あさがや劇場

日本一寒く、星のきれいな北の町へ。

良い年を。

2012-12-27 16:46:37 | りくべつ劇場
日本一寒い町陸別。

朝方にはマイナス20度を越える日が続いている。
更に今年は雪も多くて、雪掻きに追われる毎日だ。

全国ネットのテレビで、レポ-タ-が濡れタオルを振り回してカチンカチンにしてみせたり
ユニクロが町民全員にヒ-トテックを配るというニュ-スが流れたが・・

冷え込む日には、夜間に車のエンジンをかけて暖める。
水道管が破裂しないように、寝る前に水を抜いたり(水を落とすと言う)する。

この町で厳冬を生きるということは、とても忍耐のいることなのだ。


しかし、陸別の家の中は驚くほど温度が高い。
スト-ブをガンガン焚いて上着を脱いでくつろぐのが、しばれる町の流儀だ。
[ 暖かい。]ことが、この上ない幸せなのだ・・

今年も、人々はそれぞれの暖かい家庭で年を越す。
「りくべつ」で頑張った一年を振り返りながら。


僕は、夜勤の大晦日を過ごすことになった。

家族の元に返らずに年を越すお年寄りと一緒に、

静かに新年を迎えることだろう・・





















手紙

2012-12-04 13:50:31 | りくべつ劇場
陸別の冷え込みが厳しさを増してきた。


朝、震えながら戸外に出て車のドアを開けエンジンのキ-を回す。
最初はプルン、プルンと弱々しいが、やがてダッ、ダッ、ダッダッと勢いがついてくる。
真っ白い煙を吐きながら頑張る後ろ姿に、僕は「偉いぞ!」と心の中で呟く・・。
暖かい時期には殆ど乗らなかった車だが、これからは必要不可欠なのだ。


10万円で軽自動車を手に入れたのが六月だった。
職場の上司が斡旋してくれた中古車屋を通さない格安物件だった。
その時僕には手持ちの金が無かったので、また母に借金したのだ・・

東京から引き上げて来る際の費用も、一人暮らしを始める際の費用も母に世話になった。
父が生きている間何一つ親孝行をしなかった僕は、残された母にも手を焼かせているのだ。


今年86歳になった母は、9人姉弟の長女に生まれた。
子供の時に父親が失明して、生活は困窮した。
家計を助けるために働いて学校には行けなかった。
成長して嫁いだクロヌマ家も貧乏で、苦労の連続だった。


思春期の頃の僕は、無自覚に言葉を投げつけて何度も彼女を悲しませた・・

高校を卒業したら役者に成ることを夢見た僕は、東京で就職することを告げた。
「北海道じゃ、駄目なのかい・・」と、母は聞いた。

東京に出て数ヶ月経った時、会社の寮に小包が送られてきた。
食料品と、下着の間に一枚の便箋が挟まっていた。

平仮名だけの手紙を読みながら、胸の奥に湧き上がってきた感情を・・僕は表現出来ない。


それから僕は何年も陸別に帰らなかった。

役者になれば、他者に成れると思った。
そのためなら、何もかも捨てて良いと思った。

故郷さえも。


はたして僕は、母の生きている間に親孝行ができるだろうか・・

しかし今、りくべつに暮らしているからこそ、
あの、母の手紙の言葉を胸に秘めよう・・



「 げんきで、がんばりなさい 」