精神世界(アセンションについて)

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高橋信次  正法・神理(信次が説いた自然の法則) 調和への道のり Ⅱ

2008年09月23日 | Weblog
宗教の変遷と神理への道

1.現代へ
信次は、現代(信次が活動した1960-70年代)における仏教やキリスト教が、
長い歴史の流れの中で人々の知と意により、学問・哲学化、宗派の乱立・派閥的闘争を見、あるいは形式化・行事化し、他力信仰と化し、人々の心から遊離してしまったと説き、
これに対して、釈迦やイエス・キリストの時代に帰れと『人間・釈迦』をはじめとして様々な著作において説き、
さらに、釈迦もイエスも他力の思想は一度も説いておらず、また、現代のように哲学化した一部の者の為の仏教やキリスト教というような難しいものではなく、
生きた人間の実生活の中に存在するものであったと主張した。
信次は、鎌倉新仏教の宗祖日蓮や親鸞にみられる他力的思想について、鎌倉時代、武家勢力の台頭によって戦の絶えない厳しい時代において、人々の心を救い、調和へと導くにはこのような方法でなければ難しかったと、日蓮、親鸞らを擁護しつつも、人間の魂の自由意志性の観点からすれば、他力的思想は誤りであり、
正法とは自力であるとした。
人間は、自由意志を持ち「宇宙即我」を悟る権能を神から与えられており、
その魂の「曇り(スモッグ)」は全託によっては除かれず、他力によって救われたという人は、それを縁として自分の心と行いを修正した人であるとしている。
また、題目や経を何万言上げたかということではなく(すなわち回数によって救われる・救われないではなく)、「南無」すなわち帰依するという言葉を心として日々の生活をすることにより魂はその曇りをぬぐい、神仏の光を受けることができるとされた。
それは、キリスト教においても同様であり、その教えを生活の中に生かすことが正しい道であるとしている。
1975年5月3-5日の講演においては南伝がむしろ正しく伝わっているかもしれないともしている。
ただし、信次は、魂の機能の観点から見れば自力で悟ろうとするゆき方自体に問題はないとしつつも、自我への執着(自己保存)に立脚した自力のあり方についてはこれを批判している。
座禅とは日常生活を生かすための方法に過ぎず、また座禅を組むこと自体を目的とすることには問題があり、座禅のみによっては人は絶対に悟ることはできないとし、日々の生活の中において、自身の思いと行いを「神の慈悲と愛」に適う中道に保つように努力するところに悟りがあるとしている。
反省のための反省ではなく「慈悲と愛」にもとる(すなわち中道に反する)自身の思いと行いに対して反省を行うことであるとする(信次は、このような、日常生活に慈悲と愛の心を生かそうとする「神仏の子としての自覚によった(信次)」自力の在り方を「調和の絶対自力」と呼ぶともしている)。
北伝においては、天台智が法華経を中国に伝えこれを説き、
伝教大師が天台宗を中国から日本へ伝えた頃までは、正法は生きていたされるが、このとき、中国において難しく学問・哲学化されたために多くの衆生を救うには至らなかったとされる。
信次によれば、仏教には本来大乗も小乗もなく、個の悟りと全体の平和は調和するものであるとされ、また八正道とは恣意的なものではなく自然の法則に即した規範であるとした。
このようにして、自然の法則との調和の方法である、中道(神の心である「慈悲と愛」に適った、偏りのない、私心を去った、全体(自然・宇宙)との調和を志向する、思いと行いのあり方の尺度・根本原則)を原則とする八正道と「反省」の生活の中での実践こそ、自己の内面や、その反映である環境を調和(前者においては心の安らぎさらには悟り、後者においては調和された環境さらには仏国土・ユートピア)へと導く方法であるとした。
ただし、仏教もキリスト教もユダヤ教もイスラームも、教えの根本は同じで、
釈迦が説くところにしても、イエスが説くところにしても、
信次によれば、これらは、思弁的に形成された思想や哲学などではなく、
神が定めた自然の法則(「法」)を根拠とするものであるとされる。
しかるに、時代の変遷に伴って、時々の権力者の意図、あるいは数多くの学者の解釈等を受けて変質し、その心はやがて失われ、諸説が入り乱れ、難しく学問化され形骸化する。
そのようにして、彼らがいた当時に比べて、形式的にも、内面的にも純粋でない部分がある場合もあるとされた(このような事態を受けて、天上界はキリスト教におけるルターやカルヴァンのような「光の天使」を地上に派遣し、その誤りを修正するとされる)。
また、この自然の法則を、自我我欲のために意図的に曲げて人々に伝え、これを苦しめるものには厳しい反作用が訪れるとされた。これは法則であるとされる)。
このようにして、自然の法則に適った、調和への方法(すなわち神の意思であり自然の法則である「法」と、「法」に適った全体(自然・宇宙)との調和を志向する原則である「中道」及びそれに基づく実践の規範である「八正道」)を学び、実践するところに、(自然の法則に適うため)内面の調和、外界(この現象界)の調和は現れるとし、これを外れる事により、(自然の法則に反するため)病気(純粋な身体の疲労あるいは肉体遺伝による場合もあるとされる)、天変地変等、不調和が訪れるとされた。
信次は、この「法」を伝える人を「光の天使」と呼び、神の意思にもとづいて、彼らは、人々を調和へと導くために「法」を説くとされた。


2.太古から紀元前後へ

B.C.3億4500(すなわち1976年現在から見て3億6500年前)[35][36]調和されたベータ(ベルタ)星という星から反重力光子宇宙船(UFOのこと)に乗って、
新天地を求めて地球を訪れたエル・ランティとミカエルら七大天使を指導者とする宇宙船団の第一艇団は、現在でいうところのエジプト、ナイル渓谷東部の三角州に定住をはじめ、やがてそこに人類最初のユートピアを、エル・カンタラーと呼ばれる地に築いた。
それは、現在ではエデンの園としてその名をとどめる。
エル・カンタラーの人々は、魂と肉体を自由に分離(幽体離脱)することができ、そのため天上の世界と自由にコンタクトを取ることができた。
やがて、宇宙船団の第二艇団が地球を訪れ、その中から、一部道を外れ、調和を乱す人々が出始めた(その頃既にエル・ランティは地上を去り、天上界よりその経綸を見守っていた)。
そこで指導者であるミカエルは、この一部の人々を他の場所に移し、その思いと行いを反省するよう諭した。
しかし、場所を移されたところの人々は、エデンの園エル・カンタラー、及び天上界との人々との交信を断ち、やがて死後、天上の世界へ帰ることなく、その不調和な想念により、それまでは存在しなかった地獄の世界を作り出した(あの世は非物質の、意識による世界であり、思念こそが創造の根源である)。
やがて、天上界の命により彼らの救済のためにサタンという名で人間として地上に出たルシフェルは、自身の地位と名誉におぼれ、天上の世界に帰ることなく、
地獄の世界に堕ち、現在(少なくとも1976年)まで地獄の帝王として君臨する。
それから幾多の文明の変遷、ルミジア、ムー大陸等の沈没を経て、文明は、B.C.7000頃アトランティス大陸に移る。
やがて文明は高度に発達し、人々の生活も豊かであったが、心を失った時代であったアトランティスの末期、王として出たアガシャ(後のイエス・キリスト)は、
失われた人々の心に愛、慈悲の神理を説いた。
しかし悪魔に心を売った人々によって彼を除く(『心の発見 神理篇』において登場するファウリヤリイなる当時の人物の霊によれば、アガシャもこのとき処刑されたとされる)光の天使は処刑され、アガシャを信ずる人々も見せしめとして生き埋めにされた。
その不調和な想念と行為により、アトランティスは、巨大な黒い想念に覆われ、
その反作用として、大陸は沈没した(このような、大陸の沈没あるいは隆起といった「ノアの方舟」的な現象を人類は幾度となく体験して来ていると、信次は説明した。これにより知識・技術・材料等の伝達が困難となり、高度の文明であっても一夜にして原始的生活に回帰するとしている。
「エデンの園」、アトランティス、ムー等、幾度もの文明の進歩と破局を繰り返し、人類は現在に至るとされている。
このような経過を経て、現在、地球は「最終ユートピア」を築く段階に入っているとされた)。
滅亡するアトランティスから逃げ延びた人々は、エジプト、ナイル渓谷へと文明を伝え、当時の七十数カ国を統合し、ユートピアを築き、エジプト文明の萌芽をなした。
この当時に出た光の天使として、クラリオ(後のイエス・キリスト)、クレオ・パロータ(あるいはクラリオと同一人物か)らがいる。
やがてギリシャに文明が興り、B.C1500頃アポロ(大天使長ミカエルの転生)が出る。
彼は、人生の目的と使命を人々に伝え、エーゲ文明を築いた。
東方での釈迦の誕生を予言し、アポロは地上を去る。
その遺命を受けた彼の三十数名の弟子達により、その教えは東方のインドに伝えられ、やがて、バラモンと呼ばれた。
一方、B.C.1180頃、人心が荒廃し、権力者はサタンの跳梁(憑依)を受け、
底辺の人々には自由のないエジプトに、モーセが出た。
当時エジプトの奴隷とされていたイスラエルの人々の中に生まれ、王宮の子として育てられたモーセは、やがて自らの奴隷の子としての出自を知り、支配者と被支配者の矛盾に目を開き、奴隷解放に立ち上がる。
かくしてモーセは、ヤハウェの導きを受け、エジプトの奴隷であった60数万の民を連れ、十戒をよりどころとし、カナンの地を目指した。
後B.C900頃、イスラエル。
モーセの教えは廃れ、偶像の崇拝、あるいは人の子の供犠を要求するバアル信仰が栄える中、エリヤ(大天使長ミカエルの転生)が出た。
エリヤは、ヤハウェの命を受け、バアルを祭らせるところのアハブ王や宗教家達に対して一人立ち、数々の奇跡を行いこれらを打ち破り、モーセの十戒をよみがえらせた。
B.C.32イスラエルにイエス・キリスト(インマニエル)が誕生した。
イエスは、ローマの圧政下にあったイスラエルにおいて、貧しい人、病んだ人をなぐさめ、癒し、また形骸化された律法に愛の心を取り戻すべく、時の権力者や律法主義者達の迫害により薄氷を踏むような日々の中、弟子(使徒)達と共に愛と、神の国に至るための悔い改めを説いた。
十字架上の死を経て、その後の復活により弟子達に臨んだ。
やがて弟子達は、異国の言葉を語り、その教えを伝えていった(やがて、時を経て、時の権力者や教皇(法王)らによってゆがめられた教えを修正するため、
天上界はミカエルの再来であるマルティン・ルター、ガブリエルの再来であるジャン・カルヴァンらを出した)。
バラモンとして伝わったアポロの教えは約1000年の時を経てやがて化石化されたB.C.654インド(現ネパール)のカピラヴァストゥに、ゴータマ・シッダールタ(釈迦。上上段階光の大指導霊カンターレの再来)が誕生した。
釈迦は、クシャトリヤ(武家)として生まれ育ち、長じるに従って、自身をその命と引き換えに生んだ母マヤ、戦乱の絶えない当時の世相、自身の住むカピラの城の中は優雅であっても、一歩外に出ると目にする貧しい人々、これらに疑問を募らせ、ついに出家を決意する。
6年間の様々な修行の末、死を覚悟して菩提樹下に座した釈迦は、36年間の人生を省み、不調和な想念と行為を改めた。
それに伴い光明の世界を垣間見、それが自身の心の調和度に照応していることに釈迦は気付き、また、その悟りを妨げようと立ちはだかった魔王パピアス・マラーとその配下をその慈悲の光によって懺悔せしめ、救いに至らしめた。
これらにより己の悟りへの方法の正しさに確証を得た釈迦は、反省を進め、
やがて「意識の拡大」の末、宇宙と自身が一体であることを悟った(梵我一如、宇宙即我)。
悟りに到達した釈迦は、梵天(アモン、クラリオ、モーセ)の要請を受け、伝道を始めた。
当時バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラの4つの身分を定めたカーストにおいて、知と意に偏った学問に明け暮れるバラモン、一見優雅であるが、
戦争の不安と苦しみの絶えないクシャトリヤ、激しい貧富の差のあったヴァイシャ、シュードラ、これらの中にあって分け隔てなく、慈悲と、八正道による自己確立の道を説いた。
やがて、釈迦の教えは北伝(大乗)、南伝(上座部)とわかれ、天台智により中国において中興、東方へと伝わり末法の時代、釈迦が予言したジャブドーバー(東方の国)のケントマティ(都会)において、天上界での計画に即して、その教えは再来した。

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1 コメント

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感事 (金正龍)
2021-09-12 20:13:36
한국어로 말할께요.
저는 한국인으로 태어난, 현재 1960년대에 태어난 사람이며, 남자입니다.

빙의로 인해 10여년 이상 미친사람이었다가, 몇 년 전, 신지(信次)님 책과 강연집을 읽고서, 병(病氣)이 치료되어, 살고 있습니다.

제가 2008에 신지(信次)님을 처을 알게 되었습니다.
님이 글을 복사해 갑니다.
한국어로, 번역해서, 소개할까 합니다.

비상업적이며, 공개이며, 저작권이 없는 블로그입니다.

URL: 주소는, 제 블로그입니다.

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