昭和は遠くなりにけり

プログはいくつも作ってるのです。だけど本音愚痴を書くプログが欲しかった。

フリードリヒ大王以後のドイツユダヤ人

2017-06-01 07:16:59 | ユダヤ民族


フリードリヒ2世大王は1750年にユダヤ人に対する規定を発布してます。
ユダヤ人を6階級に規定する。

第一階級。王より特権が与えられてるユダヤ人、宮廷ユダヤ人、居住の自由、手工業の経営自由。
第二階級、特権で明示された都市ににのみ定住出来た。この特権は長男にのみ相続が許された。彼らが居住地を去って他の地域に転出する際には莫大な転出税を払わないといけなかった。定住圏を持ったユダヤ人が去ることはその都市の税収入激減を意味する。

第三階級は医師、歯科医、画家、芸術家、自由業を職業とするユダヤ人。しかし彼らが所有した権利は子孫には継承できなかった。

第四階級、ユダヤ人ゲマインデのラビとかユダヤ人組織で公務する者。

第五階級、2,3,4階級の子女たち。独自に商工業に従事し働くことはできなかった。また結婚も許されなかった。子供が生まれるたびに税金が高くなった。芸術学問の道で出世するにはユダヤ人であることは許されなかった。
ドイツユダヤ人の1割以上がプロテスタントに改宗した理由はここです。

第六階級、ユダヤ人上層階級の下で使用人として働いてたユダヤ人。結婚は許されず
居住権も働いてる時のみだった。

ヴォルテールなどの啓蒙思想家をポツダムに呼んで哲学議論してたフリードリヒ大王だったが、ドイツのユダヤ人に対する処遇は中世のままだった。
ユダヤ人の地位の改善はフランス革命以後を待たねばならなかった。

フランス革命の1789年までにドイツユダヤ人の1割以上がプロテスタントに改宗してます。メンデルスゾーン家も改宗してましたが相変わらず自分の生まれ故郷にはいる時でさえ人頭税払わされた。

迫害され続けたユダヤ人は、18世紀に入ると、フランス革命をはじめヨーロッパの近代化の歩みの中で、一時
市民権を与えられ、ゲットーも解放された。
1776年・・・・アメリカでユダヤ人が解放される。平等の市民権が与えられた。
1791年・・・・フランス議会が、ユダヤ人に市民権を与える。
この後、オランダ、イタリアでもユダヤ人に市民権が与えられた。 ユダヤ人も、市民社会の中で同化して生き る道が開けたかに思えたが、しかし、現実はユダヤ人への差別はいぜんとして残った。

ドイツユダヤ人が市民権を得たのはフランスに遅れること70年以上。

ヨーロッパで最初のユダヤ人解放を実現したフランスのミラボー伯はベルリン滞在中、モーゼスメンデルスゾーンやユダヤ解放の思想家ドームと接触し
ドームの思想論文をフランス革命前夜のパリに持ち帰った。革命の勃発とともにユダヤ人の解放を実現した。

しかしドイツではドームの論文は無視され続けた。
ドイツユダヤ人を解放したのはフランス革命軍だった。
ナポレオン支配下でユダヤ人の解放が行われた。


19世紀初ナポレオンのユダヤ人解放によりゲットーの壁が崩れ
ドイツ社会の自由な雰囲気に接したユダヤ人がユダヤ教を硬直した時代遅れの宗教とみなし棄教、キリスト教への改宗が広まります。

なんとか彼らをユダヤ教につなぎとめたくて改革派ユダヤ教を作りました。礼拝はヘブライ語でなく土地の言葉で行う、キッパやタリートも着用しない。食物の戒律や安息日も撤廃。
ドイツユダヤ人の8割が改革派になった。
一方東欧ユダヤ人は西欧のユダヤ人が次々に棄教し非ユダヤ人と結婚してしまうのでユダヤ教の危機と感じ超正統派を作ります。ユダヤ教教育を守り抜きがむしゃらにユダヤ人同士結婚します。

アンネフランクさンの家など改革派ユダヤ教でシナゴーグに行ったこともない。ソーセージハム食べ放題、クリスマス祝い新約聖書を読む。
隠れ家のペーターなんかユダヤ人て何かも知らなかった。



1811年フランクフルト市にいる3千人のユダヤ人に待望の市民権を付与したがその代償としてユダヤ人は44グルデン支払わないといけなかった。高い代償払って獲得した市民権もナポレオン支配の崩壊とともにわずか2年半足らずで無効となった。
ウイーン会議中ユダヤ人団体はやっと獲得した市民権を保持できるように大国の代表に多額の金品を贈り説得しようとしたがウイーン会議はナポレオン支配以前の状態に戻すよう申し合わせた。

たちまち反動政策がとられフランスの支配下で公職に就いたユダヤ人が解雇されユダヤ人差別が復活した。投票権の剥奪、居住地区の分離。ドイツ国民市民としてドイツ文化に同化しようとしたユダヤ人を失望のどん底に突き落とした。
ハインリッヒハイネ、ルドヴィッヒベルネは大学教育受けたがドイツで受け入れなかった。二人はキリスト教に改宗したけれどユダヤ人ということで拒否された。二人は後悔と苦悩のうちにパリで客死した。

ウイーン会議以後もユダヤ人への差別制限だらけ。ドイツにおける経済危機、凶作。ウイーン会議以後19世紀を通じてアメリカに移民するユダヤ人が数百万人におよんだ。最初は行商やカウボーイなどしてたが百貨店経営銀行家などでのし上がる者が生まれてきた。

19世紀後半になって、ドイツの後発産業革命でパイオニア的役割を果たしたのはユダヤ人だった。ドイツ各地やロシア、ルーマニアに鉄道建設、電気機械、武器、百貨店、陶器銅、メッキ化学工業、繊維業、製油、ドイツ人口の1%足らずのユダヤ人がドイツ資産の7%を所有するようになった。これがまたドイツ人の不満をかきたてた。

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