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大森寺 森ヶ崎鉱泉源泉碑 (東京都大田区大森)

2012-10-03 23:00:47 | 温泉雑感
大森寺大森寺 posted by (C)pochi

先日都内で開催された『第二回海外温泉紀行発表会』に参加した翌日、宿泊した【ホテル末広】のご主人から黒湯の歴史をお聞きした際に、大田区内に鉱泉宿があった事、またその記念の石碑がある事をお教えいただいたので早速翌日に行ってまいりました。

案内板には明治34年(1901年)に森ヶ崎鉱泉の発見と泉効試験を記念して建てられた石碑で『明治35・36年頃には鉱泉宿ができ始め次第に東京近郊の保養地、臨海行楽地として栄えたが、太平洋戦争を契機として転廃業した』との記載があります。
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大田区のHPより『森ケ崎鉱泉源泉碑』
http://www.city.ota.tokyo.jp/shisetsu/rekishi/oomori/morigasakikousen_gensenhi.html

明治~戦前の昭和のスパリゾート。戦後森ヶ崎海岸は埋め立てられて地形も変わり、源泉も残ってはいないようです。
単なる石碑見学だけのミニミニ観光でしたが、この辺りが賑やかな温泉街だった頃をふと想像してみたのでした。


日蓮宗大森寺  東京都大田区大森南5丁目1-2



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1 コメント

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Unknown (K-I)
2012-10-04 01:27:45
こんばんは。2次会の後に「ホテル末広」へ行かれた方がぽちさんでしたか。実は私も2次会まで参加していましたが、あの方がぽちさんだったとは気がつかず大変失礼致しました。あまりお話しできずに後悔しております。当日は大変お疲れさまでした。

いまの森ヶ崎はくすんだ街並みと小規模の町工場、そして下水処理場のイメージしかありませんが、戦前は鉱泉街があったんですよね。尤も、三業地として栄えた大森海岸と同じような雰囲気で、男女が密かにシケこむような郊外の海辺の歓楽地だったようですね。温泉・鉱泉地というより、昭和の言葉で表現するならば逆さクラゲ的な宿が建ち並んでいたのでしょう(永井荷風の随筆にもたまに登場しますね)。

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