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・・・ M

洗脳大国

2013-04-15 01:31:59 | 日記




 北朝鮮に拉致されていた人の中には、韓国に帰っても、しばらくは、北朝鮮を賛美する感謝の言葉さえ述べる人もいると言われます。日本でも同様で、これは、北朝鮮において、洗脳または、マインドコントロールが行われているせいではないかと言われます。J

 日本人も、マインドコントロールを受け安い国民であると言われると、多くの日本人は否定します。そして、中国や北朝鮮こそ「洗脳されている」などと反論します。しかし、マインドコントロールと洗脳とはそもそも違います。

(確かに、現代日本人の私たちは拷問も監禁もされないから、洗脳などはもう日本ではないと言えます。P)

 一般に洗脳とは、暴力的な方法を使った強制的な思想改造です。
不眠、監禁、脅迫、飢餓、暴力、強姦、薬物など、様々な虐待的方法さえ使います。その中で、懐柔的に優しく接したり、ニーズを受け入れやすい状況を少しずつ出しながら、偽の事実を本当と信じこませるように思想を変えていくのです。しかし、一般的には、恐怖と苦痛のない普通の環境に戻れば、思想も元に戻ることが多いようです。昔の日本の特攻警察や軍隊教育では洗脳的教育手法が確か使われたとも言われます。(カルト宗教では良く使用され、政治でもよく使用された歴史があります。ヒットラーの煽動政治、日本の特高の軍国主義、スターリンの粛清政治、毛沢東の文革、北朝鮮のチェチェ思想等が有名です。)(もしかして、中国の労働教育などもこれに似ているものなのでしょうか??P)

むしろ、日本やアメリカでは、共産主義洗脳と言う言葉がよく聞かれます。その原点は、アメリカでレッドパージが吹き荒れた共産主義者の迫害時代1962年、朝鮮戦争のアメリカ軍の英雄が大統領候補暗殺をくわだてるというフィクション映画「影なき狙撃者」が製作され、その映画で「洗脳」といった言葉が普及しました。

 朝鮮戦争時、捕虜のアメリカ兵に対して共産主義教育をした行為を中国が洗脳と呼んでいたのを英訳して、  Brainwashingと名付けられました。実際のところ、北朝鮮では、残忍行為があったため洗脳行為だったと言われます。一方、中国では、食物と衣類を供給し、親しみやすさと慈悲の空気をつくり、捕虜兵士はしばしば 解放されたように道徳的にも扱われたと言われます。正確には捕虜教育のマインドコントロールでしょうか?近年の労働教養にもつながるやり方でしょうか?

中国のやり方の原型は戦前の中国延安の抗日運動にありました。アメリカ軍は太平洋戦争末期に、多数の日本兵が捕虜となることを拒否し玉砕する中で、アメリカ国務省のジョン・エマーソンらは、延安で設立され、多数の日本兵捕虜の再教育を日本人と毛沢東らが行っていた日本労農学校の成功に注目し『延安リポート』にまとめられ、GHQの占領政策で利用されたといいます。「なかにはどうしても軍国主義的観念の抜け切れないものがあった。・・・(彼らは)いろいろ破壊工作をやった・・・学生全体の大会をひらき、大衆の力によってその誤りを批判するといふ民主的な方法(大衆批判)をとった」(野坂参三『亡命十六年』時事通信社)。この大衆批判(人民裁判)や、外部隔離や尋問、自己批判などの捕虜の教育手法も洗脳だと呼ぶ人が日本ではいますが、それは洗脳とまではいえないと思います。むしろ、天皇の軍国主義の洗脳から開放された結果の反動がもたらした抗日活動への参加ではなかったかとも言われます。

また、戦後にソ連抑留の日本兵が、中国戦犯管理所に収容された後に、帰国し(中帰連)、その後に日本軍の戦前の加害証言を行ない始めた際に、それはでたらめな洗脳の結果によるものだと、日本では言うひとがいましたが、引き揚げから数年後の証言であり、それも違うと思います。また、GHQの占領政策で、戦争への罪悪感を植え付ける、プロパガンダ戦略があったことは事実としても、それが南京大虐殺や、慰安婦問題など歴史を隔てた行為に結びつける今日の歴史修正主義者の詭弁論法が、逆に、妄想的な靖国派のプロパガンダ戦略によるマインドコントロールではないかとも言われます。

 洗脳に対して、マインドコントロールとはもっとソフトで巧妙に潜在意識に暗示をかけて支配する方法です。(一般には、これも広く洗脳と称して呼ばれることも多いのですが正確ではありません。)

その技法のひとつにコマーシャルなどで無意識に、画像を差込む手法でサブリミナル効果とも呼ばれるものがあります。1995年には日本放送協会(NHK)が、1999年に日本民間放送連盟が、サブリミナル的表現方法を自主規制しましたが、日本の法律では、サブリミナル的表現方法自体は禁止されていません。

 しかし、マインドコントロールされた人たちは、洗脳大国の人間よりも、その後もずっと長期にわたって、その暗示の影響を受け続けると言われます。平穏な普通の生活のなかで気がつかないこともあります。

 一般にマインドコントロールは、個性を奪い、個人を集団に取り込む技術です。個人を組織発展の道具にしているのです。コントロールされたことも気づかず、自分の貴重な人生を組織や国家の思想に捧げることもあります。しかし、人生は自分だけのものではありませんが、誰にも捧げるものではありません。J

 組織は定期的に勉強会等で「批判と自己批判」を繰り返し「組織の粛清」「風紀を整える」「裏切り者を糾弾」「組織を正す」など暴力的表現さえ使用され「組織に対する意識」を養い、組織には永遠に逆らわないようなマインドがコントロールされます。似た手法をとるものに教育や一般宗教があります。目的は違いますが、教育や一般宗教も、ある種同様な技法が取り入れられます。一番ポピュラーなのは催眠・暗示、情報の制限と繰り返しです。(マインドコントロールの技法でもある「催眠・暗示」は、古くから欧州の医学会では、その研究も盛んで、催眠や自己催眠として、精神臨床医学面では多様された歴史があります。今日では、多くの迷信や祈祷や宗教における心霊現象なども、実は「催眠・暗示」を利用したトリックの一種と言われています。そして、政治のプロパガンタにも利用されるようになりました。)

支配層や政府が教育とメディアをほんの少しコントロールするだけで、「暗示」の仕掛けで、どんなに荒唐無稽な事でも、嘘でさえも大衆マインドは、集団催眠にでもかかったように、たやすく信じてしまいます。

(日本の学校でも、現在も教育現場で使用する教科書を文部省検定で制限する決まりがあり、ある種、限定された情報の下で教育されますが、日本では戦前教育が圧倒的でした。昔は教育勅語を覚えるまでお経のように繰り返し、学校で暗唱させられ、戦前の日本では、大本営の虚偽報道で戦意を高め、戦争に向かう軍事教育がマインドコントロール的に徹底されていたと言われます。

皆が頭を垂れ玉音を聞いた日本

 

戦前の国内の空気では特攻隊も慰安婦も集団自決も自主行為であり、男に「立派に死んできます」とまで言わせ、女は「兵隊さんのためなら」と慰安婦になる者さえも出て「米兵に犯されるよりは潔く死にたい」と自決が美化され、男は戦地で非道を尽くすことが日本人の度胸と根性と信じて敵や捕虜に残虐に振る舞いました。 特攻志願の少年達に靖国神社で神になれると信じこませ、戦争遂行の精神的支柱として国家神道がナチズムのような役割さえ担っていました。狂気の時代だったとも、日本人のアジア蔑視さえも意図的に作られたと言うひともいます。P)


 最近の日本では、小泉首相がアフガン・イラク戦争を支持した際や劇場型選挙をした際にマスコミを利用したマインドコントロール疑惑が一部で騒がれました。(確かに、当時、亀井静香代議士は、自民党はマインドコントロールは長く続かないと認識すべきだとの趣旨の発言さえしていました。対イラク戦争反対の意見を外務省に具申したレバノン駐在の日本国大使は解雇されました。「ショー・ザ・フラッグ」というアーミテージ米国務副長官の言葉も安倍官房副長官が捏造リークしたものとさえ言われています。)そして、今日のアベノミクスも、その方向にあるのではないでしょうか? P


 日本のテレビばかり見ていた昔は、北朝鮮が恐ろしくさえ感じられたのに、韓国に来て韓国のテレビばかり見ている今では、かわいそうにさえ感じるように自分が変わったのも、きっと何か関連があるのでしょうか?・・・。J 
( それは、きっと、地理も民族も、あなたには距離感が近いためで、気のせいだと思いますよ?・・たぶん・・P)かつては台湾のように哈日的だった中国の若者が抗日ドラマで反日になったのも、韓国の根強い反日感情もマインドコントロールの影響でしょうか?J

 (マインドコントロールから逃れる方法は、感情的に受け入れられない主張に耳を傾けあえて反対の立場で考えてみることだと言われます。P。
 もし、自分と反対の主張や思想に対して、理性的ではなく、自分が自然と偏見を持ったり感情的になるとすれば、自分がなんらかのマインドコントロールを受けていると思って、間違いありませんP。教育政策だけでなくマスコミが強く影響しているとも言われます。P )
 
 カルト宗教ではインドのようにマインドコントロールに麻薬が使用されることもあります。
 オウム真理教の元慶應義塾大学病院等の臨床医でオウム真理教の幹部となった 林郁夫によると、オウムは教義を表層意識、潜在意識に記憶させた後、イニシエーションにおける薬物飲用で、音や光や言葉に誘導されやすい状態におき、「肯定・否定・正当、批判・糾弾、優しさ・いたわりを駆使」して、記憶を揺さぶり定着させ、神秘体験を誘導し教義を受容させたと言います。オウムでは、儀式にLSDと覚醒剤を混ぜたものが使用されました。

 薬物利用と言えば、アメリカでは、ベトナム戦争時にアメリカ軍兵士は日常的にコカインを摂取したことが有名です。戦争後も常用者となっていた帰還兵が、アメリカ国内にコカインを持ち込み、アメリカでは、戦後も深刻な社会問題になりました。

 1970年代前後のアメリカでは、コカイン摂取は、ベトナム兵の「精神的癒し」として戦場では日常的に用いられました。(1964年のベトナム戦争への本格的軍事介入(北爆)の理由付けとなったトンキン湾での2発の魚雷攻撃事件はアメリカ政府自身が仕組んだ自作自演の事実だったことを1971年ニューヨークタイムズは暴露し、反戦運動は益々高まります。)反戦世論に逆らって侵攻されたベトナム戦争からのアメリカ帰還兵は、多くが心に傷を負い、帰国後約15万人が自殺しました。それはベトナムでの戦闘行為での犠牲者数の3倍近くにも達しました。

 1990年の湾岸戦争の開始にあたっては、クエート少女「ナイラ」(15歳)が「イラク軍が爆弾や銃で民衆を襲撃しています。また、全ての病院施設に押し入り、新生児を連れ出しています。生命維持装置は切られています。抵抗していたり、クウェート軍や警察と一緒にいる所が見つかれば、拷問を受けかねません」と涙のアメリカ議会証言を契機に、当時のアメリカ世論は戦争に傾きましたが、内容は全くの虚実で、アメリカの広告会社が作成した芝居であったことも、後日に判明しました。(クウェート駐米大使の娘のナイラはアメリカ育ちで、一度もクエートに行ったことさえありませんでした。)

 2001年9月11のアメリカ同時多発テロを口実に、犯行はアメリカがかつて育成したテロリスト・ビンラディンによるもので、そのテロリストをアフガン・タリバン政府が庇って引き渡しに応じなかったという詭弁で、アメリカが主導するアフガニスタン戦争が2001年には起こされました。

(そしてイラン、イラク、北朝鮮がテロ支援国「悪の枢軸国」とされ将来の攻撃対象がアメリカ市民に示されました。)

 2003年アメリカが主体となり、イギリス等の多国籍軍が、イラクの大量破壊兵器所持疑惑を(武装解除義務違反)を理由とし、 小泉政権下で日本も面支持して始まったイラク戦争では、湾岸戦争後クウェートから撤退し、IAEA(国際原子力機関)の武器査察チームも受け入れ始めていたイラクでしたが、「大量破壊兵器保持疑惑やアルカイダとの関係」が捏造されました。(フセインの長女の婿フセイン・カメルのヨルダンに亡命に際して、国連査察団に大量破壊兵器やミサイルの設計図を隠し持っていたという証言は、イラクが湾岸戦争後に、すべての化学兵器とミサイルを廃棄したと述べた部分の報道が省かれました2004年1月CIAのデビッド・ケイ特別顧問は、米上院軍事委員会の公聴会で「イラクに生物・化学兵器の大量備蓄は存在しない。私たちの見通しは誤っていた」と証言しCIA特別顧問の職を辞しました。イラク戦争を誘導したアメリカのチェイニー副大統領が役員を勤めるハリバートングループは、イラク復興事業を独占し批判されました。イギリスでは、イラクの大量破壊兵器の脅威を誇張したBBC報道の情報源となった国防総省の専門家が自殺しました。)

 (しかし、短所は長所でもあるものです。日本人が同じ思考にそまりやすい国民性とは、裏をかえせば、デリケートで素直で団結しやすいということでもあります。日本人には強い団結力があります。それは韓国や北朝鮮にも負けない強さです!P

 その点、中国人やアメリカ人は、多民族国家で、個人主義で、思想もバラバラだと言われます。しかし、だからこそ、強力なマインドコントロールが支配者によって実施されてきたのかも知れません。P
 中国では、今でも、不都合な報道がカットされ、個人ネットでさえ規制や強制削除や強制閉鎖があり、プロパガンダの情報が意図的に流されるでしょう?。でも民衆はちっとも当局にコントロールされず暴動さえ絶えません。中国人はある意味たくましいのかもしれませんね?P)

皆が毛主席語録に染まった中国

(たくましいのではなく、当局のコントロールがもう見透かされて、利かなくなってきているせいでしょうか?かつて、誰もが赤い表紙の「毛主席語録」を振りかざし造反有理と主張し、毛の言葉が「最高指示」と今日の北朝鮮のように原理的な洗脳的手法が用いられた文革時代は、強烈なマインドコントロールに中国民衆は染まりました。暴力的無法行為が革命無罪と放任され、階級闘争の名の下で絶えず自己批判が強要され、「批闘大会」のつるし上げが日常になりました。あらゆる伝統文化や芸術や宗教が権威否定やブルジョア的との名目で破壊されました。

マインドコントロールに染まりやすい10代の少年少女は紅衛兵に参加して派閥に分かれ互いに反革命のレッテルを貼り、武力闘争さえ繰り広げ社会は大混乱しました。少女が家庭で毛を批判した母親を階級の敵として正義心で当局に告発すると、その母親は大衆の面前で糾弾を受け面子を失い自殺や処刑にまで追い込まれた悲劇さえありました。あらゆる国民間の批判を正義と煽る反面、体制批判の発言は反革命の罪とされ、まさに狂気の時代だったとも言われます。

(遼寧省・共産党委宣伝部幹事の張志新は文革中に文革と毛沢東批判をし続けたと言う理由で、死刑判決・無期懲役に減刑後も6年間にわたって瀋陽の強制労働改造施設に送られ、監禁されて輪姦と虐待を受けた末に、意志を変えなかったため再度死刑判決を受けて、最後には銃殺されました1979年になって遼寧省党委は彼女の意見と分析は正しかった、先覚的意見だと表明、有罪ではなかった、彼女の不幸は有るべからざる時代の悲劇だと名誉を回復し烈士とされています。この様な国家的犯罪がいたるところであったと言われます。

2005年の小泉首相の靖国参拝批判を名目とした当局デモが暴動化したのも昨年秋の尖閣国有化批判の当局デモに駆り出された若者が、日本車破壊や商店破壊の暴動行為に走ったのも、マインドコントロール的教育の結果だろうと言うひともいます。


 また、アメリカでは、黒人対策の意図等の噂は定かではありませんが、清涼飲料として知られるコカ・コーラにかつて、コカインの成分が含まれいたことも有名です。当初のコカコーラはdopeという麻薬俗称でも呼ばれた精神高揚の薬の一種でアメリカでは薬局などで売られていました。(コカ・コーラの発明者であったジョン・ペンバートン自身が患っていたモルヒネ中毒の治療薬として、コカイン入りコカコーラは開発されたものでした)。

 コカインの麻薬性と健康への有害性が騒がれるようになってから、1903年にコカ・コーラはコカインの使用を中止し代わりにカフェインが用いられるようになりました。また、薬物中毒もゲーム中毒もネット中毒もアルコール依存と同様に健全な精神の退廃を生みます。

 そして、退廃は他者への攻撃精神やストレスを高め自分を卑しめさえします。心の退廃は、自己中心的に他者を否定することでしか、自分を肯定できない偏狭な悪癖を繰り返し、苛めや虐待等の負の喜びが自分を卑しめることにさえ気づきません。
 そしてそれは、素直な感受性、他人の立場にたった思考、やさしさ、理性的批判精神や自分の頭で考えるという人間の本性やプライドさえ失わせるといいます。アメリカでは、政府批判の反戦運動対策のためゴシップと退廃記事や捏造記事が批判記事と同列に意図的に混ぜられ、マスコミやネットに流されたともいわれます。

 信頼を失いかかった権力は嘘で民衆をコントロールするのが常でもあるようです。そして権力が嘘を流す社会では民衆自身も一見信憑性のありそうな嘘やデマや風評を自ら撒き散らすようにもなるようです。マインドコントロールされた民衆は、自分の潜在意識にさえ気づかず、まるで檻の中の小さな小鳥のようです。自由になるために高く飛ぶことさえも許されないようです・・。





有 时 后 我 觉 得 自 己 像 一 只 小 小 鸟
時々思う自分のこと まるで小さな小鳥みたい



想 要 飞 却 怎 么 样 也 飞 不 高
飛びたくとも どうしても高く飛べない


也 许 有 一 天 我 栖 上 枝 头  却 成 为 猎 人 的 目 标
もしかしたらある日小枝に止まってて  狩の的になるのだろう


我 飞 上 了 青 天 才 发 现 自 己   从 此 无 依 无 靠
青空に羽ばたいて、ようやく自分が分かった 頼る人さえいない



每 次 到 了 夜 深 人 静 的 时 候 我 总 是 睡 不 着
毎日夜が更けて人が寝静まるころ、わたしはまだ寝つくことができない


我 怀 疑 是 不 是 只 有 我 的 明 天 没 有 变 得 更 好
私は疑う 私の明日だけがよくないのじゃないかと


未 来 会 怎 样  究 竟 有 谁 会 知 道
未来はどうなるのだろうか 結局誰もわかりはしない


幸 福 是 否 只 是 一 种 传 说  我 永 远 都 找 不 到
幸福はただの伝説かもしれない  私には永久に探しだせないだろう


我 是 一 只 小 小 小 小 鸟
私は一羽の小さな小さな小さな小鳥です


想 要 飞 呀 飞 却 飞 也 飞 不 高
飛びたくて飛びたちたくて飛んでも高く飛べません


我 寻 寻 觅 觅 寻 寻 觅 觅 一 个 温 暖 的 怀 抱
私は探す探す ただひとつ安らげる場所を探す


这 样 的 要 求 算 不 算 太 高
こんな要求も高望みだと言うのでしょうか


我 是 一 只 小 小 小 小 鸟
私は一羽の小さな小さな小さな小鳥です


想 要 飞 呀 飞 却 飞 也 飞 不 高
飛びたくて飛びたちたくて飛んでも高く飛べません


我 寻 寻 觅 觅 寻 寻 觅 觅 一 个 温 暖 的 怀 抱
私は探す探す ただひとつ安らげる場所を探します

这 样 的 要 求 算 不 算 太 高
こんな要求も高望みだと言うのでしょうか


所 有 知 道 我 的 名 字 的 人 ロ阿  イ尓 们 好 不 好
私の名前を知っている全ての人々よ 皆さんお元気ですか


世 界 是 如 此 的 小  我 们 注 定 无 处 可 逃
世界はこんなにも小さく  私たちには逃げ場がありません


当 我 尝 尽 人 情 冷 暖
私が人情の暖かさと寒さを味わい尽くすとき


当 イ尓 决 定 为 イ尓 了 的 理 想 燃 烧
あなたがあなたの理想に燃えると決めたとき


生 活 的 压 力 与 生 命 的 尊 严  ロ那 一 个 重 要
生活の重圧と生命の尊厳 どれかひとつ重要です

我是一只小小小小鸟
私は一羽の小さな小さな小さな小鳥です

想要飞呀飞却飞也飞不高
飛びたくて飛びたちたくて飛んでも高く飛べません

我寻寻觅觅寻寻觅觅一个温暖的怀抱
私は探す探す ただひとつ安らげる巣を探します

这样的要求算不算太高
こんな要求も高望みだと言うのでしょうか


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