昨晩、5度目の満員札止めとなる観客に向き合う前のコロシアムで、エルヴィスは
「おい、俺はこのレコーディング・セッションに準備万端だ」と語り、続けてこう話した。
「先週土曜日の最初の(メンフィス)公演では少し心配もあったが、観客は私を大いに驚かせてくれた。彼らはとても素晴らしく、私はありがたく思った」。
プレスリーと彼のレコード・プロデューサーであるフェルトン・ジャービスは、ヒューストン・アストロドームやその他の都市での公演をレコーディングするかどうか、議論があったことも明かした。
エルヴィスは言った。「でも、自分の故郷メンフィスでライブ・セッションを録音したかったんだ。何といっても、そこが自分のすべての出発点だったんだから」。
The Commercial Appeal (Thursday Morning March 21, 1974) Elvis' Finale Taped For Release In June (by James Kingsley) 翻訳 (1/5) 翻訳 (2/5) 翻訳 (3/5) 翻訳 (4/5) 翻訳 (5/5) |
「おい、俺はこのレコーディング・セッションに準備万端だ」あたりまでは、
FTD「Forty Eight Hours To Memphis」のものと重なっていますね
ということを話題にしましたが、この部分を読んで、
大佐が計画し、エルヴィスがレコーディング場所としてメンフィスを主張した
ということかな、と思いました。
大佐がRCAと話をつけるとなれば、そのように考えるのが良さそうですね (← Second Penguin)