楽しいお散歩

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 自然豊かな多摩地区、そこには歴史の宝庫の神社仏閣もありますね。

石神井川に沿って

2022-01-31 10:17:57 | 日記

しばらく行くと、「元締山の森 緑地」という場所に来ました。ご覧の様に雑木林の森です。それにしても、この名称はどういう意味があるんだろう? この辺り一帯は明治時代までは、材木を石神井川に流していた元締めの問屋があったそうで、それで元締山の森緑地として整備したとのことです。都会の中の山村という風景が楽しめますよ。

石神井川に出ました。少し先に橋があります。

 この橋は、平成みあい橋と言うそうです。この橋を上から見ると、Yの字に見えてみあい=三会、さらに見合い、美愛といろいろな意味にかけて作られたそうです。練馬区のデザインコンテストで優勝した地元でも大変人気のある橋だそうですよ。それでは川に沿って歩きましょう。

 鴨が三羽、穴にこもって昼寝しています。

方や陸の上では、ハトが一生懸命餌をついばんでいました。しばらく行くと、

かなり人出のある公園へ来ました。長光寺橋公園というそうです。どうやら、練馬高野台の駅が近いみたいですね。

                              つづく

 


これから先はどうかな

2022-01-30 17:28:37 | 日記

こんなきれいな処に着いたよ。

モウソウ竹が生い茂った緑地です。平成4年に開設されたそうで、普段はこのように静かな竹林ですが春にはタケノコ祭りが行われ、地域の子どもたちで賑わうそうですよ。さらに行くと、

 こんな入口が、観蔵院と書かれています。入って見ましょう。

この供養塔は筆子供養塔といって、教えを受けた生徒が亡くなった恩師の菩提を祈り建立したものです。これはかつて観蔵院で寺子屋が開かれ、近隣の子供達の教育に寄与していた歴史が確認できる貴重な遺跡です。二体の供養塔には、それぞれ宝暦12年(1762)、文化5年(1808)の年号の筆子中という施主名が刻まれています。これらは観蔵院が地域・文化の中心の場であった事を示す、練馬区では最古の史跡でもあります。

本堂へ到着しました。

ここは薬師堂だそうです。

こちらにも門があり、こちらの方が立派そうです。

何やら美術館という看板も出ていました。ところで、真言宗智山派寺院の観蔵院は、慈雲山曼荼羅寺と号します。創建年月は不詳ですが、三宝寺の塔頭寺院として創建、文明9年(1477)当地へ移転したといいます。豊島八十八ヶ所霊場81番札所です。山門は平成14年に建て替えられ、庫裡を曼荼羅美術館を兼ねている。門前には六地蔵や庚申塔、馬頭観音があり、墓地には元和年間(1615-24)の五輪塔、正保期(1644-48)の典型的な夫婦墓などがあります。また墓地入口には宝暦12年(1762)造立の筆子塚があり、区内で最も古い家塾の存在をうかあうことのできる教育資料として貴重なものです。とありました。曼荼羅というのは、仏画なんですね。

                               つづく

 

 

 


さぁ、石神井川をめざそう

2022-01-29 16:22:57 | 日記

公園に着いたぞ。

和田堀公園というそうです。ちょっとした公園で、大きな木もありました。

練馬区では、このような大きな木を名木として保護して案内しているんですね。これはシラカシという木でした。

また少し行くと、大きな団地がありました。南田中団地というそうですが、昭和41年から59年にかけて建設された都営団地ということで51棟建てられたそうです。さらに行くと、

川にぶつかりました。橋が架かっていますが山下橋というそうです。橋を渡って進んで見ます。

何やらお寺のようですが、門が閉まっています。表札には十善戒寺とありました。その先は?

                             つづく

 

 

 


今度は、練馬方面を歩こう

2022-01-24 09:27:48 | 日記

今日はここから出発します。

駅前を見て見ると、

この碑は、大正4年(1915)の武蔵野鉄道石神井駅(現西武鉄道池袋線の石神井公園駅)開業を記念し、大正9年5月に造立された石碑です。

総高351.5cm、碑の高さ288.5cm、幅114.0cm、厚さ14.7cmで、表面の上部には「石神井火車站之碑」と刻み、下部の銘文は漢文・漢詩からなり、大正・昭和初期の書家である滑川達の撰、記念碑造立主唱者の一人豊田利右衛門の書により、中野町(現中野区)の石工今井亀鶴泉が刻んでいます。銘文には、近くにある石神井城・三宝寺池・長命寺などの歴史や見所を記し、鉄道完成による利便や喜びを記念しています。また、背面には、石碑造立主唱者などの氏名を刻んでいます。とありました。普段は見過ごしている碑にはこういう歴史があるのですね。

こちらへ向かいます。石神井川に向かうようですね。

さっそく左手に神社が表れました。

狛狐が鎮座しているので、稲荷神社でしょうね。この辺りは和田といい、和田稲荷神社とも言うそうですが、和田稲荷神社の創立年代等は不詳ながら、江戸期には旧和田地区の鎮守として祀られ、伝五郎稲荷、和田稲荷と呼ばれているそうです。

これは百度石ですが、随分と先端がとがってます。

近くには、末社の社もありました。

 ここが本殿ですね、新しく建て替えたようです。さて、次へと行きましょう。

                            つづく

 

 


ここはどんな処かな

2022-01-22 10:20:24 | 日記

この首つぎ地蔵尊、中村八幡神社にあったそうですが、今は南蔵院に引っ越して参りました。頭と胴体が別になった地蔵様がおられて、それをくっつけたので、首つぎ地蔵。 つまりは、首がつながったという事で…首切りを逃れようと、昭和初期の不況時には参拝者でにぎわったそうです。

ちょっと古びた建物、ここは観音堂だそうです。

本堂と間違えそうですが、ここは薬師堂になります。薬師堂には、文化年間(1804-18)以来の絵馬が数多く残っています。

中でもひときわ目立つ大きな建物、ここが本堂でした。

上に掛かっている額も歴史を感じるものがありますね。それでは、これにて失礼して帰途に付きます。駅へ向かう前に大通りに沿った場所にあった星野珈琲で昼食を摂り一服としました。

駅の手前で見つけました。ここは何というお社なんだろう?

詳しいことは分からないままに失礼しましたが、地元の人たちによる熱い信仰に支えられていたんでしょうね。

                               おわり