以前、自分がミドルネームを持っている事を話しました。
幼少の頃は、当たり前のように日曜学校に通っていて、礼拝もしていました。
食事の前には、家族で祈りを捧げてましたし。
礼拝では、格があがると神父様の横で、お手伝いとか出来た。
そこで、特殊なのが、懺悔。
礼拝堂、または教会の脇に個室が設置されていて、懺悔室とか呼ばれている。
自分達は、「告解」(こっかい)と呼んでましたが。
自発的なものだと思っていたけれども、自分が幼少の頃には半強制的でした。
なので、そこへ入ると自分の罪を打ち明けなくては、なりません。
今では、何を話したかさえ覚えて無いけれども、苦痛だったのは確かです。
一畳も無い個室に壁があり、自分と神父さんがいる。
壁には、網というか格子があり、(20センチ角位)そこから
話しをする。
ちゃんと、調べてないけれども、このシステム、カトリックには、あって
プロテスタントには無いらしい。
そして、現在では世界的にプロテスタント人口が、圧倒的に多いらしい。
自分の知人でテスタコメントと言う宗派に属した人がいた。
一人は拒絶して一人は受け入れた。
たまたま、大学の近所にその教会が、あって布教活動していた。
どういう経緯で、たずさわったのかは知らないのだけれども。
でも、受け入れた人からは、自分は拒絶されるようになった。
もう、20年前以上の話だけれども、その頃から自分は無神論者だったし
超ナルシストだったから、自分大好き教をとなえてもいいぐらいに
思っていた。
でも、そんな考えが彼にとっては、悪魔みたいに思えたんだと思う。
20年後の今、それぞれが幸せに暮らせていればいいかもなって思う。
でも、未だに彼がそこへ救いを求めたのかは、謎。
救われていたのは、確かだけれども、そこまで弱い人物だという認識が
無かったので、少し驚いた。
ほんと、人ってそれぞれ色々あるんだね。