『惰生。』

おかめ亭春蔵と申します。「惰眠をむさぼる」ごとく人生まるごと「惰生」をむさぼってしまいませうか。

世も末なのか…

2012-06-26 10:27:57 | 日記
午後11時、つまりは23時過ぎたころだ。
「すき家」で飯を食いました。
高校生な制服姿の女子二人、生まれたことを反省すべき男子の四人組×二組、同様に仮に成長しても無駄に酸素を浪費するだけの男子の単体×2、リーマン×1、そして俺。
こんな店内だ。
こんな時間に女子高生であるところのJKが制服で飯を食う…まずは問題外。
その親の顔を見たところで問題外。
飼い主としてどう?
んで無駄のカタマリなガキどもな。
俺の視界…つーかこの世から去れ。
ま…
そんなことは日常茶飯事なんで置いておきたくはないが今宵はよし。
つーかね、箸を正しく使ってんの、俺だけぢゃね?
ある程度年齢重ねてそーなリーマンですら…ありえねぇ…
とりあえず飯食う権利として箸は正しく持ってみませんか?
味わう資格無ぇから。
旨いだ不味いだ言う権利無ぇからな。
家ならともかく最低限のマナーとしてさ、箸くらい正しく使わせるべきでしょうに。
テレビ番組でジャリタレが汚ぇ食い方で能書きたれてやがんの観てもムカつくよね。
左箸も個性ぢゃなくマナーとして駄目ね。
箸を右で使う前提で職人さんは盛り付けすんだからね。
何より左箸って隣の人の肘が当たるぢゃん。
狭いとこで並んで食う文化があんだからさ。

もうね、とりあえずさ…ちゃんとしよ。
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出会い。

2012-06-19 02:41:23 | 日記
川釣りをする人間にとっちゃそれは普通に使われる言葉である。
本流と支流がぶつかり合う、川と川がぶつかり合う場所である。
幾筋もの複雑な流れが集まる場所である。
釣りにおいては絶好のロケーションなわけだ。
理論的に言えば流れがぶつかることで空気、言わば酸素を沢山含み、多くの流れが混ざり合うことで餌も豊富になる可能性が高くなり魚が集まりやすくなると言うわけだ。
魚が集まればそれだけ釣れる可能性も上がると。
ゆえに魚釣りに於いては絶好なロケーションであり、いわゆる大場所となるわけだ。

普通に使われる「出会い」。
男女のそれも含め。
俺の座右の銘…でもないか…ただの理論か。
出会いは必然であり偶然なんかぢゃない。
すんげぇ嫌いなヤツであっても、クソみてぇなヤツであってもさ。
それは自分の駄目な部分を映してくれている言わば鏡なのかも知れない。
こんなクソヤロウでも生きてるんだと教えてくれているのかも知れない。
今の自分にとって何かしら必要性があって目の前にいるんだと。
そう考える。
あと数年で半世紀を生きることになるわけだけども、そのほとんどを友人として心の拠り所にしているヤツもいるし、もうすでに記憶の端に追いやられ俺の人生の中ぢゃエキストラの中の1人でしかないヤツもいる。
ひとときは肌を触れ合い、心を慰めあったけども今ぢゃ思い出すことすらない女性もいる。

それでも何かは残してくれてんだよな、きっと。
んでこれから出会うことにもきっと何か意味があんだろな。
それだけはずっと信じていこうと。
なんだか急にそう思った。
四半期…これからも含め半世紀もそれ以上も俺を気にしてくれてるヤツらに感謝、感謝。
マジ、ありがと。
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