ムネオ日記
2006年10月18日(水)
明日の日ソ共同宣言、いわゆる56年宣言から半世紀を迎えるにあたり、北海道新聞は7・8面に特集記事を組んでいる。「『領土』の解釈に溝 なお見えぬ着地点」という見出しで、日ソ共同宣言50年を振り返り、北方領土問題の現状を報じている。
識者の声として、前駐日ロシア大使のアレクサンドル・パノフ氏が「『2+2』には可能性」という見出しで次の様に述べている。全文を読んでいただきたい。
領土問題をめぐる日ロ間の交渉は現在、ないに等しい状況だ。森喜朗元首相とプーチン大統領は2001年3月に「イルクーツク声明」に署名したが、小泉政権になって(日ソ共同宣言に基づく)交渉基盤が壊れてしまった。
プーチン大統領は56年宣言(日ソ共同宣言)の領土条項に百パーセント賛成しており、いつでも交渉に臨もうとしている。ロシアの立場は(歯舞、色丹の)二島返還。プーチン大統領は自ら宣言文書を読み、2000年9月の首脳会談で有効性確認に踏み切った。宣言は日ソ両国議会に批准されており、大統領は履行の義務があると語っている。
大統領の決断は、平和条約交渉の大きなステップ。だが、日本側は評価しなかった。
日本が重視する「川奈提案」は、ロシアは絶対に受け入れられない。同提案は初めから四島が日本領だと決めている。私は56年宣言を基礎にする以外に、問題解決の方法はないと思っている。
今のところ、安倍新政権の立場はまだ不明だ。これから、どんなシグナルが発せられるのか。ロシアは(四島一括帰属確認に代わる)日本のアイデアを待っている。56年宣言を認めた大統領の立場を評価し、同宣言を基盤とする交渉を始める姿勢を明確にするなら、領土問題に関する両国関係の空気は一変するだろう。
大統領の立場が強硬となったとみるのは正しくない。日本側がロシアに近づく姿勢を見せないのなら、待つしかない。(大統領発言には)交渉の戦略というか、技術的な側面がある。厳しいことを言って相手の出方をみるというのは外交上、普通に行われていることだ。
交渉では初めから最終的な立場を表す必要はない。(「2プラス2」と呼ばれる国後、択捉の継続交渉の可能性も)始めてみなければ分からない。どんな形で、最終的な解決が導き出されるかは、誰も分からないのだ。
56年宣言から50年がたった。再び50年待つこともできるが、(宣言に基づく)交渉を始めることは、日本側の利益にかなうのではないか。
また、カリフォルニア大サンタバーバラ校の長谷川毅教授は「宣言基に双方譲れ」という見出しで次の様に述べている。
北方領土問題の歴史を振り返ると、日本と旧ソ連が国交を回復した日ソ共同宣言は、両国が問題解決に向け、もっとも歩み寄った歴史的な場面だった。同宣言は「平和条約締結後に歯舞、色丹を引き渡す」と合意。これを両国の最高立法機関が批准したのだから、名前は宣言だが、実質的に条約だ。その法的、政治的意義は極めて重い。
では、どうしてその後、北方領土問題が進展しなかったのか。最も大きかったのは米国の干渉だ。
日ソ共同宣言締結直後、日本側は平和条約締結後に歯舞、色丹二島の返還を受け、国後、択捉二島については後の交渉に委ねる方針だった。しかし、当時のダレス米国務長官は重光葵外相を呼びつけ、二島返還を受ければ米国は沖縄を返還しない、と通告した。
当時、米国は日ソが接近し、日本国内のナショナリズムが沖縄返還に向かって高揚し、反米世論が高まることを恐れていた。米国にとって、北方領土問題は懸案のままである方が都合が良かったのだ。
日本側は米側の意向を受ける形で、「二島先行返還」から「四島一括返還」に方針転換。日本国内でも、二島返還に対する風当たりが強かったこともあり、政府は四島を交渉のテーブルに載せることにこだわり続け、交渉はこじれていった。
森喜朗政権でのイルクーツク声明は、日ソ共同宣言に言及した意義深い文書だったが、その後の小泉純一郎政権で、歯舞、色丹と択捉、国後を切り離して交渉を進めようとした鈴木宗男衆院議員や東郷和彦・元外務省欧州局長らが失脚。対ロ外交は、四島の帰属確認を一括して求める東京宣言を根拠に、またも四島一括返還にかじを切った。
その結果、小泉政権で北方領土問題はまったく進展しなかった。背景にはプーチン大統領の強硬姿勢もあったが、小泉前首相が橋本龍太郎、森両元首相らと比べ、問題解決の熱意に欠けていたことも否めない。
領土問題の膠着(こうちゃく)状態を脱するには、日ソ共同宣言に立ち戻り、そこを起点に互いに譲り合うしかない。このシナリオには、保守層を中心に日本国内の反発が予想される。安倍晋三首相には、それを説得するだけの強い指導力が求められるだろう。
お二人の考えは現実的解決論にむけて、日本のとるべき選択肢であると私は思う。空想的解決を言っても、ただ時間が過ぎるだけである。
ちなみに木村汎氏は「ロシアの軟化待て」という見出しで考えを述べているが、更にあと61年も待てないので、記事紹介は省略させてもらう。
ロシアはパノフ大使の時代に、またロシュコフ現大使着任の時に、ラブロフ外相とプーチン大統領はそれぞれ日本に対してシグナル・メッセージを何度となく送ってきた。日本側がそのシグナル・メッセージを読み取ることが出来なかったのである。ロシアの専門家である木村氏も、今日の記事からすると読み取っていなかったことになる。同時に、木村氏が日ソ・日ロの時代を通じてどんなことをしてきたかについても、私なりに調べて国民に情報開示をしていきたい。
明日、安倍首相がどんなメッセージ・シグナルをロシアに送ってくれるのか期待したい。タイムリーに安倍首相の対ロ新政策、領土問題解決に向けた具体的提案を、パノフ前大使、長谷川教授の声を参考にしながらやってほしいものである。
安倍首相と小沢民主党代表との初めての党首討論が行われた。憲法問題、北朝鮮の二点に絞ってのやり取りで、お互いの考えが披瀝され、良かったと思う。淡々と自然体で行われ、激論を期待していたむきには消化不良かもしれないが、静かな中に核心をつく議論が党首討論だと考える私は、良い討論であったと評価したい。
鈴 木 宗 男
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2006年10月18日(水)
明日の日ソ共同宣言、いわゆる56年宣言から半世紀を迎えるにあたり、北海道新聞は7・8面に特集記事を組んでいる。「『領土』の解釈に溝 なお見えぬ着地点」という見出しで、日ソ共同宣言50年を振り返り、北方領土問題の現状を報じている。
識者の声として、前駐日ロシア大使のアレクサンドル・パノフ氏が「『2+2』には可能性」という見出しで次の様に述べている。全文を読んでいただきたい。
領土問題をめぐる日ロ間の交渉は現在、ないに等しい状況だ。森喜朗元首相とプーチン大統領は2001年3月に「イルクーツク声明」に署名したが、小泉政権になって(日ソ共同宣言に基づく)交渉基盤が壊れてしまった。
プーチン大統領は56年宣言(日ソ共同宣言)の領土条項に百パーセント賛成しており、いつでも交渉に臨もうとしている。ロシアの立場は(歯舞、色丹の)二島返還。プーチン大統領は自ら宣言文書を読み、2000年9月の首脳会談で有効性確認に踏み切った。宣言は日ソ両国議会に批准されており、大統領は履行の義務があると語っている。
大統領の決断は、平和条約交渉の大きなステップ。だが、日本側は評価しなかった。
日本が重視する「川奈提案」は、ロシアは絶対に受け入れられない。同提案は初めから四島が日本領だと決めている。私は56年宣言を基礎にする以外に、問題解決の方法はないと思っている。
今のところ、安倍新政権の立場はまだ不明だ。これから、どんなシグナルが発せられるのか。ロシアは(四島一括帰属確認に代わる)日本のアイデアを待っている。56年宣言を認めた大統領の立場を評価し、同宣言を基盤とする交渉を始める姿勢を明確にするなら、領土問題に関する両国関係の空気は一変するだろう。
大統領の立場が強硬となったとみるのは正しくない。日本側がロシアに近づく姿勢を見せないのなら、待つしかない。(大統領発言には)交渉の戦略というか、技術的な側面がある。厳しいことを言って相手の出方をみるというのは外交上、普通に行われていることだ。
交渉では初めから最終的な立場を表す必要はない。(「2プラス2」と呼ばれる国後、択捉の継続交渉の可能性も)始めてみなければ分からない。どんな形で、最終的な解決が導き出されるかは、誰も分からないのだ。
56年宣言から50年がたった。再び50年待つこともできるが、(宣言に基づく)交渉を始めることは、日本側の利益にかなうのではないか。
また、カリフォルニア大サンタバーバラ校の長谷川毅教授は「宣言基に双方譲れ」という見出しで次の様に述べている。
北方領土問題の歴史を振り返ると、日本と旧ソ連が国交を回復した日ソ共同宣言は、両国が問題解決に向け、もっとも歩み寄った歴史的な場面だった。同宣言は「平和条約締結後に歯舞、色丹を引き渡す」と合意。これを両国の最高立法機関が批准したのだから、名前は宣言だが、実質的に条約だ。その法的、政治的意義は極めて重い。
では、どうしてその後、北方領土問題が進展しなかったのか。最も大きかったのは米国の干渉だ。
日ソ共同宣言締結直後、日本側は平和条約締結後に歯舞、色丹二島の返還を受け、国後、択捉二島については後の交渉に委ねる方針だった。しかし、当時のダレス米国務長官は重光葵外相を呼びつけ、二島返還を受ければ米国は沖縄を返還しない、と通告した。
当時、米国は日ソが接近し、日本国内のナショナリズムが沖縄返還に向かって高揚し、反米世論が高まることを恐れていた。米国にとって、北方領土問題は懸案のままである方が都合が良かったのだ。
日本側は米側の意向を受ける形で、「二島先行返還」から「四島一括返還」に方針転換。日本国内でも、二島返還に対する風当たりが強かったこともあり、政府は四島を交渉のテーブルに載せることにこだわり続け、交渉はこじれていった。
森喜朗政権でのイルクーツク声明は、日ソ共同宣言に言及した意義深い文書だったが、その後の小泉純一郎政権で、歯舞、色丹と択捉、国後を切り離して交渉を進めようとした鈴木宗男衆院議員や東郷和彦・元外務省欧州局長らが失脚。対ロ外交は、四島の帰属確認を一括して求める東京宣言を根拠に、またも四島一括返還にかじを切った。
その結果、小泉政権で北方領土問題はまったく進展しなかった。背景にはプーチン大統領の強硬姿勢もあったが、小泉前首相が橋本龍太郎、森両元首相らと比べ、問題解決の熱意に欠けていたことも否めない。
領土問題の膠着(こうちゃく)状態を脱するには、日ソ共同宣言に立ち戻り、そこを起点に互いに譲り合うしかない。このシナリオには、保守層を中心に日本国内の反発が予想される。安倍晋三首相には、それを説得するだけの強い指導力が求められるだろう。
お二人の考えは現実的解決論にむけて、日本のとるべき選択肢であると私は思う。空想的解決を言っても、ただ時間が過ぎるだけである。
ちなみに木村汎氏は「ロシアの軟化待て」という見出しで考えを述べているが、更にあと61年も待てないので、記事紹介は省略させてもらう。
ロシアはパノフ大使の時代に、またロシュコフ現大使着任の時に、ラブロフ外相とプーチン大統領はそれぞれ日本に対してシグナル・メッセージを何度となく送ってきた。日本側がそのシグナル・メッセージを読み取ることが出来なかったのである。ロシアの専門家である木村氏も、今日の記事からすると読み取っていなかったことになる。同時に、木村氏が日ソ・日ロの時代を通じてどんなことをしてきたかについても、私なりに調べて国民に情報開示をしていきたい。
明日、安倍首相がどんなメッセージ・シグナルをロシアに送ってくれるのか期待したい。タイムリーに安倍首相の対ロ新政策、領土問題解決に向けた具体的提案を、パノフ前大使、長谷川教授の声を参考にしながらやってほしいものである。
安倍首相と小沢民主党代表との初めての党首討論が行われた。憲法問題、北朝鮮の二点に絞ってのやり取りで、お互いの考えが披瀝され、良かったと思う。淡々と自然体で行われ、激論を期待していたむきには消化不良かもしれないが、静かな中に核心をつく議論が党首討論だと考える私は、良い討論であったと評価したい。
鈴 木 宗 男
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