりとされる「立春」の前日が重要視されていた。この節分と立春の間には、年の変わりめとして、邪気を払うために「追儺(ついな)」の行事が行われるようになった。この「追儺」の行事が、現在でも豆まきとして残っているのである。
このような変わり目の時期には運勢も変わると考え、人々は昔からいろいろな方法で厄を払った。
以前の記事でも書いたが、昔の女性は厄払いのために、節分にいつもとちがう髪型を結ったりしたのである。今でもその習慣は京都の花街で残っていて、節分の日には舞妓さんは普段と違う髪型に結い、芸妓さんたちは、思い思いの仮装をしてお座敷を回る。この仮装の習慣を「お化け」と言って、東京の花柳界でも行われている。
普段とはちがう格好をして、邪気を払おうというのだ。
「厄年」も、立春の日を起点として考える。
そのため、前厄、本厄、後厄の年には、立春の前の節分の日に厄よけ・厄払いをしておくのがよいのだそうだ。
こういった風習も単に気分の問題と思うかもしれないが、それなりに根拠もあるような気がする。
立春を過ぎて日差しが春めいてきたころ、その日差しの明るさとは逆に何となくけだるい、鬱々としたような気分になることがある。私だけかと思って周りに聞いてみたところ、同じような経験をしている人は結構多いことがわかった。
よく「陽気の変わり目」という言い方をするがまさにそれで、季節の変わり目には、体調をくずしやすくなったり、何となく気分がふさぎこんだりするものだ。
だから昔の人は、厄払いのための行事をして、無病息災を願ったり、気分転換をはかったりしたのかもしれない。昔の人はよく考えたものだなあ、と、いつものことながら感心してしまう。
穴八幡宮で一陽来復のお守りを買ったあと、梅が開花したという小石川後楽園へ行ってみた。
たしかに、何本かの木が開花していた。
とくに、紅梅・白梅が並んで開花しているところがあって、とてもきれいだった(写真)。
桜の花よりも梅の花のほうが好きな私としては、これからの時期が楽しみである。
東京宝塚劇場の地下にある資生堂パーラーでランチを食べた。
ここは、ランチだと結構リーズナブルなのでよい。
ゆっくりランチを食べた後、早稲田の「穴八幡宮」へ。
なぜそんなところへ行ったのかというと、来たるべき節分に備えて「一陽来復(いちようらいふく)」のお守りを買いに行くためである。
この「一陽来復」のお守りは、穴八幡宮で冬至から節分の間に売られるお守りなのだが、これを、節分の日の夜中の12時に、その年の「恵方(えほう。縁起のよい方角)」へ向けて家の中に貼るのだ。
「節分」とはもともと、立春・立夏・立秋・立冬の前日をそれぞれ指していたのだが、そのなかでも特に、一年の始まりとされる「立春」の前日が重要視されていた。この節分と立春の間には、年の変わりめとして、邪気を払うために「追儺(ついな)」の行事が行われるようになった。この「追儺」の行事が、現在でも豆まきとして残っているのである。
このような変わり目の時期には運勢も変わると考え、人々は昔からいろいろな方法で厄を払った。
以前の記事でも書いたが、昔の女性は厄払いのために、節分にいつもとちがう髪型を結ったりしたのである。今でもその習慣は京都の花街で残っていて、節分の日には舞妓さんは普段と違う髪型に結い、芸妓さんたちは、思い思いの仮装をしてお座敷を回る。この仮装の習慣を「お化け」と言って、東京の花柳界でも行われている。
普段とはちがう格好をして、邪気を払おうというのだ。
「厄年」も、立春の日を起点として考える。
そのため、前厄、本厄、後厄の年には、立春の前の節分の日に厄よけ・厄払いをしておくのがよいのだそうだ。
こういった風習も単に気分の問題と思うかもしれないが、それなりに根拠もあるような気がする。
立春を過ぎて日差しが春めいてきたころ、その日差しの明るさとは逆に何となくけだるい、鬱々としたような気分になることがある。私だけかと思って周りに聞いてみたところ、同じような経験をしている人は結構多いことがわかった。
よく「陽気の変わり目」という言い方をするがまさにそれで、季節の変わり目には、体調をくずしやすくなったり、何となく気分がふさぎこんだりするものだ。
だから昔の人は、厄払いのための行事をして、無病息災を願ったり、気分転換をはかったりしたのかもしれない。昔の人はよく考えたものだなあ、と、いつものことながら感心してしまう。
穴八幡宮で一陽来復のお守りを買ったあと、梅が開花したという小石川後楽園へ行ってみた。
たしかに、何本かの木が開花していた。
とくに、紅梅・白梅が並んで開花しているところがあって、とてもきれいだった(写真)。
桜の花よりも梅の花のほうが好きな私としては、これからの時期が楽しみである。