インディペンデントな人生

上質で快適な大人の生き方を求めて - ロンドンからの提案。

リオ五輪 オリンピックボランティア採用のスケジュール

2016-02-22 23:47:27 | オリンピック
今回の投稿も含め、オリンピック、ボランティアを中心として「オリンピックといえばボランティア」というブログをはじめました。今後は http://blog.livedoor.jp/charlesnishikawa/ まで。 


オリンピックボランティアが今のようなハイプロファイルとなったのは、ロンドン五輪でのゲームズメーカーの活躍からである。ロンドン五輪の成功はボランティアプログラムの成功によってもたらされたといってもいい。ボランティアはゲームの顔であり、その国を代表する人たちだからである。普段は恥ずかしがり屋のイギリス人が心からの笑顔で世界中から集まった選手、関係者、観客をもてなしたのはまだ記憶に新しい。しかし思えば4年近く前になるのだ。そして私のオリンピック遍歴もロンドン五輪でのゲームズメーカーから始まる。そしてソチ冬季五輪にも参加し、今年開催のリオ五輪にも組織員会の通訳ボランティアとしてゴルフと卓球を担当することになっている。

近年のオリンピックは、特にシドニー以降かなりマニュアル化されていて、基本的な用語、オペレーション、スケジュールなどはほぼ統一化されている。ボランティアの募集に関しては基本、開催の2年前ぐらいに始まり、1年を切ってから採用通知と配属オファーがでて、すぐにテストイベントが行われ、トレーニングの後本番に突入する。ちなみに今回のリオ五輪のボランティア募集スケジュールを見てみよう。

・2014年8月28日:募集開始
・2014年11月15日:応募締め切り(ただし応募人員が少なかったため2か月延長)
・2015年1月15日:最終締め切り

その後書類・身元審査を経て、同時に一般的なガイダンスや英語試験をオンラインで受けることになる。その後私の場合は外国人ということもあり、8月にビデオリンクを使って面接試験(グループで)を受けた。そしてほぼ内定を前提に通訳チームマネジャーとやはりビデオリンクで具体的な面接をした。この時点で希望の競技や場所などを聞かれるわけだ。そして11月30日に正式な採用通知と配属が決まった。職種や本国・外国人の差はあるものの、現代のオリンピックではほぼ上記の日程が基本である。ボランティアでありながら将来の予定をFixしなければいけないので、あまり早くに募集はかけられず、組織委員会の体制も整っていない。ロンドンの時は居住者ということもあって、合格通知は上記よりも2か月ぐらい早かった。しかし、大体本番の1年前をきってからだ。

次はソチのボランティア募集についてもう少し詳しく書くことにする。


リオ五輪 オリンピックボランティア

2016-02-18 19:15:10 | オリンピック
考えてみるとほとんど病気といってもいい。今年8月5日にスタートするリオデジャネイロ、夏季オリンピックにボランティアとして正式に行くことになった。リオ組織委員会からの連絡によると希望通り通訳サービス。112年ぶりにオリンピック競技として復活するゴルフとロンドンでも経験した卓球が担当だ。

思えばすべてあの日にさかのぼることになる。2005年7月6日がその日だった。当初パリにリードされていたロンドンは、2012年の夏季オリンピックの候補地として最後のラストスパートを敢行していた。へザー・スモールの歌う「Proud」は、招致のキャンペーンソングとしてあちらこちらでかけられていた。この曲を使ったプロモーションビデオは、ウィットにとんだ素晴しい出来だ。特にBAとバージン航空のクルーが一列に並んで、横断歩道で信号グランプリをするところは、流石イギリスのユーモアと言える。さらには当時の英国総理大臣、トニー・ブレアもIOC総会の開催地、シンガポールに乗り込んで最後のロビー活動を展開。素晴しいプレゼンテーションや、将来を担う子供たちに夢を持ってもらうという、シンプルで分かりやすいメッセージ「Inspire a Generation」を全面に打ち出した。そしてモスクワ、ロス五輪1500メートル走の金メダリスト、国会議員も務めた招致委員会、セバスチャン・コー会長のリーダーシップが見事に合わさって2012年のオリンピック開催を勝ち取ったのだ。壇上のジャック・ロゲIOC会長から「London!」という言葉が発せられた途端、ソファから飛び上がって分けも分からず叫んでいた。そう、全てはこの瞬間から始まったのだった。自分が住む町でオリンピックが開かれることは、そうめったにあるものではない。というわけで24万人から選ばれた7万人の一人として、エクセル会場の通訳ボランティア、「ゲームズメーカー」になったのだ。

ロンドンそしてソチと2つのオリンピックを通訳ボランティアとして参加し、これで3回目。今回も是非楽しんでくるか。

追記:今回の投稿も含め、オリンピック、ボランティアを中心として「オリンピックといえばボランティア」というブログをはじめました。今後は http://blog.livedoor.jp/charlesnishikawa/ まで。 




London was united

2005-07-15 07:44:23 | ロンドンライフ
あれから丁度一週間がたった。今日はウィンチェスターに仕事があったので12時ちょっと前に車で家を出て正午にはホルボーンのあたりにさしかかった。タクシーやバスが一斉に路肩に停止し始めドライバーは外に。そして僕も自分の車を降りて皆に従った。周りのオフィスからは多くの人がでてきて誰もが正午から2分間の黙祷を捧げた。ロンドンは一斉にすべての動きを止め、電話も話し声も何も聞こえない2分間の静寂が訪れた。私の人生でこれほどに周りにいる誰もの心が一体化した経験はなかっただろう。ロンドン市民600万人がひとつの家族となった瞬間だった。

Don't panic!

2005-07-08 01:14:48 | ロンドンライフ
ご存知の通りロンドンで連続テロが起こった。地下鉄で3箇所、ロンドン名物2階建てダブルデッカーバスが1台と合計4つの爆弾が朝九時前後に爆発したわけだ。僕はロンドンの本当に真ん中に住んでいて仕事もしているのでラッセルスクエアーやバスが爆破された場所、リバプールストリート駅からも2キロと離れていない。今日は朝から緊急車両のサイレン、ヘリコプターの轟音が鳴りっ放しである。

今回の事件で亡くなった(少なくとも今現在40名ほど)あるいは何百人もの怪我をされた方々には心から同情したい。しかし朝からつけっぱなしになっているスカイニュースの映像を見ているとキングスクロスの火事やIRAのテロでの経験、地下鉄サリンや9.11での教訓をベースにいつかはロンドンが必ずテロの攻撃にさらされるという現実的な判断をして準備をしてきた緊急サービス(警察、救急隊など)の非常に速やかな対応は本当に立派である。決してあわてることなくかつ速やかに状況を処理することは簡単なようで非常に難しいことだ。英国のエリートを育てるパブリックスクールでは大変なことが起こったときにはまず"Don't panic and think!"と教えるそうだ。リーダーはいかなる時にも冷静に物事を判断しなければいけないということである。今回の街の雰囲気は誰もが非常に物静かに決してパニックに至ることなく行動していることだ。ナチスの爆撃、IRAのテロ攻撃に長年耐えてきたロンドンは今回も決してテロリストには屈しないのだろう。

1999年カーヌースティーの悪夢の再現?

2005-06-27 21:52:06 | ゴルフ
昨日の欧州ツアー・フレンチオープンの優勝争いは大変なものだった。1打差でジャン・ヴァンダーベルトが昨年の優勝者ジャンフランソワ・ラムゼーをリードし18番ホールではなったティーショットが池ポチャ。あの99年の全英オープンでの歴史に残るヴァンダーヴェルトの「コラプス」の再現を思わせた。そして予感どおりプレーオフでは2打目を池に入れて同じ池に入れながら4打目をオンさせてきたラムゼーが2年連続優勝を飾るという結末だ。

僕は99年のヴァンダーヴェルトを見ていて彼のユーモアにあふれたエスプリを感じさせるゴルフと彼の生き方にホーガンのストイックさとは全く違ったフレンチゴルフの爽やかさを感じてすっかりファンになってしまった。その後の怪我でゴルフをあきらめかけた彼がここまでやってきたことを考えると本当に彼に勝たせてあげたかった。プレイ後グリーンの脇、一人きりで頭を抱え込む彼を見ていたら僕まで涙が出てきてしまった。とはいえ今回は今までの辛かった日々を耐えた後での結果。これで彼のゴルフ人生が再び始まったことを考えれば6年前とは違うんじゃないかと思う。

かと思うと"The other side of pond=池(大西洋のこと)の向こう側"のUS-PGAツアーでは18番ホールで60フィート以上のパットを沈めてイーグルを取ったハリントンがあまりの驚きで大笑いの優勝。何が起こるかわからないのもこれまたゴルフ。

日本人とあごの筋肉

2005-06-24 20:38:23 | ロンドンライフ
よく観察してみると海外で長く育った(特に若い頃)日本人の顔つきがずっと日本に育った人達と比べて違っていることが分かる。大きな特徴は海外組のあごの筋肉の発達にある。特にアメリカの日系人に至ってはあごの線がほっそりとした日本人と比べ若干エラが張って見かけがかなり違ってくる。

これは僕の説だが理由は二つだ。ひとつは歯ごたえがしっかりしたステーキなどを多く食べること。最近の日本食は特にやわらかいものが多いためこの差は大きい。赤味のしっかりしたステーキなぞを食べればしっかり噛まなければならず当然あごの筋肉が発達する。もうひとつは明らかに言葉の問題だ。特に英語の場合口先だけでは正確な発音ができず舌や唇、上あご、下あごなどを総動員することになる。これはかなりの運動であって日本語をしゃべる時の顔の動きとよく比べてみるといい。

昨日帰国子女だった僕の友達が話すのを見て思わずそうかとつぶやいてしまった。

ブログ再開

2005-06-17 20:31:20 | ロンドンライフ
しばらくブログを休んでいた。特に忙しくなったわけでもなくある日突然モーティベーションがなくなってしまった。ところが久しぶりにロクインしてアクセスを見てみたら安定してサクセスされてることを発見してしまった。こうなると僕もちょっと考えてしまう。まあ天気もよくなってきたしちょっと気分を変えてまたはじめようと思っている。とはいえ長続きをするためにもちょっとペースを落とさなきゃいけないだろう。

ガストロパブ

2005-04-12 02:34:43 | ロンドンライフ
最近レストランのひとつのジャンルになっているのが「ガストロパブ」である。ガストロノミック・パブリックハウスの略で平たく言えばきちんとした料理を出すパブである。基本的にパブは酒を飲むところなのでご存知の通りイギリス人は食べずにひたすら飲むわけだ。したがってたまに田舎のパブでおいしい料理を出すところを除き今までパブの料理はなんともさえないのが常であった。大体冷凍していたものを電子レンジで暖めたようなものしか出てこなかった。ところがパブの経営においてはウェットセールスといわれるビールを中心とした酒の収入では利幅が少なく、利益を上げるためには料理とワインをどれだけ売るかが大きな勝負ということになってきた。問題は多くの街中のパブは最終的なオーナーがビール会社になっていて個々の経営者はオーナーからビールを多く売るようにプレッシャーをかけられる。したがってレストランの席を多く確保しようにもなかなかうまくいかないのだ。ところが縛りのない「フリーハウス」ではこのあたりが自由でかなり特色のあるガストロパブが増えてきた。10年以上前にクラーケンウェルにオープンした「イーグル」というパブがその先駆けで、特にこの地域クラーケンウェルに有名な店が多い。

先日ロンドン情報誌のTimeOutの昨年度ナンバーワンカストロパブに選ばれた「Coach and Horses」にいってきた。元はさえないビクトリアンパブで変なオヤジがやっていたのだが結構有名なシェフが買い取って改装し、以前の雰囲気を残しながら居心地のいい空間を演出している。ラムのローストがベストに調理され、付け合せのポテト・リヨネーズが非常にすばらしい。こういった付けあわせでも手を抜かないのはしっかりしたレストランの証拠である。残念ながらワインはちょっと割高で頼んだスペインのRioja Altaはよかったのだが2割がたオーバープライス。しかしテンプラニージョ種でありながらピノーににた繊細な味がするAltaはなかなかよしで、まあしょうがないというところか。しかしパブでもまともな料理が食べられるなんて15年前には絶対に考えられなかったものだ。

予想的中

2005-04-11 08:51:24 | ゴルフ
16番ですべて決まったかと思った。パー3を左にはずしてアップアンドダウンでパーをセーブできればまあまあと思っていたところで左に打ったチップショットがそのまま入ってバーディー。ところがその後、連続ボギーでプレーオフになってしまった。しかしタイガーの強さはその後のサドンデスのパットが物語っている。あの場面でクラッチパットが決められるのがダイガーの強さ。クリス・ディマルコも頑張ったがタイガーの信じられない強靭な精神力で勝利をもぎ取ったといえる。

今年のシーズン前のメジャーチャンプ予想もまず一番目が的中ということでこれからも楽しみだ。これで僕のゴルフも好調が続けば何より。来週末はロンドン日本人コミュニティーのメジャー「アサヒビールカップ」、結構いけるんじゃないかと思っている。

片山晋吾 特別招待の実態

2005-04-10 01:51:59 | ゴルフ
マスターズが開幕してこの週末は落ち着かない。丁度アメリカの昼間はこちらの夜になるのでゴルフ中継を見るのにはほんとに好都合だ。ところで世界ランク50位以内の丸山茂樹は問題なく出場権を得たがもう一人の片山晋吾は今年唯一の特別招待選手である。これがイギリスでは今年かなり話しの種になっている。というのはコリンモントゴメリーが欧州ツアーで頑張ったものの、もうちょっとのところで出場資格にとどかず今年は出場できないのだ。イギリスのファンは数多くの実績があり、ライダーカップのヒーローである彼はたとえ駄目でも必ず特別推薦で出場できると信じていた。ところが蓋を開けてみるとなんと片山晋吾一人だけが選ばれたものだから怒り心頭である。さらにその理由が日本のテレビ放送権が絡んでいることをトーナメントの主催者が新聞社のインタビューで堂々と話したものだから火に油を注ぐ形になった。日本ツアーは全くニュースにならないのでいくらそこの賞金王でもちょっと形勢が悪い。さらには彼の最近の成績がワールド・マッチプレーで一回戦負け、先週のベルサウスは途中棄権という結果なのでなおさらである。とはいってもはじめの二日間の成績がまあまあで、カウボーイハットも目立つので結構BBCでも写っている。しかし写るたびにアナウンサーがそのことを話すものだから流石にかわいそうになってきた。「決して彼が悪いわけじゃないけど・・・」というコメントもなんともむなしく聞こえる。

チャールズとカミラ

2005-04-06 02:31:13 | ロンドンライフ
いよいよ結構式が近づいてきた。と思ったら法王の葬儀のため1日延期で今週土曜日に変更となった。当初予定通り決行とはいっていたものの葬儀と同じ日ではまずいということだが、何よりも結婚式に出席するべき重要人物がカンタベリー大司教を筆頭にすべてで払ってしまうというプラクティカルな理由が実態だ。というわけで当の本人もバチカンでの葬儀に出席するが、バツ一かつ不倫を認めた人物を送るのはちょっと問題があるんじゃないの?という世論も結構出ている。

とはいえもともとお互いが好きだったのだし、ダイアナとの結婚は当初からの失敗だと思うので僕はチャールズに同情している。人生、山あり谷ありで彼も結構苦労しているのだ。まあおめでとうといってあげたい。

確固とした意思を持った羊飼い

2005-04-04 00:39:24 | ロンドンライフ
ローマ法王ジョン・ポール二世が昨日亡くなった。カトリックのみならず多くの人々がその死を悲しんでいると共にその光り輝いた命を祝福している。何よりも行動し、ロシア・東欧での共産主義崩壊は法王の後押しなくしてはここまで到達し得なかっただろう。幼いときからナチスドイツのファシズムの圧制を経験し、独裁政権の下では人間は決して幸福になれないと分かっていたに違いない。

僕はカトリックの信者ではないが一度法王の姿を見たことがある。86年から88年にかけてアメリカのアリゾナにあるビジネススクールに留学していた時、法王がアメリカを訪問し各地でミサを行った。アリゾナ州立大学(ASU)のスタジアムで行われたミサにルームメイトであるイタリア系アメリカ人のデイブに連れられて行った時だ。確かあの時はどうしようもないミーカムというアホな州知事が「法王は英語を話せるか分からないけど…。」という発言をして全州民の嘲笑をかった時だ。場所が場所だけにフットボールの試合を見に行った感じではあった。ちなみにASUのスタジアムは彼らのニックネームをとってSun Devil Stadium(サンデビル スタジアム)というのはなんとも傑作だった。

ヴェトナム料理とムスカデの絶妙なマッチング

2005-03-31 22:56:18 | ロンドンライフ
昨晩は仲のいい友人とショーディッチにある"Song Que"というヴェトナムレストランに行ってきた。ロンドンの金融街シティーの北、クラーケンウェルの東に当たるこのあたりからハックニーにかけてはロンドンで一番大きなヴェトナム人コミュニティーでハックニーはさしずめリトルサイゴンといったところだ。ヨーロッパでは旧宗主国ということもありフランス特にパリには多くのヴェトナム人が住むがロンドンも1979年に英国政府が香港経由で多くのボートピープルを受け入れたことにより5000人ほどが生活している。

このショーディッチ(セレブリティー・シェフで有名なジェレミー・オリバーもここにレストランを持っている)のキングスランドロードには何軒ものヴェトナムレストランが並んでいて競争が激しい。その中でもSong Queは以前からあって常に評判がよく、安くて混んでいる。何の飾りもなく社員食堂といった感じだがおいしいので常に行列だ。昨晩も7時30分に入ったので席がすぐ取れたが込み合う8時過ぎには席を待つグループで入り口は一杯になってしまった。ヴェトナム風春巻Banh cuonやらパンケーキBanh xeoなどいろいろ食べて一人15ポンドは安かった。これはビールとワインも入っての値段だ。またベトナム料理は白ワインと非常にあう。特に安価だがこういったときには重宝するムスカデのすっきりとした酸味が新鮮な材料、ハープを引き立たせベストマッチングだった。彼らの統治下にあった時代からフランス人はこの絶妙なマッチングを楽しんでいたのだろう。

最後はよかったね、といえる優勝者

2005-03-31 01:44:31 | ゴルフ
先週のプレーヤーズ・チャンピオンシップは第5のメジャーといわれるだけにそうそうたる顔ぶれだった。とんでもない天気で延期が続き最終日は月曜日。多くのプレーヤーは前日のラウンドを消化できずに余計に回らなければならずほんとに大変そうだった。さらに月曜日はとんでもない突風でスコットランドのリンクス並み。いやはやすごいトーナメントだった。ビッグネームは軒並み討ち死にだったが優勝したフレッド・ファンクには誰もが喜んでたようだ。こういう大変なときに皆から愛されている人間的なプレーヤーが勝つのはなんとも後味のいいものだ。

ロンドンの春

2005-03-29 23:15:25 | ロンドンライフ
イースターの休暇を境にしてロンドンは暗く長い冬から開放されて春の装いを帯びる。今年は丁度夏時間への変更も重なって一層その感が強い。何しろ北ヨーロッパの冬は暗い。まず緯度が高いため日照時間が短い。かつ天気が悪く常にしとしと雨が降るので湿度が高く底冷えがする。実際気温は氷点下になることは稀なので穏やかなはずなのだが精神的に心が寒くなるのだろう。4連休は日曜日を除けば天気がよくて、半袖にショーツといった連中まで出現してしまった。

フローレンスのウフィッツィ美術館にボッティチェリの有名な絵画であるプリマベーラ(春の祭典)がある。温暖なイタリアでも冬は厳しく、この絵には春を迎えた喜びが率直にでている。この気持ちは経験して始めて実感できるものだ。