sushigoroの

ぶっちゃけた話し!

すき焼きパーティー

2009年03月30日 14時41分37秒 | Weblog
新しい下宿に越して1週間 先輩のGalと今日は夕食と称しすき焼きパーティーを開催しました! 肉はふんだんに野菜はふんだんにで2人で日本酒をちびちびやりながら世間話に花が咲きけっこう盛り上がりました ひとりで寂しく食事が多いGalも今日は相手はオジサンながら楽しい食事が出来て何よりでした!
なんだかんだいいもって気が付けば2人で肉1.2キロをペロリ! あれ~!? という感じでした まだ行けそ~ というところもあったが箸を置きました
23時半お開きということでしたが それなりに有意義に過ごせとても楽しいひと時でした 次回は何にしうようか? 餃子パーティーでもと思います… 良い案がありましたらご教授願いたいです…!

お引越し

2009年03月17日 15時33分58秒 | Weblog
約4ヶ月生活したCochranの町からロッキーの町Canmoreに移動いたしました 昨夏はこの町で過ごしこの夏もまたロッキーで過ごしたいということです! Cochraneの下宿先も直ぐに出なければいけない事情もあったので とりあえず出て仮住まいで今はCanmoreの友人のところに潜り込んでます 4月から住めるそれなりの下宿を探さなければということです
しかし ロッキーはいつ来ても良いですね~ 毎日山の景色を眺められることは最高ですね~ ホンマ何よりのご馳走という感じです! 出来れば一生ここに住んでみたいと思うところです それなりの仕事があれば…?
今の仕事場はCochraneなので毎日片道70キロを通わなければなりません 冬場は嫌ですが これからの季節は気持ちの良いドライブが出来ます もちろん休みの日は手軽にロッキーの山の中を歩き回れるというのが何よりも嬉しいです! バンザ~イ!

ボンドカー一新

2009年03月15日 14時39分42秒 | Weblog
ジェームスボンド真っ青の私のボンドカー… タイヤ交換!
2週間前に前輪のタイヤのつるんつるんに気が付きました 日本であればどこの店に持って行ってもそれなりの価格で信頼できる内容でタイヤ交換作業してくれるが ここカナダはきちんと調べて行動していかないと酷い目にあいます これは異常でなくカナダでは現実のことです
能力・技術が無いとか メチャクチャ料金を吹っかけてくるとか 3級品4級品を押し付けてくるとか 車を壊されて帰ってくるとかそういう店があります もちろんきちんとした店もそれなりにあるが それをきちんと見極めることから始めなければならないのですこの国では… 当然「日本だったらこんな店とっくにつぶれているよな~」と思うような店が生き残っているのです… ホンマにおかしな国ですネ!
ということで前段が長くなってしまったが 私も職場の同僚にいろいろ聞きこの国の知識を得てタイヤ交換に行きました 価格・質は私が思っていたレベル・内容のラインに達するものでまあまあという結果でした
この国では店に行っても即実施というのはあまりありません 必ず予約してくれということで何でも予約です 最近では即やってくれる店も増え始めましたが日本のシステムに比べたらまだまだヒヨコです 顧客の利便性より店の利便性優先のビジネスですね~
しかし 世界的な経済不況はカナダにも影響は出始め 今日車屋2軒行って2軒目で作業してもらったがいづれの店もガラガラ… 皆懐の紐が固くなって来ていることがうかがえます
いい加減な店はだんだん生き残っていけなくなるような感じになって来ました
逆にいい加減な店を排除するのに良いチャンスかとも感じてます…
またまた少し脱線したが 新車購入から1年4ヶ月3万5千キロしか走っていないのに 前輪のタイヤだけが磨り減っているのはちょっと異常な感じです 私もいろいろな車に乗りましたが今回のようなこの様な早い時期で交換など初めてです でも減っていれば安全性には変えられず交換しなければならないことですネ!
ドライブしていて気持ち的にはやはり楽ですね~ もしも… なんて考えながら走っていると気が気ではありません これでも~ひと安心! 心置きなくドライブが出来ます

聞いてきいて・・・

2009年03月01日 05時31分58秒 | Weblog
前回Winnipegの中でWinnie The Poohの話を少し書いたので もう少しくまのプーさんの有名になる前の初期のお話を書きます 押し付けのようなものですが嫌でなかったら読んでやってください! 

プーさんの誕生「くまのプーさん」はイギリスの有名な風刺雑誌「パンチ」の副編集長だった A. A.ミルンによって書かれました
そもそもの始まりは1924年に彼が息子のクリストファー・ロビンをモデルにした子供向けの詩『クリストファー・ロビンの詩』"When We Were Very Young"を発表したことでした それをきっかけにクリストファー・ロビンの子供部屋の住人だったぬいぐるみのくま・コブタ・カンガルー・トラなどがさまざまな事件をおこす顛末がユーモラスに書かれた『クマのプーさん』"Winnie-The-Pooh"が1926年E. H. シェパードの挿し絵を加え発表されたのでした
そしてその翌1927年には『クマのプーさんとぼく』"Now We Are Six"、さらに1928年には『プー横町にたった家』"The House at Pooh Corner"が出版されました
プーさんのモデルとなったくまのぬいぐるみは ミルンの息子のクリストファー・ロビンが1歳の誕生日にプレゼントとして贈られたものです
ロンドンにある英国王室御用達で有名な百貨店“ハロッズ”のためにファーナル社が作ったオリジナルベア「エドワード」で 百貨店のキャラクターともなっています このため、クリストファー・ロビンのくまのプーさんも最初は「エドワード」などと呼ばれておりました

ということですが これが何なの? といわれても何でもないがただそういうことだということでプーの話が始まったということです…