やわらかな日々

我が家のBUHIたちの記録

小町が永眠しました

2021-06-15 08:21:00 | 小町

2021年5月8日 小町が虹の橋を渡りました。
10歳と9ヵ月の生涯でした。

4月28日の朝、妻が小町の右耳から臭い膿のようなものが出ていることに気づいて、
みんなで散歩に行った帰りに病院に寄って診てもらうと「内耳炎」との診断で、
完治するまでに結構掛かるよと言われ、その日は薬を注入してもらい帰宅しました。
小町はこれまで外耳炎にすらなったことがありませんでしたので、何の前兆もなくいきなり内耳炎に
なったのが「?」でしたが、とりあえず一安心しました。

それから数時間後、小町の眼球が左右に揺れる眼振症状が出て...同時に身体がフラフラして
まっすぐ歩けない状態になり、心配になって病院に連絡すると「おそらく突発性前庭疾患であろう」
とのことでその日は様子見をしてくださいとのことでした。
その症状をネットで調べると、老齢犬に多いことや時間経過で徐々に治っていくことを知りました。


翌日、小町が昨日から食事が摂れていないこともあり点滴をしてもらいました。帰宅するとまだ眼振がありフラフラ
しているものの、それでも小町は歩き回るくらいに回復しました。
ところが、その夜...寝ている小町の呼吸が急に荒くなり、そのまま起き上がることができなくなったのです。


そして翌朝(4月30日)に緊急入院しました。それから2日後には回復してミルクを飲めるようにもなってきたので、
このまま良い状態が続けば退院できるという話だったのですが、その翌日には酸素室から出ると呼吸が荒くなる
状態が頻発したため、先生から紹介状を書くのでCTやMRIの設備があって手術ができる病院に移してはどうかとの
提案がありました。
小町の内耳炎は細菌性のもので、それがおそらく内耳の奥の脳幹に近いところまで侵されている可能性があるため、
それが神経系統にさわって身体に影響しているらしいとの見解でした。
小町は回復する、良くなって戻ってきたときに坊に干渉されないように小町専用のスペースを...と準備していた
のですが呆然となりました。それで、小町をどう転院先に連れて行くかを考え始めました。


翌日(5月7日)、小町の病状はさらに悪化し、ミルクも飲まない状況になっていました。
私たちがケージの前に行くと、辛そうに横たわっていた小町がそれでも何とか反応しました。
私が「小町、良くなっておうちに帰ろうな」と両手を差し出すと、起き上がろうと一生懸命に足をバタつかせてから
入院して初めて「ミーッ」と猫のように小さく啼きました。これが最後に聞いた小町の声でした。
翌日、私たちが見舞って一旦戻った合間に小町は逝ってしまいました。
なんであんなに元気だった小町がこんな風に死んでしまったのか...夫婦で声を上げて泣きました。

それから小町を連れて家に戻り、小町の定位置だったソファに寝かせました。この位置は父ちゃんの定位置でもあって、
小町は小さい時から父ちゃんがいないときはいつもそこで丸まって眠っていました。
小町の毛並みはスベスベで、身体も温かいままで、その表情は凛としていて、死んでしまったとは思えないほどに
綺麗でした。その夜はいつもと同じように小町は妻のベッドの足元で眠りました。

翌5月9日...昼過ぎに小町を荼毘に付しました。この日はお嬢の5回目の命日でした。
きっとお嬢は小町のことを迎えに来てくれていて、一緒に空にあがってくれたのでしょう。そう思っています。

小町は他の犬を見かけると、恥ずかしいくらいに叫び声をあげて大暴れするのでいつも大変でした。
だからドッグランやドッグカフェには連れていけませんでした。
また、お嬢や坊と違って飼い主に対しての甘え方が下手でした。だけど、玄関を開けると必ずお出迎えしてくれる
のは小町で、短い尻尾とお尻をフリフリしながら面倒くさいくらいに絡まってくる娘でした。
家の中でも気付けば人の足元にまとわり付いて来て、よくつまづいたものです。
父ちゃんに一番怒られたのも小町です。だからでしょうか、小町がいなくなってからも坊を怒るときについ「コマ!」と
言ってしまいます。思えば何をするときでもいつも「コマ」を先に呼んでいたんです。
そんな小町がいない生活が始まってから、家の中はずいぶん静かになってしまいました。
坊は、張り合う相手がいないからか寝て過ごす時間が増えました。
我が家はずっと多頭飼いでしたから、手持無沙汰です。あの面倒くさい小町が、手を焼かせる小町がいないと寂しいです。

ふっとしたことで小町を思い出すと泣いてしまいます。四六時中、一緒にいたんだから仕方ないですね。

小町よ、コマよ、お前は良い子だったな。本当に良い子だった。

 


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