LIFE - music. journey. new york.

ニューヨークとわたしの日々

2代目デジカメ

2006年05月29日 | life
今まで使っていたデジカメはオリンパス。
とてもとても使いやすく、調子が悪くなったことなど一度もなく、ジンバブエ以降どこへでも連れて行った思い出深い愛機。しかしいつからかもっと上位の機種が欲しくなって、どれを買おうかとずっとリサーチしていた。

▼そして今日、これを買いました。



裏の液晶ディスプレイが3インチもある。これで$400切ってるからすごいですね。キャノンを選んだのは、単にキャノンが好きだから。

私は写真が好き、一眼はキャノンを使っている。現在のは2台目。1台目も2台目もまったく同じ機種、そしてどちらも同じ1980年製。

この一眼には不思議なご縁がある。

1台目のキャノンは、初めてジンバブエに行った時に盗難に遭ってしまった。インドやサハラを撮ったのはこれだったし、ものすごく大切にしていたカメラだったので、ショックだった。

数ヵ月経って、2回目にジンバブエに行った時、ハラレの街中にあるドイツ人経営の中古カメラ屋のショーウィンドウに、前回私が失くしたものと同じ、キャノンの AE-1 が、並んでいた。あれ?こんなところに AE-1があるよ、奇遇だなあ~なんて思ったので、手に取って見せてもらった。

…見れば見るほど、触れば触るほど、何だか知ってる子な気がしてならない。まさかねー まさか、ね… と思いながらも、とっても気になる。何年物か聞いたら調べてくれて、80年製だという。
買ってしまった。
それが今の2台目。

真実は神のみぞ知るだけれど、盗難に遭ったカメラが中古カメラ屋で売られていて、回りまわって元の持ち主の手に戻った、という話なのかしら、これは? しかもジンバブエで。もしそうだとしたら、とてもファンタジックな話。ご縁の深いカメラです。

2代目デジカメ購入という話のつもりだったのに、すっかり逸脱して一眼レフの話になってしまった。とりあえず新しいデジカメで、今まで全然撮らないでいた、ニューヨークを撮る。

思想差別

2006年05月22日 | new york
ロンリープラネット・イエメン編を買いに行った。
ユニオンスクエアの Barnes & Noble に。

この店舗の Foreign Travel コーナーはわりと充実しているので、ロンプラを買う時はいつもここに来るんだけれども、今日はちょっとした 「事件」 があった。

ひとわたり自分で探してみて見当たらない感じだったので、店員さんに 「ロンプラのイエメン編はありますか?」 と聞いてみた。そうしたら、即答で 「ありません」 と言う。なんで即答?と思って、思わずオウム返しに 「何故ですか?」 と聞いたら、「なんでって。 …ないからよ」 と言う。この時、確かに、この店員の目がきらりと光ったのを私は見逃さなかった。

私はピンと来て、店員に礼を言ってその場を離れ、もう一度すべての棚を、さっきより念入りに探した。やっぱりなかった。イエメン編がないだけではない。中東地域に関するロンプラが、1冊もないのだ。ロンプラだけではなく、Let's Go シリーズもその他のガイド本も、1冊もなかった。

あんなに大きな店舗で、あんなに広いガイド本コーナーを設けている店で、中東のガイド本が1冊もないとは、どういうことだ。観光客がわんさか訪ねるエジプトやトルコでさえ皆無なのだよ? 作為的なものを感じるなという方が無理。作為的でなければなんなのでしょう。

注文しますか? と言われたけれども、ボイコットしてしまった。

戦争中だから、中東のガイド本なんか置かないという思考回路なのか。あなたがたは、本屋さんでしょう。

アメリカよ。
市井の人々が悪人ではないのは知ってる。だけれども、アメリカ人、アメリカという国の印象は、こういう一経験の積み重ねで形作られていくことを忘れない方がいいと思う。世界中に恨まれるようなことばかりしていると、いつかきっとやられるよ。

イデオロギーでは、人は救えない。
これは、全世界に言えること。

で、 Barnes & Noble をボイコットしてしまった私は他の店を調べる気にならず、とっとと家に帰ってきて Amazon.com で無事購入しました。Shipping Fee 込みでも Barnes & Noble より安かったので、まあよかったんですがね。今晩読むのを楽しみにしていたのにな。



▲欲しかったのはこれ。早く届いてほしいです。

シーシャを吸う

2006年05月21日 | new york
昨日、夜中にアストリアでシーシャ(水タバコ)を吸った。
アストリアにエジプト人の経営する茶店がいくつか並んでいる所があって、明け方なのにアラブのおじさん客が何人かブクブクやっていた。店に置いてあるテレビにはアラブの映画が流れている。朝5時くらいになると、テレビがメッカの映像に切り替わり、アザーンが流れ、外が仄明るくなってきて、すごい旅情を感じた。シーシャもとっても気持ちよかった。



▲シーシャはこういうのです。
これは昨日の光景ではないですよ、念のため…

ジンバブエは今

2006年05月19日 | life
今日、とても大事なことが書いてあるものを読んだので、share したいと思いご紹介します。

ムビラ ジャンクション
↑右下の Enter から入って、「What's NEW」 をクリックすると、「マオンギラ・エナリラ緊急インタビュー」とあります。右側にある小さな写真をクリックして、読んでみてください。

このバンドの前身、ムビラ・ゼナリラは、とても心豊かなバンドでした。スピリットとは何か、大切なことは何か。グルーブが突き抜けていた。今、ジンバブエから遠く離れてしまった私の iPod にも、彼らのアルバムはちゃんと入っています。

朝、私を乗せた地下鉄がまだ地上の高架を走り、破壊しそうなほど激震しながら90度のカーブを曲がって今にもマンハッタンに突っ込もうとする時、なぜか私は猛スピードでいろいろなことを考えます。過去・現在・未来 ということが頭の中で回転する。結界に入る瞬間だ、と毎朝思う。



▲大好きだった友だち。
この光の具合までもがなつかしい。

イエメンに行きます

2006年05月17日 | life


▲「幸福のアラビア」 と言われている国、イエメン。首都サナアは世界最古の街といわれていて、旧市街はアラビアンナイトの世界だそう。

イーストハーレムに住んでいた頃、隣のアパートの1階にイエメン人の経営する 「Yemen Deli」 というデリがあって、私は非常に親切にしてもらっていた。「このあたりは危ないから、何か怖いことがあったらうちの店に駆け込むんだよ」といつも声をかけてくれる人々だった。ひとりぼっちで落ちた時など、本当に救われた。その人たちの国。

母の日に。

2006年05月12日 | life


▲今年の母の日に贈ったお花。
日曜日に届く予定です。毎年贈っていますが、今年はちょっとラブリー過ぎたかな。ま、こんなブリブリもたまにはいいんじゃないかと…。
水色の小さな花がかわいいなと思って選んだ。
母に贈るプレゼントはとてもセンスに気を遣います。おしゃれなものとかきれいなものをあげたい。

あの映画を観たのは、運命。

2006年05月07日 | life
シェムリアップで、映画を観に行った。
ホラー映画だった。カンボジアの映画はほとんどホラー映画。看板もおどろおどろしい。普段はホラー映画を全然観ない私は、カンボジア庶民が観るカンボジア製作の映画ってどんなだろう、という1点にのみ興味があって、観に行った。

でも、そんな事前の予想とはまったく違う事態になった。

映画の後半、私が何よりもいちばん理解したいこと、どうしても知らなければならないこと、しかし私がどんなに知ったつもりになっても、想像の範囲を超えることはできないと思っていた出来事がそのまま、不意に映し出された。私は疑似体験をし、見ることができたのだ。その時、何かが心の中にすーっと入ってきたのがわかった、それを経験した人の長い長いさみしさと重なり、半端じゃなく泣いてしまった。完全に、映画を観て涙するというレベルではなかったと思う。

自分ではどうすることもできなかったさみしさ。長い年月にわたって深く刻み込まれてしまった原初的な命のさみしさは、心の中でひそかに醸成され、育つ。そして枯れない沼のように自分の中にあり続け、人生の様々な局面で、いろいろな形となって頭をもたげ、人生と共存する。この 「命のさみしさ」 は、他のいろんな種類のさみしさをも加速してしまうのです。

私は、どんな手段を取ってでも慰めたいと思っていた。でも、言葉は驕りのような気がして、うまく言えなかった。そのために、私もその人のさみしさに苦しむことになってしまった。

自分の非力を思い知るだけになるかもしれないけれども、一度気づいてしまったことを気づかなかったふりは、私にはできない。人のさみしさを御することができるなんて思っていないが、どうしたらいい?と考えてしまう、どんなにつらいことだろうと共感せずにはいられない。

本当はこの日、アンコールワットに行く予定だったんだ。
でもなぜか急に予定変更して、映画を観ることになった。なぜそうしようなんて決めたのか全然わからないのだけど、この映画を私に見なさいという何かの力が働いたとしか思えない。知らなければいけないことだったから、本当に、運命としか考えられない。



▲朝、シェムリアップの国道6号線。


カンボジアのビール

2006年05月06日 | travel
私はビールが大好きです。この世の飲み物の中で一番好き。4月は雨期直前で、日中の気温が38℃とか40℃まで上がるカンボジアでは、昼日中からビールを飲みたい気分になります。
カンボジアで私が飲んでいたビールたちをご紹介。



▲ Angkor Beer (アンコール)
まずはアンコール・ビールでしょう。とっても美味しい。お気に入りなのでいつも飲んでいました。シアヌークヴィルで製造されているそうで、工場を見かけました。ボトルキャップにもアンコールワットが描かれていてかわいいので、持って帰って来た。ピアスにでもしようかと…




▲ Tiger Beer (タイガー)
これはシンガポールのビールです。キリっとしていて美味しい。これもよく飲みました。




▲ Anchor Beer (アンカー)
これはカンボジアのビール。上の2種類がどちらもなければ、これを飲んでいました。ちょっとだけ安いけど、薄めのさわやか系で、まあ美味しい。地元の友達の自宅に遊びに行った時、これをたくさんふるまってくれたので、思い出のビール。

ビール評って好みによって人それぞれなので、私の嗜好を示します。一番好きなのはハイネケン。日本では断然サッポロ黒ラベル。アメリカだったらクアーズ・オリジナル。クアーズ・ライトはダメです。

どこぞのビールのCMじゃないけど、ビールは鮮度が命なので、どこに行っても地元ビールで美味しい一品を探して飲んでます。
ジンバブエではザンベジ(Zambezi)。毎晩美味しく飲んでました。ライオンビールやキャッスルも人気があったけど、私はザンベジ派。タイではシンハー(Singha)大好き。象のラベルのチャンビアは甘いので好きじゃない。モザンビークのマニカ(MANICA)も美味しかったな。


↓おまけ画像・アフリカのビール1



▲懐かしのザンベジビール。ジンバブエ
あぁ、ホントに懐かしい。毎日夕暮れ時になると、空き瓶を持って、家のすぐ近所のビアバーにザンベジを買いに行ってました。ジンバブエのビアバーは、草っぱらなんです。広々としていて、小学校の校庭に雑草生えてます みたいな場所。おっさんやお兄さんたちが、置いてあるベンチで適当に飲んでいる。私は空き瓶を持ってその原っぱを突っ切り、カウンターに行ってビールを買い、また原っぱをテクテクと横切って帰る。そんな感じでした。



▲ジンバブエの夕暮れは、毎日毎日こんな空だった。
私の住んでいた家の前の道。ビアバーから帰ってくるところ。どんなに見慣れても、毎日この空に感動できた。癒されていた。


↓おまけ画像・アフリカのビール2



▲マニカをしこたま飲んだ、モザンビークのバー。
マニカのラベルはこんな感じ。ここはベイラ(Beira)という街です。この時は2月だったけどとっても暑かったので、やはり昼間から飲んでました。2003年当時、モザンビークは30年間に及んだ内戦が終わったばかりで、首都マプト市街にはまだ戦闘の爪痕がたくさん残っていた。人々の表情にも。
ちなみにベイラは、私が史上最悪のベッドバグにやられまくった街。身体中大変なことになりました。要するに、ベッドバグは湿気の問題です。湿気のこもる構造になってしまっている部屋は、ベッドバグがいる可能性大。

西バライで焼き鳥

2006年05月05日 | travel


▲西バライのほとりで。
西バライは、11世紀頃に作られた大貯水池。人造湖とは思えないほどの大きさです。ハンモックに揺られてビールを飲んで、マッタリとしたひとときを過ごしました。ハンモックっていい! うちにもひとつほしいよ。



▲湖畔には、海の家風にずらりとハンモックが連なっていて、ちょっとショバ代を払えばゴロリと休憩したり、思い思いに食事をしたりすることができます。私たちは、西バライ名物・鶏の丸焼きを買って行きました。



▲西バライ名物・鶏の丸焼きを吟味中。
西バライは、鶏の丸焼きで有名です。美味しい焼き鳥を手に入れるために、西バライから少し離れた市場まで行きました。↑超真剣に選んでます。なぜここで焼き鳥が名物なのかはよくわかりませんが、とにかく全部地鶏だから、歯ごたえがあって味が濃くて、美味しいのは確か。手づかみでバリバリといきます。アフリカに長居していた私は、手で食べるってことがどんなに美味しいかということを身に沁みてよくわかってます。私は手で食べるの上手です。



▲焼き鳥は、炭火焼の照り焼き。1羽5ドルくらい。タレにするライムや塩コショウ、ごはんなどもその辺で買えます。あぁぁ今食べたい…。砂肝の小さな串も買いました。

私は基本的に、もともとあまり物を食べない方です。ニューヨークの日常では、朝ごはんも夜ごはんもほとんど食べないし、食べたとしてもかなり少食。食べないように気をつけているとかではなくて、なんとなく食べなくても大丈夫だから。その分、ランチはちゃんと食べるように心がけているけど、肉食にいたっては全然しないと言っていい。

だけど、そんな私が、カンボジアにいる時は3食しっかり食べてました。食べたい!という欲求があった。食べる楽しみがあった。美味しいものだったら食べたいのです。多分私は、カンボジアの、あのフレッシュで味の濃い食材がプリミティブにササっと調理されていたら、好きなんだと思う。たとえばカンボジアでスープに野菜の細切れが入っているとき、そのひとつひとつがどんなに味と香りと存在感を放っているか、言葉では表現できない。

昨日、友だちとも話したのですが、食べることは生きる基本です。普段ものを食べることにこれほどまでに興味がない私が、カンボジアでは毎度美味しく食事を堪能し、その上で、痩せて帰ってきたのです。私の命に合っているということだったのでしょう。I am what I eat. ということを感じました。