花と山を友として

何よりも山の花が好き、山の景色が好き、山で出逢う動物が好き、そして山に登る人が好き。
写真と紀行文で綴る山親父日記

人間の究極の幸せとは

2010年11月05日 | 日記


何気なく読んだ本に、心に響く言葉がある。
2009年5月、娘の嫁ぎ先に行くために、新幹線に乗った。
その時に暇つぶしに買った「週刊ダイヤモンド」に、今こそ大切にしたい会社という特集が有り
三つの会社が紹介されていた。
そのうちの一つに「日本理化学工業」の記事があり、同社は社員47人のうち7割に当たる
33人が知的障害者であり、しかも6割が重度の障害を抱えているという。


(菅沼)

そもそも同社は、最初から障害者を採用していた訳ではない。
事の始まりは、1959年の秋、近くの養護学校の教師が、春に卒業を控えている二人の少女の
採用を御願いに来たことに始まる。
知的障害者では無理だと思った大山会長は、断った。
しかし、その教師は、またやってきた。
二度目も再び断った。そして3度目にやってきた教師は、雇ってくれとはいわずに、次のように言った。
「この子達は、卒業したら施設に入る。すると一生、働くという事を知らないまま、この世を
去ることになる。一週間で良いから、就業体験をさせてやって欲しい。」と
そのくらいならと大山は、二人の少女を受け入れた。

それから一週間、二人の少女は幸せそうに、一心不乱に仕事をしたという。
昼休みのベルが鳴っても手を休めようとはしなかった。

約束の一週間が過ぎる頃、そんな様子を見てきた社員達が、全員で大山を囲んで言った。
「彼女たちを正社員として採用してやって欲しい、彼女たちが出来ない部分は、我々がカバーするから」
二人の働きぶりを見て、心を動かされていただけに、大山も採用を決めた。
だがあくまでも同情に過ぎなかった。たった二人ならという思いがあったからである。


(白根山)

だが大山は不思議だった。施設に入れば、身の回りの世話をしてもらえて、一生のんびり暮らせる筈だ。
苦労して毎日休まず工場に通い、仕事をしたがるのは何故なのかと。

有る法事の席で、隣にお坊さんが座ったとき、大山はなんの気なしにそんな疑問を口にした。
お坊さんはこう答えた。
人間の究極の幸せとは、人に愛されること、人にほめられること、人の役に立つこと、人に必要とされることの四つです。
施設が人を幸せにすることは無い。企業だから彼女たちを幸せに出来るのです」と。

工場で働くということは、社会で必要とされているという幸せを実感出来る行為だったのだ。
そう気付いた大山はその後、積極的に障害者を雇用するようになっていった。

(以上週刊ダイヤモンドの記事から引用加筆した)

その後についてこう書かれている。
これまで一人も辞めたものはいない。そして、最初の二人の少女を含め、三人が65歳の定年を迎え
仕事人生を全うしている。
(記事全文を読みたい方は、バックナンバーを購入してね)

さてそれでは仕事をしている人達は、幸せを感じているのだろうか。
能率と利益しか追求しない会社では、過労死さえ起きているし、思想や信条で差別すねる会社もある。
そんな会社は、大切にしたいとは思わないだろう。

もう一度四つの条件をかみしめたい。
どれか一つで良いのだから。


(瀬戸合峡)

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