HPの動画更新しました。
今回はメンフィス・ソウルの立役者アル・ジャクソンです。
Al Jackson (1935~1975)
1935年11月27日 テネシー州メンフィス生まれ
地元で有名なミュージシャンだった父アル・ジャクソン・シニア(社交バンドのリーダー、
優れたベーシスト)の影響で幼少からブルース、ゴスペル、ジャズなど様々な音楽に囲まれて
育ち12歳でプロとして職につく。父親のバンドはじめ数々の地元バンドで活動。
幼なじみのベーシスト ルイス・スタインバーグとともにウィリー・ミッチェル(トランペッター、
後にメンフィス・ソウルの2大勢力のひとつハイ・レコードのプロデューサー)のバンドに在籍中
、スタックス(レコード・レーベル)のスタジオ・ミュージシャンだったルイスの紹介でスタジオ
を訪れブッカー・T・ジョーンズ(オルガン)、スティーヴ・クロッパー(ギター)、ドナルド・ダック
・ダン(ベース)と知り合う。
セッションを繰り返しブッカー・T & the MG's(Memphis Groupの略)が誕生。
その後スタックスのレコーディング、プロデュースに関わる。
MG'sとして(インストゥルメンタル)大ヒットGreen Onionsを皮切りに10数枚のアルバム、
20枚以上のシングルをリリース。
62~69年にオーティス・レディング(I Can't Turn You Loose,Try a Little Tendernessなど)
サム&デイヴ(Soul Man ,Hold onなど)エディ・フロイド(Knock on Woodなど)といったヒット
曲のレコーディングを務める。
先日NHK BS2でサム&デイヴ・ショーが放映されていた。この時のバックはMG'sではなかったが
なかなかの好演で他にアーサー・コンレイも出ていた。
デイヴ・プレイターは88年交通事故でこの世を去ったが、サム・ムーア(74歳、アル・ジャクソン
も生きていれば同い年)は健在で07年にも来日しているし、先日これもWOWOWで放映された
ロックンロール・ホール・オブ・フェイム25周年記念コンサートでもその張りのある声を聞かせ
てくれた。
アル・ジャクソンはオーティスをしてスタジオの『主役』と言わしめたほどバンドをドライブ
させる力があった。当時のドラミング観において先駆者的でベース・ラインとベース・ドラムとの
相互作用。ハイハットのユニークなオープン/クローズテクニックなど世界中のドラマーの羨望の的
だったようだ。
特にミディアム・テンポでのバック・ビートは格別でメンフィス・バック・ビートとも称され
レイドバックした心地いいビートだ。(60年代半ばウィルソン・ピケットのIn the Midnight Hour
が特に有名)
スタックスは長年に渡ってツアーを行い67年スタックス/ヴォルト・レヴューのヨーロッパ・ツアー
(今回のmovieの1本め以外)で頂点に達し、60年代末ツアーは劇的に減り、レコーディング・
スケジュールさえ減って行くが70年には大阪万博にも出演した。
スタックスの時代が着実に終わりつつあるのを悟っていたアル・ジャクソンは「我々は音楽的に共感
しているだけでなく、かけがえのない友達でもあるから協定を結んだ。しかし今から5年後には引退
して、作曲とプロデュース業に専念したい。衰える姿を見せるよりクールなまま消えたいのさ」と
言っていた。
70年に入るとMG’sは専属スタジオバンドとなりやがて72年に解散。
ブッカー・Tは西海岸に引っ越し、ジャクソンはプロデューサー兼ソングライターに転じた。
昔のバンドリーダーでハイ・レコードのオーナーになったウィリー・ミチェルと共にアル・グリーン
を世に送り出した。これがたて続けに大ヒット(コール・ミー、スティル・イン・ラブ、レッツ・
ステイ・トゥゲザー)。ここでジャクソンはメンフィス・バック・ビートで格別の演奏をし、
その後3年間引く手あまたのセッション・ドラマーとなる。
ダニー・ハザウェイ、アレサ・フランクリン、アルバート・キング、ロッド・スチュアート(
「アトランティック・クロッシング」)などのサポートをしている。
75年西海岸で再開したMG'sの面々は再結成の具体案を練っていた。ところがその11日後の
10月1日、40歳の誕生日を目前に自宅への不法侵入者の凶弾に倒れる。
同月スタックス・レコードも倒産。
アル・ジャクソンは結構長身でさらにイスを膝が45度位下がるほど高くセットしている。
スネアは膝あたりと低く、ハイハットは肘の高さ。その差は30cm以上ありそうだ。
シンバル類は普通の高さだがかなり高く見える。
私自身は現在はイスは低めだが、彼の体格でこのセッティングだと落差が大きく、ここぞという時
は爆発的なパワーが出るだろう。
彼を語る時にまず出て来るのが前出のメンフィス・バック・ビートと言われるゆったりとした
ビートだが、アップテンポでは思いっきり前に突っ込むかと思えばバラードではギリギリまで
後ろに引っ張る。ある意味大ざっぱ(おおらか)かも知れないがこれがまた気持ちいい。
スタックスのサウンドはデトロイトのモータウンに比べるとドロドロとあか抜けしない。南部の田舎町
メンフィスが産み出したもの。(メンフィス・ソウル、サザン・ソウルと言われるようだ)個人的には
こちらがお気に入り。
movieの1本めはオーティス・レディングのモンタレー・ポップ・フェスティバルでの冒頭、速いジャンプ・
ビートの「シェイク」。何度と出て来るオーティスとの掛け合いのドラミングも聞きどころ。
3本めはシャッフル系だが8分音符の3拍フレーズを続けたり、16分のフレーズをたたみかける
といったテンションのかかるプレイも光っている。
5本めではお得意のライドシンバルのエッジ打ちが登場する。
ライヴでのエンディングで曲がラストに近づき同じリフの繰り返しで盛り上がれるまで盛り上が
ったら、ドラムがいきなりテンポとは関係ないフィルを入れエンディングへと導くパターンは多く
カッコいい。ここというタイミングでズパッと切り込むのだが、これは結構難しい。
アル・ジャクソンの生涯は短かったが、そのドラミングは光を失わず今も尚多くのドラマーに影響
を与え続けている。
今回はメンフィス・ソウルの立役者アル・ジャクソンです。
1935年11月27日 テネシー州メンフィス生まれ
地元で有名なミュージシャンだった父アル・ジャクソン・シニア(社交バンドのリーダー、
優れたベーシスト)の影響で幼少からブルース、ゴスペル、ジャズなど様々な音楽に囲まれて
育ち12歳でプロとして職につく。父親のバンドはじめ数々の地元バンドで活動。
幼なじみのベーシスト ルイス・スタインバーグとともにウィリー・ミッチェル(トランペッター、
後にメンフィス・ソウルの2大勢力のひとつハイ・レコードのプロデューサー)のバンドに在籍中
、スタックス(レコード・レーベル)のスタジオ・ミュージシャンだったルイスの紹介でスタジオ
を訪れブッカー・T・ジョーンズ(オルガン)、スティーヴ・クロッパー(ギター)、ドナルド・ダック
・ダン(ベース)と知り合う。
セッションを繰り返しブッカー・T & the MG's(Memphis Groupの略)が誕生。
その後スタックスのレコーディング、プロデュースに関わる。
20枚以上のシングルをリリース。
62~69年にオーティス・レディング(I Can't Turn You Loose,Try a Little Tendernessなど)
サム&デイヴ(Soul Man ,Hold onなど)エディ・フロイド(Knock on Woodなど)といったヒット
曲のレコーディングを務める。
なかなかの好演で他にアーサー・コンレイも出ていた。
デイヴ・プレイターは88年交通事故でこの世を去ったが、サム・ムーア(74歳、アル・ジャクソン
も生きていれば同い年)は健在で07年にも来日しているし、先日これもWOWOWで放映された
ロックンロール・ホール・オブ・フェイム25周年記念コンサートでもその張りのある声を聞かせ
てくれた。
アル・ジャクソンはオーティスをしてスタジオの『主役』と言わしめたほどバンドをドライブ
させる力があった。当時のドラミング観において先駆者的でベース・ラインとベース・ドラムとの
相互作用。ハイハットのユニークなオープン/クローズテクニックなど世界中のドラマーの羨望の的
だったようだ。
特にミディアム・テンポでのバック・ビートは格別でメンフィス・バック・ビートとも称され
レイドバックした心地いいビートだ。(60年代半ばウィルソン・ピケットのIn the Midnight Hour
が特に有名)
スタックスは長年に渡ってツアーを行い67年スタックス/ヴォルト・レヴューのヨーロッパ・ツアー
(今回のmovieの1本め以外)で頂点に達し、60年代末ツアーは劇的に減り、レコーディング・
スケジュールさえ減って行くが70年には大阪万博にも出演した。
スタックスの時代が着実に終わりつつあるのを悟っていたアル・ジャクソンは「我々は音楽的に共感
しているだけでなく、かけがえのない友達でもあるから協定を結んだ。しかし今から5年後には引退
して、作曲とプロデュース業に専念したい。衰える姿を見せるよりクールなまま消えたいのさ」と
言っていた。
ブッカー・Tは西海岸に引っ越し、ジャクソンはプロデューサー兼ソングライターに転じた。
昔のバンドリーダーでハイ・レコードのオーナーになったウィリー・ミチェルと共にアル・グリーン
を世に送り出した。これがたて続けに大ヒット(コール・ミー、スティル・イン・ラブ、レッツ・
ステイ・トゥゲザー)。ここでジャクソンはメンフィス・バック・ビートで格別の演奏をし、
その後3年間引く手あまたのセッション・ドラマーとなる。
ダニー・ハザウェイ、アレサ・フランクリン、アルバート・キング、ロッド・スチュアート(
「アトランティック・クロッシング」)などのサポートをしている。
75年西海岸で再開したMG'sの面々は再結成の具体案を練っていた。ところがその11日後の
10月1日、40歳の誕生日を目前に自宅への不法侵入者の凶弾に倒れる。
同月スタックス・レコードも倒産。
アル・ジャクソンは結構長身でさらにイスを膝が45度位下がるほど高くセットしている。
スネアは膝あたりと低く、ハイハットは肘の高さ。その差は30cm以上ありそうだ。
シンバル類は普通の高さだがかなり高く見える。
私自身は現在はイスは低めだが、彼の体格でこのセッティングだと落差が大きく、ここぞという時
は爆発的なパワーが出るだろう。
彼を語る時にまず出て来るのが前出のメンフィス・バック・ビートと言われるゆったりとした
ビートだが、アップテンポでは思いっきり前に突っ込むかと思えばバラードではギリギリまで
後ろに引っ張る。ある意味大ざっぱ(おおらか)かも知れないがこれがまた気持ちいい。
スタックスのサウンドはデトロイトのモータウンに比べるとドロドロとあか抜けしない。南部の田舎町
メンフィスが産み出したもの。(メンフィス・ソウル、サザン・ソウルと言われるようだ)個人的には
こちらがお気に入り。
ビートの「シェイク」。何度と出て来るオーティスとの掛け合いのドラミングも聞きどころ。
3本めはシャッフル系だが8分音符の3拍フレーズを続けたり、16分のフレーズをたたみかける
といったテンションのかかるプレイも光っている。
5本めではお得意のライドシンバルのエッジ打ちが登場する。
ライヴでのエンディングで曲がラストに近づき同じリフの繰り返しで盛り上がれるまで盛り上が
ったら、ドラムがいきなりテンポとは関係ないフィルを入れエンディングへと導くパターンは多く
カッコいい。ここというタイミングでズパッと切り込むのだが、これは結構難しい。
アル・ジャクソンの生涯は短かったが、そのドラミングは光を失わず今も尚多くのドラマーに影響
を与え続けている。