「父が入院してしまって」
という書き出しで書いた下書きが
ブログに投稿されないまま残っていました
書いたのが昨年の11月21日になっていたので
父が亡くなった12月9日まで
そのあとの実にほぼ二十日間ほどを
相模原の息子の部屋に泊めてもらったりしつつも
木更津と藤沢を行ったり来たりして
父との最後の蜜月を過ごしていたことになります
これに書いてあるように
認知症で もう何もわからないとはいえ
お昼前から夕方までの時間を病室で一緒に
父とこんなにゆっくり過ごしたことは
今までなかったと思います
そして不思議なことに
最後ほうの日々には
病院に行き いつものように
「彰子だよー また来たよー」
と言うと
「おう」 と返事をしてくれて
私のことが ちゃんとわかっているようでした
それはとても自然ななりゆきのように何の違和感もなく
亡くなる前にはすべて
神さまはよく取り計らってくれるんだと
その時に思いました
荼毘にふす時に 柩の中の父の胸元には
私が昔に父のことを書いた 雑誌のエッセイを二編と
このブローチを 名刺と一緒に収めました
「最近はこんな仕事してるよ
応援してね」って
美術家になった私は 父の自慢の娘だったので
きっと今度も応援してくれると思います
ーーー 平成26年 11月21日 記 ーーー
父が入院してしまって
面倒を見てくれている姉の住む藤沢の病院に
お見舞いにいきました
しばらく前から肺炎で入院していて
それは落ち着いたんだけど 食事が殆ど摂れないということで
もうかなりの老齢なので「覚悟しておいてね」という姉の電話を受けて
「チチ キトク?!」とばかりに
あわてて家族で藤沢に向かうことになりました
とはいえ子供たちはみなそれぞれで住んでいるので
病院へ現地集合
思っていたよりも父の顔色はよく
その日 私は相模原の息子の部屋に泊めてもらい
次の日も病院に行き
眠り続ける父の頭を撫でたり
足をさすったりして過ごしていました
私は高校を卒業して 美大の浪人生になってすぐに
家を出てひとり暮らししてしまったから
父と一緒にいた時期は実質そんなに長くはない
だから少しでも一緒にいたかったのです
父はずいぶん前から認知症で
私のことも もうわからないの
以前姉の家で会ったときに 私を見て
「おや? 可愛いチンドン屋さんだねぇ」
と言っていた
でも別段それは悲しくはなく
むしろ可笑しくて 嬉しくて
もう少し地味な服にしたほうが良かったかしら
なんて思った