すすきのゼロ番地飲食店

中央区南6条西4丁目に昭和レトロな雰囲気を漂わせる建物。
1階が市場、その地下に「すすきのゼロ番地」がある。

すすきのの歴史背景「1」

2012年05月06日 | Weblog

 

  札幌市中央区の歓楽街すすきの(薄野、ススキノとも表記される。)は、明治4年(1871)北海道開拓使が現在のすすきのの2丁(約220m)四方の区画に公認の遊郭を設け「薄野遊郭」と命名したことから周辺一体の歓楽街は、すすきのと呼ばれるようになった。すすきのの歴史は、札幌開拓の歴史でもあり、明治2年(1869)北海道開拓使が設置され、開拓使判官の島義勇が札幌本府の建設に着手して札幌の開拓がスタートした。
 明治3年の札幌の人口(定住者)は、わずか9戸13人であったが、開拓使判官の岩村通俊が赴任し札幌本府建設が本格化すると、政府の募集に応じた数千人の職人や職工等が送り込まれた。市内は旅籠や飲食店が立ち並び一気に活気に満ちた。しかし彼らは、腰掛意識が強く、賭博や飲酒にふける者が多く、作業能率は低かった。また、下級私娼が出没し取締りも難しいことから、開拓使は、職人たちの士気の高揚と定着を目的として公設の遊郭を設けることとした。
 明治4年(1871)市内周辺に点在していた女郎屋 7 軒を、現在の南4条〜5条、西3丁目〜4丁目に集め、周囲に高 4 尺の土塁(堀を掘った土で築かれた土堤)を巡らせた遊郭を明治5年の夏に完成させた。(遊郭の跡地は、道路の中心が少しずれていて、地図上ではっきり判断できる。)
 正面に大門を設置したこの遊郭を工事監事の薄井竜之の一字を取って岩村通俊が「薄野遊郭」と名付けたとされている。
 薄井竜之(1829−1916)幕末―明治時代の尊攘運動家。文政12年生まれ。維新後開拓使監事をへて明治11年東京裁判所判事、秋田地方裁判所長を務めた。大正5年11月29日死去。88歳。長野県出身。

=つづく=


 

 

 ◆営業のご案内・平成24年4月1日現在「西側」 ◆

スナック     滝    011-521-5252    金子 政江

スナック   紫 園    011-512-1880    眞鍋 紀子

 スナック   ミ エ    011-532-1313    宮本美栄子

酒 房     すいづ   011-511-0211    牛島八重子

スナック    マミー   011-531-5950    北原 正博

Cafe  ママキッチン   011-512-6900    結城三都江

        しのぶ    011-512-2637    高橋 洋子 

◎ 皆様のご来店を心よりお待ち申しあげます。

 

  

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北海道歴史探訪・すすきの(11)

2012年04月04日 | Weblog

薄野駅前通り

南5条西4丁目

しかし明治19年、北海道庁が置かれると、岩村は北海道庁初代長官に就任。

赤レンガ庁舎を建設し産業の復興、交通網整備に努めました。

大正4年、76歳で亡くなるまで北海道を愛し、北海道のために努めた

岩村通俊、強引で大胆な行政を行った結果実質的に北海道の礎を築いたのは

彼であるといっても、間違いありません。

今日は最終日にふさわしい方ですね、北海道の初代同庁長官「岩村通俊」。

岩村の大胆さがなければ、「すすきの」は出来なかったかもしれませんね

・・恐ろしい・・

この度、北海道の歴史を取り上げなかったら、このような素晴らしい先人達の働きや

ご苦労を、深く知りえなかったと思います。正直、深く調べるうち目頭が熱く

なった時も結構あります。

我々のご先祖達に深く深く感謝をします。

そして命を賭けてつくってきたこの北海道を、さらに

素晴らしい北海道にすることを心に誓います!

それが私達に宿っている

==END==


 

 

 

  営業のご案内・平成24年4月1日現在「東側」

      • スナック   渉      011-512-6408      山岡 薫代
      • BAR     あかり    011-531-2002      杉垣 生代
      • 酒房     利尻     011-512-2897      河部 チヨ
      •         華     011-796-3174      遠藤 明美
      • 酒坊     小京     011-521-4478      牧野 トミエ
      • 居酒屋   わか乃    011-531-3185      若能 幸子
      • スナック  札ちょん    011-512-4325      太田 正師
      •        ZERO     011-802-8509      大和田卓生
      •     Quarter1/4     011-512-7460       田中 真一

皆様のご来店を心よりお待ち申しあげます。

 

 

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北海道歴史探訪・すすきの(10)

2012年03月11日 | Weblog

南5条駅前通り

 

当時の札幌の状況を、明治時代の新聞「札幌繁盛記」にはこう書かれています。

「その頃の札幌は人家
もまばら。ことに夜は寒い。人夫達はふるさとの地を思い出し、

仕事も手につかず、一人逃げればまた
一人姿を消す」と職人達の逃亡の事情を伝えています。

男の数が多かったため、毎日のように暴力沙汰
が起こり、札幌の治安は手のつけられない状態にありました。

岩村はこのような状態を見て、大切な
労働者をこのままにはしておけないと悩んだあげく、彼らに国の税金を使って

娯楽の場を与えることを思いついたのです。
岩村は開拓監事である薄井龍之に、200メートル四方で歓楽地を作らせ、

薄井の名を一字とって、
「薄野遊郭」と名づけました。東京から芸者数十名がこのすすきのに

呼び寄せられ、殺風景だった
札幌の町並みが一気に華やかになったのです。

すすきのには労働者だけではなく、高級官僚も多く
訪れるため、今でいう官官接待も頻繁に行われていました。こうして、

岩村も含め、男達の生活に
潤いが出来たため、治安も安定するようになりました。
札幌の建設を着工してようやく軌道に乗り始めた明治6年、岩村は突然

辞職させられてしまいます。
原因は、開拓長官の黒田清隆との衝突でした。もともと性格が

合わなかった彼らは、ことごとく意見が
衝突しついに岩村は東京に帰されてしまったのです。

=つづく=


 

営業のご案内(東側)

    • Bar あきら house  011-827-5531     成澤 知美
    • スナック ふるさと   011-531-6324     秋野ツヤ子
    • 焼もの          011-531-7707     北川 孝子
    • ta!sixun         011-552-3988     大野 泰介
    • そばびより朱月菴    011-562-8081     松倉 隆浩
    • 酒房 あお柳      011-521-1566     高山千恵子
    • 酒房 花だいこん   090-9082-5068     能戸 幸子

 

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北海道歴史探訪・すすきの(9)

2012年02月05日 | Weblog

南6条より駅前通り

次に区画を整えるにあたっては、市街地を4キロ四方とし、道幅も細く設定しました。
さらに通りの命名も、京都にならって人々にわかりやすく、条・丁目と改めました。
こうして岩村は着々と事業をこなしていきましたが、ここにきてひとつの

難題にぶつかりました。
それは、当時辺りに生息していた熊より厄介だといわれた火事でした。

住民が住む粗末な草小屋は薪を
炊いて暖をとることによって、草葺屋根に燃え移ってしまい、

それが大火事につながることも少なく

なかったのです。そこで明治5年、岩村は「草小屋を取り除く」という

お触書を出したあと、退官覚悟で
御用火事と呼ばれる放火を決行しました。まず、官庁にあった草小屋を

模範的に焼き払い、それから
民家を全て焼き払うという強行手段に出たのです。
岩村がまわりの非難を振り払ってでも行った、この御用火事によって、

町並みもきれいに整えられ、
火事などの災害はほとんどなくなりました。延焼防ぐ目的で札幌で

はじめての消防隊が誕生したのも
この御用火事がきっかけだといいます。
こうして札幌の開発は急速に進み、岩村は次の事業に取りかかりました。

それは、土木作業者のために
北海道で初めての官庁公認の遊郭を、すすきのに設けることでした。

=つづく=

 

 昭和レトロの癒しの穴場 

すすきの南6西4ゼロ番地の魅力を探る

 

すすきの中心部の一角(南6条西4丁目)に、ひときわ異彩を放つビルが建っている。
1
階に『すすきの市場』(所有者=札幌振興公社)、2階〜5階に公営住宅(同土地再生機構)、地下1階に飲食店街《 すすきのゼロ番地 》(同すすきのゼロ番地飲食業協同組合)が入居するこのビルは、大正11年に設置された札幌第二公設廉売市場が前身。
地下1階部分についていえば、昭和33年に現在の建物に建て替えられたのち、(株)北海道振興の管理運営時代を経て、昭和46年に協同組合へ売却されたのを機に、現在の《ゼロ番地》の名称で呼ばれるようになった。
《ゼロ番地》の由来は、『地下で番地がなかったから』『ゼロからのスタートという意気込みから』など諸説があるようだ。
戦後65年、すすきのは大きく様変わりしてしまったが、『ゼロ番地』は今も昭和のレトロムードを色濃く残しており、癒しを求めて訪れるファンが少なくない。最近は老舗店に加え、スタイリッシュな新店舗も登場。
若者にも注目され始めるなど、新たな魅力も備えた『ゼロ番地』である。

 

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北海道歴史探訪・すすきの(8)賀正

2012年01月08日 | Weblog

 あけましておめでとうございます

新年明けましておめでとうございます。

旧年はゼロ番地をご利用下さいまして誠に有難うございました

本年もより一層のサービスを心掛ける所存です

どうぞ宜しくお願い申し上げます

お蔭様で、今年も31店舗「全店」のお店が14日より元気よく新年を

迎える事ができました。

依然厳しい状況が続くススキノですが、今年も組合員一同、

少しでも明るい話題を皆様に提供できるよう努力してまいります。

2012年も変わらぬ御指導、御支援を賜りますよう

お願い申しあげます。

 札幌市薄野ゼロ番地飲食業協同組合

 すすきの市場(1階)・ゼロ番地(地下)  2階〜5階(住宅)

 

東北以北最大の歓楽街「ススキノ」。私も好きです。
ネオンに何かステキなものを感じますね・・・引き込まれそうですね・・・
そんな「ススキノ」のもとを築いたのが「岩村通俊」という方です。
土佐出身の岩村通俊は明治2年開拓使新設に伴い、東京に妻子を残し、

29歳で北海道開拓判官として
函館に赴任。明治4年には、島義勇の大事業を引き継いで札幌にやってきました。
しかし、岩村は予算の使いすぎで解任になった島義勇を教訓に、

予算難を理由にすぐには札幌建設に
手をつけようとはしませんでした。そうしているうちに、利益にさとい商人達は、

札幌が北海道開拓の
首都になるらしいことをどこからか聞きつけて、全国から集まってきました。

ところが、せっかく来ても街も何も無いと皆失望しましたが、

少し様子を見ているとさらにつぎつぎと

商人が集まってくる。
するとそのうち商人のための宿屋が建ち、続いて飲み屋が出来た。

風呂屋まで出来て、それらは大繁盛
したそうです。こうなると勢いがつき、雑貨屋、呉服屋、

茶屋がつぎつぎと並びました。
そんな状況を見ていた岩村は、札幌首都建設に着手しようと決めたのです。
まず、建設工事の能率を高めるため、岩村は函館時代の知り合いで五稜郭の

建設を請け負った、中川源左衛門を大工棟梁に置き、

彼を通じて函館、東京などから千数百人を

集めて作業に当たりました。

 〜つづく〜

ゼロ番地東側

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北海道歴史探訪・すすきの(7)

2011年11月27日 | Weblog

 

 すすきの・南5条西4丁目

 

それに風紀上も好ましくないって事で中央区南4〜5条西3〜4丁目の2町4方を

区画して1ヶ所に遊郭を移して纏めちゃった……これが官許遊郭って奴ですね。 

この遊郭を当時の判官岩村通俊は「薄野遊廓

(すすきのゆうかく)」と名付けちゃたんですよ 

この地を選んだ工事監督の薄井竜之(うすいたつゆき)の姓にちなんだもの

という説とこの一帯が茅野(すすきの別称)だったことから名付けられたという

ふたつの説があるそーです。 

大正9年になるとススキノ遊郭は周辺の人口増加や豊水小学校が近かった

事等の理由で豊平川を越えた菊水に移転されススキノ遊廓としての

歴史は終わっちゃったんですよ

その遊廓跡にはその後カフェバー等の飲食店が立ち並び現在の

ススキノネオン街発展の基礎を作ったんですぅ! 

でもススキノという地名が示す地域の範囲は曖昧なんですよね

すすきの観光協会は『南北は南4条〜南6条の間・東西は西2丁目〜西6丁目の間』

と定めてます。 

札幌中心部って碁盤の目になってて大通公園を基点に南北 創生川を

基点に東西に分かれてます。

 

・・・つづく・・・


ゼロ番地入口・駅前通り

★★★ ここがススキノのコアスポット!! ★★★ 

すすきのゼロ番地のオススメ 

 表通りのススキノに飽きた足らなくなったら「すすきのゼロ番地」へ! 

1958年に誕生した「すすきの市場」地下の飲食店街には、個性的で魅力的な 

お店がいっぱい。

 ≪ママキッチン≫     TEL 011-512-6900    開店PM4:00より

 平成10年にオークラビル7階ニュークラブ「赤門クラブ」に13年間勤務

 長年の夢が叶いましてゼロ番地にて平成2391日オープンしました。

 カウンターとボックスを合わせると13席の小さなお店です。
 心和む木目調で統一された「ママキッチン」。優しい笑顔が結城三都江

 ママの手作りチャーム(料理)は常連の間でも大好評。

 気取らず低料金・明朗会計で安心に飲めますと三都江ママ。

 メニューは 1.オリジナル日替わりまかないめし・・・オール500

                   2.ティクアウト3品こだわりの・・・・・オール300

              ホットケーキ揚げ焼きピザ、唐揚げ5ヶのみ

バースデープレゼント一品(本人希望の品)サービス致します。

当店では、女の子に=パン作りを楽しんで欲しい。家庭料理を味わって欲しい。

                              =ダイエットの正しいやり方。アドバイスします。

 いちおし・海鮮チヂミ

毎週(火曜)・ハンバーグの日  毎週(土曜)・唐揚げの日

     女性同伴大歓迎・・女子会やサークルにお使いください。

    お食事時のドリンク無料。お気軽にご来店ください。

    貸切OK!!3時間アルコール込み。

 無くなり次第閉店。 当店はセルフサービスになっております。

 

 

 

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北海道歴史探訪・すすきの(6)

2011年11月06日 | Weblog

 

さて、札幌市内散策も、大通公園を越え、道内一の歓楽街、

すすきのまでやって来ました。

元は北海道開拓使が遊郭地帯に指定したことから始まったすすきの。

残念ながら夜、ここで過ごすことは出来ませんでしたが、さすが賑やかな繁華街の

雰囲気に満ち溢れていました。すすきの近くの狸小路というアーケード街

もなかなか華やかな感じですね。

またこの辺りは札幌で唯一残る市電が走っていました。

すすきのから市街をぐるっと回って、直ぐそばの西四丁目まで。

結構色々な色の車両が走っていました。

華やかな看板に彩られたビル街の繁華街をレトロな市電が走る光景も

なかなかいいものでした。

この札幌シリーズはコンデジですが、これからしばらくはコンデジ大活躍かも?

ススキノの起こりは開拓使が意図的に設けた遊廓なんですよ

明治4年札幌本府建設が再開されると数千人の請負人・大工・

職工達が送り込まれたんです

このため函館から商人を移住させたんですけどそのほとんどが貸座敷・

旅人宿などの

接客業で結局花街を形成する有り様だったんです

これらの業者を町のあちこちで営業させることは取り締まりが難しいし

 

==つづく==

   

 

すすきの発祥の地・ゼロ番地飲食店街

すすきのゼロ番地は今年で40年を迎えました。
「すすきのゼロ番地」の特徴はいろいろあるが、警察や暴力追放運動推進協議会、他、関係団体等に参加し、すすきの地区の環境浄化に積極的に取り組んでいることから料金、雰囲気ともに安心して楽しめる所である。
建物の歴史上老巧化は否めないが、管理され古いなりに磨き込んだ廊下に並ぶ店舗は、スナック、居酒屋、そば屋、スタンドバー等、店主1人で営む小さな店が多い集団であるが、30年以上営業している店は半数以上あり、親子二代にわたる常連客も多数です。
ススキノの発祥地とも言われるこの場所、時代と共に街の様相が変わって行く中、「すすきのゼロ番地」の健全で暖かな雰囲気を守り、何よりも多くのお客様に愛されるよう、組合員一同で取り組み続けたいと思います。

平成18年頃から新規開店する若い経営者が多くなり、ゼロ番地の客層も少しずつ変わりつつありますが、今では3分の1が新規のお店です(お客さんも若い人たちが多くなりました)昭和の雰囲気を残す昔のイメージが少し変わってきた感じがします。

 

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北海道歴史探訪・すすきの(5)

2011年10月10日 | Weblog

 

昭和に入ってからは料亭、カフェ、映画館などが誕生し活気付きました。

 戦後まもなくキャバレーやダンスホールなども誕生し、駐留アメリカ兵も多く出歩いたのだそうです。
1960
年代後半には札幌オリンピックが開催。1970年前後はすすきのの中央を貫く

札幌駅前通が拡幅され、地下鉄南北線や地下街ポールタウンが整備されます。
1970
年代後半からはディスコブームに乗って多くのディスコが誕生します。

さらに1980年代にはビジネスホテルが次々と建設され、1986年には天然温泉が発見されました。
すすきのの基礎をつくった岩村は、大正4年、76歳で亡くなりました。かれは今日のすすきのを想像できていたのでしょうか。
ススキノという命名は、もともと地名からとったものだという説や、薄が一面に生えていたという説もあり一定していません。
しかし、岩村通俊、薄井龍之。2人の名はすすきのがある限り、決して消えて行くことはないでしょうね。
いつぞやすすきのの迷惑駐車の取り締まりが厳しくなり、違法駐車が激減したと同時に犯罪も減ったそうです。

ブロークンウィンドウズ理論というそうで、小さな乱れなどが大きな犯罪につながるから、小さなこと(例えばゴミの片付けや、違法駐車の取り締まり等)からはじめるというものらしいですね。
いままた、すすきのではカラス族対策の条例ができそうです。
カラス族とは、道行く若い女性に風俗店などで働くこと等をすすめる人々のことだそうです。
そのように日々様子も変わりつつあるすすきのですが、楽しい街であることにかわりありません。
経済のおちこみとともに、不景気のあおりをモロに受けているすすきの。

 

==つづく==


 すすきのゼロ番地

大正11(1922年)に札幌第二公設廉売市場がこの地に設置されたのが最初 昭和20年代に引揚者用住居付店舗として三棟が建設(290坪)される。
昭和33年(1958年)環境が劣悪化であったことから日本住宅公団東京支所に依って建て替えられ、建物は現在50年を迎える事で、すすきの発祥の地と言われている。
建設当初地下1階部分は現在のような飲食店街ではなく、雑貨店や歯科 医院などがあった。
その後、昭和36年に土地は札幌市から(株)札幌振興公社に売却された。
昭和40年代に入り、大きな転機を迎えることになった。
地下1階の店舗が営業不振のため(株)北海道振興に一括賃貸することになり、飲食店街「すすきのゼロ番地」として誕生する。
昭和468月地下1階部分を(株)札幌振興公社から買い受けた。
これを契機に【札幌市薄野零番地飲食業協同組合】を結成する。
現在 スナック、居酒屋、そば屋、酒房等31店舗が営業中

 


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北海道歴史探訪・すすきの(4)

2011年09月04日 | Weblog

 

 

ススキノには労働者だけではなく、高級官僚も多く訪れました。こうして男達の生活に潤いができたため、治安も安定するようになりました

発案者の岩村もこの歓楽街はありがたかったに違いありません。彼の目にはさらに発展する札幌、ススキノが見えていたでしょう。
しかし、札幌の建設を着工してようやく軌道に乗り始めた明治6年、岩村は突然辞職させられてしまいました。
原因は、開拓長官の黒田清隆との衝突でした。

性格が合わなかった彼らは、意見が衝突し、ついに岩村は東京に

帰ることになります。
しかし明治19年、北海道庁が置かれると、岩村は再び北海道に戻ってきます。
北海道庁初代長官に就任し、赤レンガ庁舎を建設し、産業の復興、交通網整備等に努めました。

 明治20年代になると、すすきのには大きな料亭が開業し、伊藤博文をはじめ日本の政財界のトップが次々と来札しました。

                                                          ==つづく==


 

魅力、再発見!! =すすきのゼロ番地=

昭和の雰囲気を残すスナック、居合わせた人と仲良くなれる居酒屋、心落ち着くバーなど通いつけたくなるお店が31軒、営業しています。

 ❉中央区6条西4丁目。札幌のメインストリート駅前通りを南に下ると、配達用の自転車が並び、昭和レトロな雰囲気を漂わせる建物。
1
階にはすすきのの台所と言われてる『すすきの市場』魚屋や八百屋、酒屋、駄菓子、クリーニング、おにぎり屋など軒を並べ、25階に住宅、そして地下には19718月に誕生した飲食店街【すすきのゼロ番地】がある。
建物の中央、東側、西側と3ヵ所ある階段を下りると、元気をくれるお母さんがいるスナック、酒をじっくり味わえる様に程よい距離感で接してくれるマスターがいるバー、シンプルだが愛情がたっぷり入った料理を楽しめる居酒屋など様々な魅力を持った

 31もの店が待っている。
ネオンに彩られた街ではなく個性溢れる「すすきのゼロ番地」で、通いつけたくなる

お気に入りの一軒を見つけてみたい。

 

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北海道歴史探訪・すすきの(3)

2011年07月31日 | Weblog

 

 

こうして札幌の開発は急速に進んでいきますが、岩村はさらに

事業を起こすんですね。
それは、土木作業者のために北海道で初めての官庁公認の遊郭を、

設けることでした。 

男の数が多かったため、毎日のように暴力沙汰が起こり、

札幌の治安は手のつけられない状態になっていました。
やはり女性がいないと殺伐とするものなんですね。
岩村はこのような状態を見て、労働者に娯楽の場を与えることを

思いつきます。
岩村は開拓監事である薄井龍之を呼び、計画を話しました。
札幌に歓楽地をつくり、労働者をはじめ、人々が楽しめる

場所をつくろう、そして、

単身赴任の男たちにも安らぎを与えられるような町をつくろうと。 

これをうけた薄井は、道庁からやや離れたところに、

200メートル四方で町割りをしました。 

そこに歓楽地を作らせ、薄井の名を一字とって、「薄野遊郭」と

名づけました。
南北に走る駅前通りと東西に走る南5条通り(すすきのメイプル通り)の

交点を中心として四区画をその範囲としました。
薄井は東京から芸者数十名をススキノに呼び寄せます。それだけで、

男ばかりで殺風景だった

札幌の町並みが一気に華やかになりました。
                                        ==つづく==


薄野ゼロ番地=40年の足跡

ススキノでも珍しい管理組合が運営する「薄野ゼロ番地」は店主がゼロからの出発との事で名づけられたとされている

31店舗のスナック・居酒屋・ショットバーなど店主1人で営む店舗が多く、40年以上営業している老舗と新しい店が混在する不思議な空間だ。

 

札幌市薄野ゼロ番地飲食業協同組合理事長を務めるのは太田正師さん。

 「昔は廊下に出ると人とぶつかりながら歩いていたけど、ここ数年ススキノで遊ぶ人少なくなってゼロ番地も客足が減りました。しかし昨年頃から57件の店舗が新規オープン、若い客が足を運んでくれるようになって、少しずつ客足が戻ってきたので嬉しいですね」。

 建物の老朽化や構造上の問題で冷たい風が吹き抜けるため、寒さ対策として東側出入り口に自動ドアが'‘0612月に設置され、トイレに行く時に酔いが醒めたり、店内なのに厚着をすることもなくなり快適な空間になった。

 スナックで飲んでいてトイレに行く途中のバーに立ち寄り一杯だけ飲んだり、隣店に席がありながら小腹が空いたからと居酒屋でたべるなど、一つの建物内で雨風関係なく自由に行き来できるのが、すすきのゼロ番地の魅力なのかもしれない

その魅力を自分なりに見つけてみるのも実に面白い。

 

 

 

1922

札幌市2ヵ所目の公設市場として設置したのが前身

 

1958

現在の建物が完成し地下と1階部分は、札幌振興公社が札幌市の要請により店舗として、25階部分は住宅として日本住宅整備公団が所有。

地下には雑貨店や歯科医院などが入居

 

1961

土地が札幌市から札幌振興公社に売却

 

1971年〜現在

地下部分を札幌市薄野ゼロ番地飲食業協同組合に売却し、飲食店街「すすきのゼロ番地」の名称になり、ここからがゼロ番地のはじまり。

その後何度も修繕、改築され32ある物件が全て埋まる時期も長く続き、現在でも

 31店舗の飲食店が営業している。

 

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