母の膵臓癌日記

膵臓癌を宣告された母の毎日を綴る

母の病気経過帳より (6)

2010年01月08日 10時49分29秒 | 日記
21年9月24日
今日一日寝たり起きたりしていた パパはお彼岸で栃木まで墓参りに行く
私はSS銀行に手紙を出しに行った
疲れないせいか気分はとてもいい。
やはりダンスは無理か?
夜S子が食事を作ってくれたが中々食べられず翌朝おかゆにしてたべた

21年9月25日
抗癌剤の日 8時出発 12時半終了
T也が来てくれ食事ご馳走になる
帰り薬をもらいK神社見学して帰る
夜お雑煮にしてみんな食べられた 
来々週から先生変わる

21年9月26日(土)
今日は朝から気分が良く食事もすすんだので
T(最寄駅)の耳鼻科と銀行付け込みに
ほかメガネを直そうとメガネ屋さんに行ったら時間がかかりすぎて疲れてしまった
途中で帰って来てしまった。
家に帰りお腹が痛くなってきたのでオキノーム大をのんで眠る
後、胃が痛くなりムコスタ、アシノン1錠ずつのむ
疲れは絶対だめ。つくづく思う。

21年9月27日(日)
朝起きた時はとても気分が良くて用事を全部すませたが
朝食の時に蚊取り線香をつけた臭いが鼻について全然食事がとれなくなった
今日はNさん(註・近所の友達)の誕生会 でも行けなくなってしまった残念。

21年9月28日(月)
今日は主人の検査入院の日だ
私は全然気分が悪く食事がとれず水も飲めなくなり水分補給が出来ず
T医院にて点滴をしてもらったがなかなか良くならず
T也が来て水を飲むように言われ水をのみだしたら眠くなり
一眠りしたらだいぶ気分が良くなった
Oさん(註・友人)にも電話してしまった 水を多くのむように言われる

21年9月29日(火)
主人は今日大腸の検査だ S子が(付き添って)行く
胃も大腸も問題なくどこも悪いところがなく、よかった
S銀行が来て私の手続きをすませる
3:30歯医者に行く
夜の食事キャベツ巻きを作ってくれたが全然食べられなかった どうしてだろう

21年9月30日(水)今月も終り
今日はどこへも出かけず家でごろごろしていたせいかとても気分が良かった
食事も食べられた
パパが退院 いままでのところ異状なし よかった。
眠ることが良いみたい。今日は早く寝る



怒涛のように押し寄せる抗癌剤のさまざまな副作用に苦しんでいた頃。
いつも早朝に起きて、朝のうちは調子が良いのに日中だんだんに具合が悪くなり
夜には食欲が全くなくなることが多かった。
末期がんの患者はだいたいがそうなのだと後で知ったが、特に母の場合はもともとじっとしていられない性質なので
ちょっと体の調子が良いと用事をあれもこれもすませたくなりオーバーワークになってしまう。

この頃はまだ自分の病気の重さへの自覚が薄く、健康だったときの体力への自信が抜けていなかった。
だから疲れで具合が悪くなると(何故?どうして?)と納得がいかずパニックに陥るのだ。

9月28日はパニックが頂点に達する。
前日ほぼ一日食事が摂れなかったことで精神的にかなりきていたのが
朝になっても良くならず、水さえ飲めなくなったことでひどく切羽詰ってしまった。

母の表情は怒りに満ちていた。誰にもぶつけることができない、自分を苦しめる病気への怒り。
かかりつけの開業医へ行き無理やり順番に割り込んで点滴をさせる。
受付の人も看護婦さんも、それまでのいつもにこやかな母とはまるで違う様子に驚いて断ることもできないようだった。

しかし医者の弟(T也)が細かい指示や助言をしてくれたことが、このころ母にとっても父や私、兄にとってもどんなにか心強かった。
母は毎日の弟の電話を心待ちにしていたし、私も精神的にずいぶん助けてもらった。
父にも母の病気の深刻さを知らせていなかったこの時、
弟の存在がなかったら母の苦悩をそばで見ていて受け止めきれただろうか。

弟は母が亡くなった後
「どんどん悪くなっていくことがわかっていて、どうすることも出来ないのが一番辛かった」と言った。
研修期間の1年を日本でもっとも歴史のあるホスピスを有する病院で過ごした経験もある弟には
新たに加わる症状のひとつひとつが死へ向かう過程として明確に理解できているから
素人にはわからない内面の辛さがあったと思う。




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