ケースワーカーうぐぐ日記~生活保護~

生活保護ケースワーカーの愚痴スペース

余りに苦情が多すぎる~挿花額界~

2005-11-10 23:16:22 | 「学会」「宗教」と保護を愚痴る
「なんで、あいつらをワシ等の税金で養わなアカンねん」

生活保護ケ-スワーカーをしてたら嫌なことは幾らでもあるが、一般市民からの苦情を聞くのは僕にとって最も嫌なことのひとつだ。
なぜ?って、物の言い方はともかく、大概の場合「その苦情内容が正論であって僕個人としては全く同じ意見であるにもかかわらず」生活保護法を実際に運用するケースワーカーの立場からすれば、その苦情の対象行為が必ずしも生活保護法(及び規則・通知・通達等)違反ではないため、何も出来ないからだ。
中でも電話・投書を問わず、最も多い苦情は「学会」関係者についてのもの。
皆さんがご存知かどうか知らぬが、生活保護受給者における「学会」会員の割合は驚くほど高い。
たとえば、僕が抱える約100ケースのうち、1割強から2割弱は「学会」会員である(酷いときには25%近いときもあった)。
彼等の自宅にいくと、たいてい先祖の遺影よりも一段高い位置に「先生」の写真が飾られている(位置は先祖の遺影と同じ高さだが、「先生」の写真が一回り大きいというパターンもある)。その写真には「○○の○○先生」とキャプションが付けられていたりする。一番印象に残ったのは「我が人生の目標は『学会』員の勝利の人生である」「日本を挿花の王国にする」などといったキャプションだった。いずれも「先生」のお言葉らしい。
彼等は福運をもたらす「先生のお手紙」(○教新聞)を購読し、「○○極まる日○の悪行を告発する」など何処か左翼調、または学生運動調の記事を熟読しているらしい。
この辺りまでは(個人的好悪はともかく)「信教の自由」の範囲内であろう。僕がとやかく言うことでもない…と思う。

問題は働く能力があるにもかかわらず働くことなく「学会」活動や「選挙」活動に励む「学会」関係の保護受給者が相当数に上ることである。

働く能力があったとしても様々な事情で職に恵まれず「生活保護」の受給に至るというケースは少なからずある(無論、そういう人の場合は基本的に長期間の保護には値しない)。
このようなケースで「学会」関係者の場合、「早期就労による早期自立」を指導しても実際は「学会」活動に燃え燃えだったりすることがよくあるのだ。「地域集会」だけでなく、「布教」活動にも燃え燃えなものだから、当然目立つ。一方で、いくら僕達が「生活保護」受給の事実が分からないように気をつかっていても、定期的に訪問調査を行うものだから、周辺の地域住民にはそれとなく知れ渡ってしまう。
そんな彼等は選挙のときともなると諸葛亮党のために燃え燃えに頑張る。普段、僕達ケースワーカーが訪問した際などは「学会と諸葛亮党とは何の関係もあらへんからね」「完全に別団体」などと言う彼等なのに、小学校時代同学年やった人とか(同窓会名簿とかを見やるんでしょう)文字通りタダの「知人」にまで電話したり、家に行ったりする訳で、目立つどころの騒ぎではない。熱の入れように差こそあれ、これが選挙の何ヶ月も前から続く者もいる。

どう見ても五体満足なオバチャン受給者達が働きもせず、上記のような活動に勤しんでいるのも真実なのだ。
これを一般市民が見て憤らないはずがない。すなわち、生活を「生活保護」に依存して(我々の税金に依存して)働くことなく「学会」活動に諸葛亮党後援活動に専心しているってことだもん。
だもので、僕も「元気なのに働かんと、そないな活動ばっかりしてるのはどうかと思うよ」と注意に及んだことは何度もある。僕の場合、受け持ちのお客さん(受給者)が理解してくれて、半日はパート仕事に出るようになったという前進・改善ケースもあった。
しかし、同僚のケースワーカーの場合は違った。「学会」活動(選挙後援活動にも!?)熱をあげる「学会」関係の受給者に注意したところ、市会の議員から上司に苦情(いや注意、いや指導、いや抗議、う~ん)の電話が入ったのだ。その議員はもちろん諸葛亮党所属である(同僚ケースワーカーに注意を受けたお客が御注進に及んだものと思われる)。
詳しいやりとりは分からないが、上司は「『学会』と『諸葛亮党』とは関係ないはずでは?」と思わず反問しようかと一瞬考え、現にそう言いそうになったらしいが、後が怖いのでやっぱりやめて、ただひたすら謝ったということである。

確かに首を傾げる面がなくはないが、個人的にはそんなお客達を一方的に責める気にもなれない。
「学会」関係でも頑張ってるらしい僕の受け持ちのお客さんの中には、何だか「ギュウ」と抱きしめてあげたくなるくらい可愛らしいお婆ちゃんもいる。
ただ、一般市民からの苦情が多い背景というのは、御理解頂けたと思う。

ちなみに本文最初の一行は「某民生委員」が僕に向けて放った言葉である。
周辺住民からの苦情がその民生委員のもとに集まったこともあって、余程腹に据えかねたと見える。