こころの窓

こころの窓を開いて、深呼吸。 日常生活で感じたこと、考えたこと。 しばらくは、不定期更新です。

小さな傷

2006年06月03日 | 随想

我が家には同居人(?!)が三匹います。いずれも猫です。苦手な人には申し 訳けないのですが、働き始めて間もない頃から彼らとの同居生活は続いています。

理由は三つ。

一 猫が好き (犬も好きです)

一 猫は飽きない (飽きられることはあります)

一 猫も人間の鑑 (動物から学ぶことは多いです)

いつの間にか人間の年齢に換算すると、私をとうに越えています。けれども、未だに仔猫のようにじゃれたり、騒いだりするのですから年齢だけでははかれないのかもしれません(このあたりも、人間に当てはまるような・・・)。

ある時ふと見ると一匹の顔が片方だけ膨れあがり、ぷっくりとしたこぶが出来ていました。用心のために動物病院に連れてゆくと怪我をして数日経っているとのこと。少しだけ切開して溜まっている膿を出してもらい、化膿止めの注射を一本打ちました。どうやら私の留守中に大騒ぎをして、勢いあまって噛み付かれていたようなのです。

猫の頬の小さな傷。けれども、これを放置していたら毒が体中に回ってしまい大変なことになっていたかもしれません。それほど重症でない時期に気付けたことに胸をなでおろしながら、病院からの帰り道まったく別のことを考えていました。

それは親しい人とのちょっとしたすれ違いについて。

お互いに信頼し、期待している間柄でありながら、その頃の私は相手とのやり取りでいくつかのすれ違いを感じていました。でも、そのことを心の隅にそっと隠していたのです。けれども、時々隅っこにあるはずのもやもやがイライラとなってむくむく膨らんでくることもありました。

小さなことと思っていても、放っておいてはいけない問題だったのです。

もしも傷跡が残ることになっても、手当てをするのと放置するのとでは大違いです。これは、肉体であっても心であっても同じだと思います。

猫の顔の小さな傷が癒えていく間、私も勇気を出してその問題に取り組んでみました。そして得た答えは、「何事も、気付いたら早いうちに手当をしたほうがいい」です。

また一つ、猫から学んだエピソード。

恵み深い神さまの祝福があなたと共にありますように!

 

「5月の末小さな旅で美しい利尻富士にであいました。おすそ分けです」

Rishiri1 

 

〇「民宿なぎさ」から見たピンクに染まる利尻富士

Rishiri2

〇元地灯台付近から眺めた利尻富士