クロさんの独り言・・・

10年前に郷里の北信州山ノ内町に戻り、百姓仕事と旅行など楽しんでいた処、昨年春ものの弾みで町会議員になってしまいました。

マスカットの秘蔵っ子

2010年01月25日 | Weblog
アラビア半島の東南端にインド洋に面したオマーンと言う、面積は日本の3/4くらい、人口約250万人の小さな国がある。マスカットはその首都である。灰色の岩山が真っ青な海に迫る幻想的な景観が多く、内陸は砂漠で、耕地は非常に少ない。昔は交易業、と言うより海賊業の本拠地であった様だ。つい4―50年くらい前までは、英国の影響下であり、また日本の徳川時代みたいな鎖国状態であった。今は石油やガス資源で潤って、一人当たりGDPは2万ドル以上で、外国資本も進出し、豪華なホテルや現代的な町並みが出来ている。近くのドバイみたいな急激な成長策でなく、賢明な君主のもとで、わりと堅実な国づくりを進めている。数十年前に、王族の一人にある日本女性が嫁いだと言う話があったが、未だご存命だろうか。

 そのマスカットから1月始めに突然年賀のE-メイルが届いた。英語で書いてあったが、差出人は私の会社現役時代の後輩のK君であり、びっくりした。現地の商工財閥に雇われて、昨年10月頃から、企画・開発・渉外部門のジェネラルマネジャーを任されている、手許のパソコンは、アラビア語・英語のソフトしか入って居ないので、取敢えず英語で新年ご挨拶と近況報告を、とあった。
 私が仕事でドバイ、アブダビ、サウジ、カタール、クウェイト、オマーン、イエメンなどアラビア半島諸国に頻繁に出入りしていたのは1970年代であるが、その頃の石油産出国の財閥では実務を取り仕切って、私の交渉相手になるジェネラルマネジャーは、レバノン、パレスチナ、エジプト、パキスタンなどから出稼ぎに来ている一匹狼の達者な連中が多かった。親しくなった友人も何人か居る。

 当時はもとより、今でも湾岸石油国での日本人のジェネラルマネジャーは極めて少ないだろう。もしかするとK君だけかも知れない。高給取りではあろうが、実績次第ですぐクビと言う厳しい世界の筈である。会社退役後にそんな世界に飛び込んだK君に拍手喝采の気持ちで、すぐ励ましのメイルを打った。日本にも、組織を離れて一匹狼で、はしっこい中近東人の間で頭角を現す人間が出る時代になったかと、ひときわ感慨がある。

 K君は、40年くらい前、私が課長代理クラスで関係会社に出向していた頃に配属されて来た。体操の選手をやっていたとかで、小柄で筋肉質で、きっぷが良く、柔軟な頭の持ち主だった。毎晩真夜中まで仕事に追いまくられ、新人を手取り足取り親切に教育する余裕などある筈なかったので、当時の私は「俺について来い、ついて来れない奴は勝手にくたばれ」式の鬼軍曹であったのではないかと思う。そんな辛い時期の私にとって、頼りになるK君は、私の秘蔵っ子の一人であった。(秘蔵っ子と言うのは私の勝手な思い込みであって、K君にとっては、当時も、今でも迷惑かも知れないが。)私は、そういう若手を一番苦しい、難しい、大事な仕事にぶつけるのが常であった。

 そんなK君なので、流石だなと嬉しくなった。厳しい世界だろうが、何とか成功して高給を取り続けて欲しいものだと、遥か日本の片田舎から祈っている。