こうたんたん たんたかたん

難治性てんかん・重度精神発達遅滞の息子こうたの成長・闘病記録

2010年2月(前半)

2010-11-16 11:36:46 | 誕生から退院まで
2月1日。

ケトン食中止の間、逆に糖多目の注入をして、
発作を出来るだけ抑えることになった。

ドルミカムは持続で点滴され・・・
ブドウ糖多目の点滴に、1日3回のトリクロシロップ。
こうたは寝てばかり



2月4日。

糖を多く取ることにより発作は減少していた。
・・・・が、すこーしづつ増えて来ている
Glut-1は糖を取れば症状は改善するのに、あえてケトン食を
するのは、それでは糖尿病になるかららしい。
確かに、数日前は発作が抑えられてたのに、今日は8回ほどある。
必要とする糖の量はどんどん増えていくということだろうか。

こうたはずっと寝てる。
おかげ様で私は無気力
こうたの寝顔を眺めながら、どうしようもないことばかり考える。
ぐじぐじして、最後にはこうたん父に申し訳なくなる。
朝きちんと会社に行って働いて、夜になれば私のご飯を
買って病院に来てくれて、家に帰っては夜遅くに洗濯機を回す。
あああ、申し訳ない。


2月7日。

発作は大きいの27回、怪しいの11回にもなっていた。
トリクロももはや効かないのか。

明日からいよいよケトン食の再スタート。


2月8日。

ケトン食をまた1:1から始める。
今回は厳しい水分制限も始まる。
今まで1回120ccだったのが、55ccに。

点滴などの糖もすべてカットされた。

こうたはお腹がすいているのか、ひたすら泣き続ける
ドルミカムをフラッシュされても寝れず、泣き続ける
母の抱っこもまったく効果なし
夜はナースステーションに預かられた。

大きい発作85回、怪しいの16回。


2月12日。

ついに尿ケトンが3+を出した。
ケトン食が効くのは早くて1週間くらいかかると先生は言う。

夜もひっきりなしに発作が起きて、寝れない。
なんかもう母も限界。イライラする

大きい発作88回、怪しいの20回。


2月16日。

なんだかこうたが落ち着いてきた気がする。

発作の数もそうだけど、程度も軽くなった気がする。
数日前から「眼震」が出てきており、
ひどいときには目を開けている時間のほとんどが揺れていた日もあるが、
眼震も時間が短くなった気がする。

いよいよケトン食が効いてきたのだろうか

大きい発作34回、怪しいの34回。


2月17日。

昨日の夜、事件は起きた。

こうたん母はばあばに付き添いを代わって貰い、自宅に帰っていた。
この頃のミルクの注入は、血糖値を安定させるため、と「持続」で
行われていた。3時間かけて70ccを注入、それを24時間続ける。
点滴の機械に、注射器にミルクを入れてセットする。
すべて看護士さん管理となっていた。

そして深夜、看護士さんが注入したのはどうやら、
他の患者さんの特殊ミルクだったらしい。

幸い、看護士さんは途中で気が付き、こうたに注入されたのは30cc弱。

私は病院に着くなり謝罪され、そしてこうたん父が夜病院に着てから
改めてミスの報告、謝罪をされた。


私は看護士さんを責める事が出来なかった。

別に、私が心の広い人間だとか、そいういう訳ではなくて、
「あんたのせいよ!!」なんて普通言える??
なんかそんなセリフいえないよねぇ。
それに、看護師さん達にはものすごくお世話に(負担に)
なってるとも感じていた。
私はこうたの「母」なのに、こうたの「食」である
ミルクに関しては、看護士さんが全て行っており、引け目があったのだ。

そしてこの日は、こうたの調子がとてもよく、
発作も大きいの11回、小さいの6回と、
気持ちが楽になっていたのだ。
愚かにも、状態が酷くなるのはもうちょっと先ということに
気が付かず、簡単に考えてしまってた。

ミスをした看護士さんには
「いつもよくして貰っていると思っています。
今後もよろしくおねがいします。」と言った。

今後こうたのミルクの蓋には名前入りのシールが貼られ、
ダブルチェックをする、という対策が取られた。

この時、師長さんが言った、
「ケトンミルクはこうた君にとっては薬と一緒」という言葉に、
私もハッとさせられ、認識が甘かったことを実感した。



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