昨日は生協の出資金を奪還しに、上野から田町までチャリンコで駆けてきました。片道一時間半くらいだった上にほとんど上り下りがないので楽なもんでしたが、途中日本橋付近で突然よろめいたおばーちゃんを轢きそうになって血の気が引きました。とっさに脳裏に「過失傷害罪」って言葉が浮かんだあたり、腐っても法学部卒です。
まったくと言っていいほど4月から社会人になる、という意識の希薄な日々ですが、自分が未だ学生だという気分はさらに希薄です。それよりもいっそうリアルなのは、もうすぐ自分が25歳になるという事実の方です。心臓の鼓動から算出される人間の予測平均寿命は50年、その折り返し地点に立つと共に、女の25歳はそろそろ結婚やら出産やらを本格的に意識し、また実際に経験する友人たちが出てくる時期でもあります。経済的に自立することは元より、もうちょっと人間としてしっかりしたいなぁと思う今日この頃。
最近Do As Infinityの「遠雷」という曲を聴いていて、「みんな一人で生きてゆくもの」という歌詞に心が惹かれました。この曲の中でも、この言葉を言ったのは母親ということになっているみたいですが、私も小さい時、母に似たようなことを言われました。曰く、「須らく自己責任よ」と。
思春期の頃は、なんか冷たいし悲しい台詞だなーとか思っていたわけですが、最近になって考え方がちょっと変わりました。大人になるっちゃどういうことね、と言われれば、つまりは一人で自分の生活にも、精神にも、責任を持てるようになるってことじゃないかと思うのです。
心臓的には人生の折り返し地点。社会的にも、もはや己の間違いや勘違いを丁寧に指摘し、教育をしてくれる人も少ない。自由になった分、自分の決断とそれによって生じた結果には、責任を持てるようになりたい。責任を持つことは、覚悟をすること。どんな結果が待っていても、それに潰されない強さと誇りを持つこと。…なんじゃないかなぁ、と。
辛い結果が生じてしまった時自分が崩れてしまわないように、大切な人たちや大切なものを見極め、それをちゃんと守れるようになることも大人の証。今私の周りにいてくれる優しいひとたちのために、そしてこれから出会うかもしれない愛しい人々のために、足元から一つずつ、できることをやっていこうと思います。