今日は、三宅坂の国立劇場で行われた京舞の会を観に行ってきた。
文化庁芸術祭のオープニング公演で、祇園甲部の舞妓さん芸妓さんによる「東山名所」、京舞井上八千代家元による「弓流し物語」、歌舞伎役者で人間国宝の中村鴈治郎丈による地唄「雪」の舞、そして締めは、祇園甲部に伝わる「手打(てうち)『廓の賑(くるわのにぎわい)』」という、豪華な演目だった。
「手打」というのは、もともと、京都で歌舞伎の顔見世の際に贔屓(ひいき)筋がおこなった「手打式」が始まりで、上方独特の風習だそうである。
顔見世での手打はしだいに廃れてしまったが、それが祇園町に伝えられた。
現在も、お祝いの席などで披露されているという。
黒紋付で、頭に手ぬぐいをのせた芸妓さんたちが、手に拍子木を持って打ちながら、おめでたい歌詞で囃し舞う。
東京でいうと、浅草の芸者さんたちがやっている「手古舞(てこまい)」と鳶頭(かしら)がやっている「木遣り(きやり)」を足して2で割ったというような感じだろうか。
舞妓さんによる京舞は、今は観光客でも観られるところがあちこちにあるが、「手打」は普通はめったに見られるものではない。
私は、平成10年にやはり国立劇場で行われた京舞の公演で一度この「手打」を見て以来、実に6年ぶりである。
中村鴈治郎さんは私の好きな役者さんの一人なので、芝居はよく観ているが、鴈治郎さんの京舞を観るのは初めてだった。
女形としても大活躍されている役者さんなので、やはり身のこなしが美しかった。
地唄「雪」は、悲恋の末に出家した大阪の芸妓の思いを描いた曲だが、今回は京舞の公演なので、京風島田のかつらに、襟(えり)を返した京風の着付けで舞っておられた。
井上八千代家元の舞は、やはり堂々としていて風格を感じるものであった。京舞井上流は、能の流れを汲んでいるので、動きも能の仕舞(しまい。仕舞については、このブログの過去の記事を参照してください)と似ている。表情も作らず、できるだけ無表情にしなければならない。
舞妓さんは、照恵さん、小愛さん、鈴子さん、美帆子さん、照古満さんの5人が出演していた。テレビや雑誌などでも出てくることの多い、豪華な顔ぶれである。
私の好きな舞妓さんは、残念ながら出演されていなかった(マスコミに出てくることはないのだが、かわいらしい舞妓さんで、お座敷ではとても人気がある)。
客席もまた豪華で、皇太子殿下がお見えだったほか、扇千景さん(言わずと知れた、中村鴈治郎さんの奥様である)、福田元官房長官、森喜朗氏など、政界の人物もたくさん来ていた。
もちろん、舞妓さんや芸妓さんの姿もあった(私としては、こちらのほうがうれしい)。
仕事が終わってからでは開演時間に間に合わないので、事前に午後半休を申請しておいた。
14時過ぎまで勤務してタイムカードを押したあと、ロッカー室(あくまでも簡単な荷物置き場なので、本当は着替えに使ってはいけないのだが)で着物に着替えた。
鏡がなかったが、羽織を着てしまえば帯結びは隠れてしまうので、衿(えり)元だけ気をつければよく、意外に楽だった。こういう時、羽織は便利だなあ、とつくづく思った。
しかし、ロッカー室の中はかなり暑かった……。
着替えている途中、2人ほど中に入って来た人がいて、当然のことながら驚かれた。
1人は知っている人だったので、「どうしたの?」と聞かれた。とっさに「きょ、今日はこのあとちょっと用事があるので……」と答えたら、「一体、どんな用事なの??」と、ごもっともな質問が返ってきた(笑)。会社で着物に着替えるような用事って、そうそうないよなあ……我ながらマヌケな答えだった(笑)。
着替えた後、廊下に出てエレベーターに乗って下へ降りるまでに人と会うと面倒だなあ、と思っていたのだが、幸い、人がいなかったので「チャンス!」とばかりにエレベーターホールまで行った。
しかし、タイミングの悪いことに、同じ部署の人が1人向こうからやってきて、気づかれてしまった……。オフィスの中にしては当然めずらしい格好をしているので、わざわざこっちまで来て「どうしたんですか?」と聞かれたが、そうすると却って目立ってしまうので困った……。
まあ、でも、さほど多くの人に見られずに階下まで降りて行けたのでよかった。
別に、着物姿を人に見られるのが嫌だというわけではない。むしろ、着物を着て街を歩いている時は、少し誇らしげな気持ちになる。
しかし、私の勤めている会社がある街は、なぜか、着物を着て歩くとどうしても浮いてしまう感じがするのだ。
上野や浅草や銀座では、着物を着て歩いていても浮いた感じがしないし(人から見られることは多いが)、新宿や池袋でも、意外と違和感がない。
なのに、あの街だけは、どうしても違和感があるのだ。着ている本人もなんだか落ち着かない感じがするし、周りの人の反応も、他の街と違って、本当にめずらしいものを見るような感じなのだ。
やっぱり、昔から芸能人や外国の人、若者などが遊びに来る街だったからだろうか……(それよりもっと昔は、埋葬地だったんですけどね……)。
街の名前は伏せておきますが(笑)。
今度、いっそのこと着物着て会社に行ってみようかな(笑)。
TシャツにGパンがよくて着物がいけないって理屈はないと思うが。
(ちなみに、私と同期で入社した男性社員は、面接の時に「雪駄(せった)履きで出社するのはいいんですか?」と聞いたらしい)
話がそれたが、とにかく今日は、仕事を半日休む価値がじゅうぶんにあった1日だった。
公演を観ながら、「仕事のためにこれをあきらめてたら、絶対もったいなかっただろうなあ……、半日休んで観に来てよかった」と思った。
仕事は翌日でもできるが、今日のこの公演は、今日しかないのだ。
素晴らしいひとときを過ごせて、本当にうれしかった。
文化庁芸術祭のオープニング公演で、祇園甲部の舞妓さん芸妓さんによる「東山名所」、京舞井上八千代家元による「弓流し物語」、歌舞伎役者で人間国宝の中村鴈治郎丈による地唄「雪」の舞、そして締めは、祇園甲部に伝わる「手打(てうち)『廓の賑(くるわのにぎわい)』」という、豪華な演目だった。
「手打」というのは、もともと、京都で歌舞伎の顔見世の際に贔屓(ひいき)筋がおこなった「手打式」が始まりで、上方独特の風習だそうである。
顔見世での手打はしだいに廃れてしまったが、それが祇園町に伝えられた。
現在も、お祝いの席などで披露されているという。
黒紋付で、頭に手ぬぐいをのせた芸妓さんたちが、手に拍子木を持って打ちながら、おめでたい歌詞で囃し舞う。
東京でいうと、浅草の芸者さんたちがやっている「手古舞(てこまい)」と鳶頭(かしら)がやっている「木遣り(きやり)」を足して2で割ったというような感じだろうか。
舞妓さんによる京舞は、今は観光客でも観られるところがあちこちにあるが、「手打」は普通はめったに見られるものではない。
私は、平成10年にやはり国立劇場で行われた京舞の公演で一度この「手打」を見て以来、実に6年ぶりである。
中村鴈治郎さんは私の好きな役者さんの一人なので、芝居はよく観ているが、鴈治郎さんの京舞を観るのは初めてだった。
女形としても大活躍されている役者さんなので、やはり身のこなしが美しかった。
地唄「雪」は、悲恋の末に出家した大阪の芸妓の思いを描いた曲だが、今回は京舞の公演なので、京風島田のかつらに、襟(えり)を返した京風の着付けで舞っておられた。
井上八千代家元の舞は、やはり堂々としていて風格を感じるものであった。京舞井上流は、能の流れを汲んでいるので、動きも能の仕舞(しまい。仕舞については、このブログの過去の記事を参照してください)と似ている。表情も作らず、できるだけ無表情にしなければならない。
舞妓さんは、照恵さん、小愛さん、鈴子さん、美帆子さん、照古満さんの5人が出演していた。テレビや雑誌などでも出てくることの多い、豪華な顔ぶれである。
私の好きな舞妓さんは、残念ながら出演されていなかった(マスコミに出てくることはないのだが、かわいらしい舞妓さんで、お座敷ではとても人気がある)。
客席もまた豪華で、皇太子殿下がお見えだったほか、扇千景さん(言わずと知れた、中村鴈治郎さんの奥様である)、福田元官房長官、森喜朗氏など、政界の人物もたくさん来ていた。
もちろん、舞妓さんや芸妓さんの姿もあった(私としては、こちらのほうがうれしい)。
仕事が終わってからでは開演時間に間に合わないので、事前に午後半休を申請しておいた。
14時過ぎまで勤務してタイムカードを押したあと、ロッカー室(あくまでも簡単な荷物置き場なので、本当は着替えに使ってはいけないのだが)で着物に着替えた。
鏡がなかったが、羽織を着てしまえば帯結びは隠れてしまうので、衿(えり)元だけ気をつければよく、意外に楽だった。こういう時、羽織は便利だなあ、とつくづく思った。
しかし、ロッカー室の中はかなり暑かった……。
着替えている途中、2人ほど中に入って来た人がいて、当然のことながら驚かれた。
1人は知っている人だったので、「どうしたの?」と聞かれた。とっさに「きょ、今日はこのあとちょっと用事があるので……」と答えたら、「一体、どんな用事なの??」と、ごもっともな質問が返ってきた(笑)。会社で着物に着替えるような用事って、そうそうないよなあ……我ながらマヌケな答えだった(笑)。
着替えた後、廊下に出てエレベーターに乗って下へ降りるまでに人と会うと面倒だなあ、と思っていたのだが、幸い、人がいなかったので「チャンス!」とばかりにエレベーターホールまで行った。
しかし、タイミングの悪いことに、同じ部署の人が1人向こうからやってきて、気づかれてしまった……。オフィスの中にしては当然めずらしい格好をしているので、わざわざこっちまで来て「どうしたんですか?」と聞かれたが、そうすると却って目立ってしまうので困った……。
まあ、でも、さほど多くの人に見られずに階下まで降りて行けたのでよかった。
別に、着物姿を人に見られるのが嫌だというわけではない。むしろ、着物を着て街を歩いている時は、少し誇らしげな気持ちになる。
しかし、私の勤めている会社がある街は、なぜか、着物を着て歩くとどうしても浮いてしまう感じがするのだ。
上野や浅草や銀座では、着物を着て歩いていても浮いた感じがしないし(人から見られることは多いが)、新宿や池袋でも、意外と違和感がない。
なのに、あの街だけは、どうしても違和感があるのだ。着ている本人もなんだか落ち着かない感じがするし、周りの人の反応も、他の街と違って、本当にめずらしいものを見るような感じなのだ。
やっぱり、昔から芸能人や外国の人、若者などが遊びに来る街だったからだろうか……(それよりもっと昔は、埋葬地だったんですけどね……)。
街の名前は伏せておきますが(笑)。
今度、いっそのこと着物着て会社に行ってみようかな(笑)。
TシャツにGパンがよくて着物がいけないって理屈はないと思うが。
(ちなみに、私と同期で入社した男性社員は、面接の時に「雪駄(せった)履きで出社するのはいいんですか?」と聞いたらしい)
話がそれたが、とにかく今日は、仕事を半日休む価値がじゅうぶんにあった1日だった。
公演を観ながら、「仕事のためにこれをあきらめてたら、絶対もったいなかっただろうなあ……、半日休んで観に来てよかった」と思った。
仕事は翌日でもできるが、今日のこの公演は、今日しかないのだ。
素晴らしいひとときを過ごせて、本当にうれしかった。