何とか昨年中に書こうと思っていましたが、遅くなってしまい年を越してしまいました。
BT55(通院日)
この日は日曜日だったこともあり道路は空いていました。
早めに7時30分には到着していました。
6週から始まったつわりは9週に入った時に更に辛くなり一生続くのではないか?とかなり気分が落ち込みましたが、なんと10週に入ってから軽くなったのが分かりました。
軽くなったと言っても、朝の少しの間だけ吐き気が治まっていただけです。
それでも、その時間だけは食べ物を口に出来たので、本当に嬉しかった。
しかし、その時間は短くて昼前からはいつものムカムカと吐き気が始まり、夜はやっぱり眠れませんでした。
ホルモン値 E2 2014 P4 24.1
胎児(?) 36㎜
心拍 1回目 190pbm 2回目 200pbm
尿検査 ケトン体 +
この日もケトンが出たので、最初に看護師さんより食事は取れているか確認がありました。
最近は、朝は吐き気もないので、その時間に集中して食べていますと答えました。
内診では、前回クリオネのような赤ちゃんは、手と足が見えてユラユラ動いているのが分かりました。
その後の診察では
「今日で紹介ね、病院はどこ?」と確認されて
「それじゃ、あとは看護師さんから話し聞いて」で終了してしまいました。
噂どうりあっさりでしたが、最後だと思い
「あの、長い間本当にありがとうございました」とお礼を言うと、もう次の人のカルテをめくりながら
「はーい」と返事をされました。
その後、処置室で噂のピンクレターなどの確認。
この日の看護師さんは、導尿をしてくれた方でした。
いろいろな思いが頭をよぎり、説明も頭に入りませんでした。
そして最後に、ここでも「本当に長い間お世話になりました」と心を込めて挨拶しました。
他にも患者さんがいらしたこともあり看護師さんは小声で
「本当におめでとうございます。これからも大変だと思いますが頑張ってくださいね」とおっしゃってくれました。
処置室の出口まで見送って下さいました。
この日は、日曜日ということもあり4階も3階も立って待っている患者さんが沢山いました。
「いつか全員が卒業できますように」と願わずにいられませんでした。
会計を済ませた後、クリスマスツリーの飾ってある待合室をずっと眺めていました。
そして、この日は本当に吐き気が全くなかったので、隣のカフェで待つ旦那さんのことろまで直接行きました。
最後に、ここのカフェにも行きたかったんです。
日曜の朝なのに、男性がすごく多くて、もしかして夢クリの付き添いの旦那様が時間潰しに来ているのかな~と思いました。
窓際に座っている旦那さんに
「卒業した」と報告しました。
そこでしばらく何も話をせずただ、黙って座っていました。
心の中で
「もう此処に来るのは今日が最後なんだ」
「本当に今まで長くて辛かった」
と、いう思いが巡っていました。
多分旦那さんもそうだったのだと思います。
ただ、黙って窓の外を眺めていました。
外は、とても澄んだ空気と太陽でとても眩しく感じました。
その後、烏森神社にお参りしてから家に帰りました。
実は、最初の頃はよくお参りしていましたが、今回の周期だけは「神様にお願いしているだけじゃ駄目、自分を信じよう」と行くことを辞めていました。
それでも、やはりご利益は感じていましたので、最後のお礼に行きました。
IVFにステップアップしてから他院も含めて3年。
本当に長くて、辛い道でした。
3年は殆ど休むこともなく、全力で走ってきましたがさすがにそろそろ限界を感じていました。
採卵した卵は、毎回初期ではグレードは1、悪くても2。
必ず胚盤胞になるも着床せず。
採卵を5回もして移植は11回。
10回目の移植では5日目胚盤胞を戻すも、かすりもせず。
院長には「やるべくことは全てやった。」とまで言われて治療の終わりを感じていました。
夢クリでは、私と同姓同名が3名いて、カルテには「同姓同名あり」と書かれ、毎回「同じ名前の方がいますので」と何回も確認されていましたが、いつの間にか、他の方は卒業されたのか確認もなくなりました。
本当に人生は分からないもので、自分のためにこれからは時間を使っていこうと思った今回の移植で結果が出ました。
現在、夢クリの診察番号は8千番台までいっているようですが、私は夢クリが出来て3ヵ月後の患者ですから、診察番号はとっても若いです(汗)
よくPCの電子カルテに入力という記事を、他の方のブログで拝見しましたが、私のカルテは毎回手書きです(^^;
ここまで結果が出なかったことは、きっと神様が仕組んだことだと思っています。
もし、私がすぐに子供を授かっていたら不妊治療に関して、絶対に偏見を持っていたのではないだろうかと考えています。
それと、まだAIHをしていた頃に、体外をしている方のブログを読んで
「移植を5回もして、年齢も40歳なんて諦めた方がいいんじゃない?」と考えている自分がいたのも事実です。
一体、自分は何回移植して、いくつだよ!?って言いたくなります。
本当に私って最低。
そんな私に神様は試練を与えたのではと思っています。
不妊治療は夫婦二人三脚で頑張るものという認識も強いと思いますが、実際には旦那さんよりもここで知り合った夢クリ仲間に励ましてもらったことの方が多かったように思います
(うちは治療歴も長いので、旦那さんも麻痺してきていたのかも)
ブログを通して知り合った仲間がいなかったらもっと前に諦めていたと思います。
夢クリは卒業しましたが、今現在も殆ど実感はなく時々
「通院がないから午前の仕事を探そう」とまで考えてしまうくらいです。
このブログは、不妊を中心に愚痴や治療のことを書いてきましたが、これで一旦終わりにするつもりです。
今後はアメーバで限定で記事を書いていくつもりです。
そして、今までお付き合いのあった方にもこちらからお知らせすることは辞めました。
と、いうのも状況はそのときで変わり、治療を辞めた方やお休みされている方、妊娠後の記事を目にするのは辛いという方もいらっしゃると思います。
そのお気持ちはとてもよく分かりますので、こちらからお知らせすることは今回は辞めました。
また新しくブログを書き始めた時は、そのことだけこちらでお知らせしますので興味のある方はアメンバー申請をお願いします。
今まで、コメントのやりとりもなく見守ってくださった方については、現在ブログを書いていて教えて頂ける方のみの申請を受け付けます。
ごめんなさい。
最後に、赤ちゃんが欲しいと願っている全ての方の夢が叶いますように・・・