コクーンタワー_空を突き刺すビル2

2008-09-30 23:19:22 | Weblog
2008(平成二十)年9月、新宿副都心に、にょっきり、こんな建物が、たってました。都庁のすぐ近くです。学校法人東京モード学園やHALなどの、専門学校が入り、約一万人の学生が通う予定です。コクーン(繭(まゆ))の様な外観が特徴だそうです。_____目の前に、こんな建物があらわれると、かなり、びっくりですよ~。私、オートモードで写真とっただけ、修正なしで、こんな不思議な建物が映りました。きのうの続きですが、日本のまんなかの景色がけわしくなっています。友人イラストレーターの展示会の内容は、新宿のたてものを、自分のやわらかな、絵におきかえたものでした。私も今、日本のまんなかの景色、たてものを写し取っています。景色や建物は、人々のココロを映し出すモノ。多分、ここ半世紀、世の中が、日本が、急勾配に、きびしくなっています。やわらかな、弱いものを、受けつけず、どんどん、どんどん、天を突き刺す建物やできごとが増えています。反対に、経済の行き届かない所の建物や人々は、切り崩され、荒れています。一万人の、学生の、わかい、柔らかな人々が成長する場所として、こんな建物が作られました~。~古い人間ですみませんが、子どもは、商売の先生に、金はらって、義理で教わるより、体をつかって、自分の力で、大地の声に学ぶべし~~って思うのですが。やっぱり、こーゆー考えは、~古い人間ですよね。

東京都庁_空を突き刺すビル1

2008-09-29 23:36:46 | Weblog
1991(平成3)年、東京都庁が新宿に移転されるにあたって、開催されたコンペに、72才の丹下健三(1913~2005)が、必死の覚悟で臨んで、勝取った建築物と言います。45度、ひねった、双頭の最上部を持ち、外観は江戸の文様と集積回路をモチーフにした細やかなパターンで、大きな壁面の単調さを避けて、日本を代表する建物となりました。_____なんだか最近、日本のまんなかの景色がけわしくなっています。ソレハ、1990年代頃からでしたか??・・・この搭に久々、出会ったのは、都庁にある新宿の副都心に住み、友人イラストレーターが展示会を、すると言うので、写真に納めました。

フィリッピン大使館_オノヨーコさんが少女期を過ごした館

2008-09-27 00:22:09 | Weblog


東京メトロ九段下駅、近く、冬青木坂(もちのきざか)を登って、飯田橋富士見町のひっそりした一角に、このフィリピン大使館はあります。この公邸は、1934(昭和9)年、財閥の安田岩次郎氏が建てたイベリア建築(スペイン様式)で、1942年、当時のフィリッピン大統領が、購入し、2年後、フィリッピン政府の所有になりました。お稲荷さんの鳥居もある和風庭園、洋風庭園、門には日比友好の象徴として植樹された、シダレザクラがあります。歴代大使によって、メンテナンスも行なわれ、重要会議やパーティも行なわれていると言います。安田岩次郎氏の姪にあたる、オノ・ヨーコさんが、少女期を過ごしたという館でもあるらしいです。

内堀通りに突如出現の~フヨウ!?

2008-09-25 00:15:32 | Weblog
2008年春くらいから、皇居まわりに、突如、小花の植物が植樹され始めました。コレハ、オリンピック誘致を意識してるのか、皇居ランナーを気づかっての事でしょうか、すこしづつ、季節が変わって来たので、何の花か判明しだしました。今日の、この花は、東京メトロ、東西線、竹橋駅、毎日新聞社前のフヨウです、フヨウは、あおい科の落葉低木で、毎日、次々に花をつけ続けます。花の色が変化するので、学名のmutabilisは英語のmutable(変化しやすい)の意味だそうです。

桃華楽堂~前皇后陛下の音楽堂~なんともアジアンテイスト~

2008-09-21 01:42:36 | Weblog
香淳皇后(昭和天皇妃)の還暦を記念して、音楽好きの妃に、建てられた音楽堂で,1966(昭和41年)に完成しました。香淳皇后のお印の「桃」にちなんで命名されました。お印が桃なのは、御誕生日が三月なので、桃の節句にも、ゆらいしています。八角形の建物で、屋根は、テッセンの花弁を形どっていて、八つある壁面は、日月星・衣食住・風水火・春夏秋冬・鶴亀・雪月花・楽の音・松竹梅と、イメージした図形を、陶片で描かれています。全体として日本女性の優雅でおおらかな理想像をえがき出したものと言われています。屋根の上には鬼瓦の代わりとして金色の雛人形が飾られています。


諏訪の茶屋_日本の美しい建築物

2008-09-20 00:45:40 | Weblog
現在、皇居東御苑、二の丸公園にある、この茶屋は、江戸時代には、御所のある、吹上地区にありました。明治45年に再建されたもので、明治期の茶屋風の建築を残す建物として移転されました。春には梅が咲き、秋には彼岸花、夏には夏の景色にいきる様に、自然の風景に映え、なじむ様なつくり、小堀遠州風の庭には、日本古来の自然感、日本の景色をたしかに残しています。

皇居_平川門_不浄な者を通した門

2008-09-19 02:23:20 | Weblog
地下鉄メトロ竹橋駅、すぐ前にこの門はあります。江戸時代、竹橋より侵入した敵を撃退できるよう平川壕に伸びた細長い城郭の門です。大奥に一番近く、大奥詰の女性専用の登城口でした。警備は厳しく、かの春日の局も、門限にほんの少し遅れただけで、入れてもらえず、門外で一夜を過ごしたほどです。死人や罪人が出された、不浄門も近くにあり、城内で刃傷沙汰を起こした浅野内匠頭は、赤穂浪士に見守られながら、この門を出たと言います。


日比谷公園_博士が首をかけて守ったイチョウ

2008-09-17 23:42:01 | Weblog
このイチョウは、日比谷公園開設までは、日比谷見附(現在の日比谷交差点脇)にあったものです。明治32(1899)年頃、道路拡張の為、この大イチョウが伐採されようとしているのを見て驚いた、日比谷公園生みの親、本多静六博士が東京市参事会の星亨議長に面会を求め、博士の進言により移植されました。移植不可能とれていたものを、博士が「首をかけても移植させる」と言って実行された木なので、首かけイチョウとの呼び名があります。今、その木は、日比谷公園の中央、レストラン松本楼わきに。どっしり根付いております。推定樹齢(400才)