goo

歴史に向き合う誠実さ @ 吉川晃司の原点 『4400人が暮らした町』

 


 8月6日(日)の深夜に放送していました。かの吉川晃司が故郷広島を訪ねるという内容ですが、実は、原爆ドームの川向いにあった「吉川旅館」が、吉川晃司の父親の生家とのこと。この元安川の三角州は当時は中島町と言って、中国地方屈指の繁華街で、まさに軍都廣島の「ど真んなか中のド真ん中」だった場所です。そういう場所で、吉川晃司の祖父祖母は 割烹旅館「吉川」を商っていたわけですね。

 こどもであった父親は疎開していたので、原爆の直撃は免れました。まあだから吉川晃司が生まれてきたわけですね。しかし、直後の市内に入り二次被爆し、それで吉川晃司も被爆2世ということになっています。

 でね、圧巻は 平和記念資料館の場所の「発掘作業」のシーン。これ別に、縄文時代の遺跡発掘ではなく、平和記念資料館の耐震補強工事のために、資料館の下の地面を掘り下げているんです。深く掘ってゆくと、真っ黒な土の層が出てきます。これがまさに原爆で1800度以上の高温で焼かれた地面です。その上の黄色ってぽい部分は、がれきなどを埋めたあと、さらにその上に、70センチほど盛り土をして、平和公園として整備したわけです。

 平和公園の、今自分が立っている石畳のその下には、多くの人々の命と生活と人生と思い出が埋まっていること。戦争はそれらを一緒にして破壊しつくすことを 視覚的にも鮮やかに描き出した、秀逸な番組でした。

 それにしても 今や渋~い名優となった吉川晃司の 歴史と平和に向き合おうとする誠実さに あっぱれです。






明日の日曜日 ブログお休みします

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 山の日だけど... 今年の夏は ... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。