9番馬のうろうろ

あっちゃこっちゃうろうろしたことや日常など

静岡鉄道駿遠線の痕跡を探そう③(浅羽地区のみ)

2017-05-07 18:53:01 | 浅羽のあれこれ
少しづつ南下していきます。








槙囲いの下に、4本ほど境界杭が残っていました。
頭が水色に塗装された跡がありますが、何故水色?




県道403号線まで来ました。まだこの県道が開通していなかった頃は交通量が少なかったので
ここに横断歩道があって直進できたのですが、流石に今となっては危険な状態ですので
一度西へ向かって郵便局前の「浅名北交差点」を渡ります。

この交差点はある年齢以上の方には「大庭(おおにわ)交差点」という名称の方が馴染みがあります。





再び南下しますが、この一帯は既に往時の痕跡は無く、整備された歩道がひたすら続きます。




浅名の駅跡です。昭和50年前後まではここから斜め前方に浅羽町役場が見えました。
今の浅羽町商工会と図書館の一部がその区画だと思われますが、向かう道がまだ未舗装で
母親と一緒に乗った自転車が、石に乗り上げて転んで大笑いした思い出があります。




かつて「浅羽町民会館」があった場所は、現在あさば記念公園という名称で整備され、御覧の様にかつての駿遠線をイメージした
車両とホームが設置されています。
敷地内には郷土資料館もありますし、北側にあるかつての支所(かつての浅羽町役場)の2階には
袋井市歴史文化館もありますので、一度足を運んで頂けたら如何でしょうか。




浅名交差点まで来ました。ここで県道を斜めに横切って浅羽中学校方面に進んで行きます。




気がつけば住宅街となってしまいましたが、かつては見渡す限り田圃でした。
この軌道の路床高さですが、併走する県道41号線と同じ高さに設定されています。
昔から浅羽の土地は湿地帯で、排水処理が上手くいかずに問題が多かったそうで
既設の道路以上に盛り土をされては困る!ということでの対応だった様です。
今から100年前の事です。




弁財天(べざいてん)川にやってきました。かつての浅羽と袋井の境界です。




川を越えてすぐにある五十岡(いごおか)駅。平成23年(2011年)に改装されて御覧の様な往時を
忍ばせる佇まいを醸し出しています。なおホーム部分は往時のままのものです。


一応ここまでが浅羽エリアなのですが(五十岡駅は袋井エリアです)

その手前の弁財天側橋梁をじっくり見てみます。



西側の橋台が綺麗に煉瓦のままで残っています。




反対側から見てもよくわかりますね。




東側の橋台は埋もれているようです。




潜り込んで橋桁を撮影してみました。
ん?よく見ると刻印がありますね・・・




逆さまにして何度も目を凝らして見て、ようやく「DORMAN LONG Co  MIDDLESBLO H」と
読むことが出来ました。
さて、これは何だろうと調べてみますと・・・

イギリスはミドルスブラに拠点がある橋梁などのH鋼を作っているドーマン・ロング社の刻印でした。
この時代にドーマン社が設計したり、その鋼材を用いて作られた鉄橋が今なお各地に残っている様ですが
なんとまぁ、浅羽にもその様な遺産が残っているとは・・・

①に書いた橋桁も同時期に作られていますから、しっかり探せば刻印が見つかるかもですね。




そしてこの先は新岡崎駅へと続いています。



これらの駿遠線の痕跡は産業遺構になるのかな、と思うのですが、変に改修せずに残していって欲しいものだと心から願っています。
袋井市の関係各位の皆様、大事に残して下さいね~ (´;ω;`)オネガイデス




おまけですが・・・



五十岡にある古刹、長獄山龍巣院(ちょうがくさん りゅうそういん)に足を伸ばしてみました。




来たのは中学生の写生大会以来なのでウン十年ぶりでした。




静かな参道を抜けていくと




本堂です。いい雰囲気ですね。




龍の巣らしく、いい雨水升ですね^^


龍巣院は曹洞宗で、浅羽の中・南部地区二十余寺の源流となっており、
末寺には梅山の常林寺や万松院、富里の松秀寺などがあります。
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静岡鉄道駿遠線の痕跡を探そう②(浅羽地区のみ)

2017-05-04 22:51:48 | 浅羽のあれこれ
 どんどん続けましょう。




これは信号機脇にあるモニュメント。誰ですか、ゴミを捨てていったのは・・・




芝八幡神社の馬場跡の東外れまで来ました。
この辺の水路もみんなカルバートになっています。




もうすぐ祇園神社です。ここも軽い切通しになっていて、かつては両脇の畑に軌道の境界杭がたくさんあったのですが
最近見掛けなくなってしまいました。
ここの西側の畑ですが、江戸時代までは光徳寺というお寺だったといいます。




祇園神社の脇までやってきました。
右側の建物は天王地区集会所ですが、ここはかつて煉瓦工場があり、私が小さい頃は空き地になっていました。
たくさんの瓦や煉瓦の破片があったのを覚えています。
またこの先には、おむな(おもん)寺という名称の小さなお寺があった様ですが詳細は不明です。




この先にかつては農協の倉庫がありましたが、現在は更地になっています。
ですが、よく探すとこの様な境界杭を見つけることができます。




先っぽが赤くなっているのが本来の形態ですが、この様に色が残っているのも少なくなりました。




芝駅です。ここは袋井を出発して最初のすれ違いが出来る駅であった他、貨物用の引込線もありました。
近くに小学校や上浅羽村役場、銀行等があり、「芝銀座」として昭和30年代迄、周辺には店が多くあったそうです。




これは大正4年に建立された記念碑。前年の大正3年に開通した駿遠線を記念してのものです。
子供の頃は読めませんでしたが、今ならなんとか読めます。




ちょうどこの辺りに駅舎が建っていました。今ではコンクリートの基礎片がわずかに埋まっているのみです。




茂みに隠れていますが、わずかに煉瓦が見えています。ここは宿直のための風呂があった場所だと、亡くなった祖父に
聞いた覚えがあります。




ここは私有地ですので立ち入りできませんが、矢印の位置に見えるコンクリートのライン。これは貨物用引込線のホーム跡だと
思われます。子供の頃は段差も綺麗に残っていましたが、今ではちょっと判断が難しいですね。




浅羽庄司居館跡の碑です。昔は木製の看板だけでしたが、立派になっていました。




芝駅構内には、この様な綺麗に線路断面が刻印された境界杭が3本ほどあります。




芝駅を後にしました。  ③へ続く。
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静岡鉄道駿遠線の痕跡を探そう①(浅羽地区のみ)

2017-05-04 19:01:21 | 浅羽のあれこれ
いやぁ、御無沙汰しちゃってますね~^^;

冬眠でもしていたんじゃないか?と言われておりますが

まぁ・・・

似たようなもんです、ハイ (`・ω・´)



 さて、継続中の各タイトルはさておき

今回はこれ↑(タイトル御参照)


 大丈夫です完結します!





出だしは小笠沢川から。
旧浅羽町と旧袋井市の地境で、昔このあたりに駿遠線の橋が掛かっていたはずです。
向かって右側が「柳原駅」になります。




県道41号線に出ました。県道の左側を軌道が走っていたらしいですが、流石に遺構等は見当たりません。




この辺は谷坂(やさか)と呼ばれる地区で、鉄道にとっては結構なUP・DOWNがあります。
その昔、横須賀巡業で乗った力士が重くて坂の途中で列車が止まってしまい降りて押してもらったという場所の一つ(他説あり)です。




かつて生コン屋さんがあった地点から切通しを見ます。
ちょうどGW中の晴天日ということもあり、右手を流れる小笠沢川の西岸からBBQの良い香りが漂ってきます。




旧道との分岐です。右側に入っていくと旧道になります。かつての軌道は現在の県道と同じ左手に向かっており
深い切通しになっていたそうです。




その切通し。王子神社までひと繋がりだった左手の山は削り取られ、今日現在では店舗が建っています。
その奥からは清水が湧き出ていたそうですが、今はどうなんでしょう・・・




県道との分岐に来ました。往時は勿論ここで分岐していたわけではありませんが、現在は専用歩道・自転車道としてここから左手に
進んでいきます。




昭和の時代まではアスファルト舗装の雰囲気のある歩道でしたが、現在は綺麗に整備されています。
常夜灯もしっかり配置されていますので、夜になるとかなりの方々がウォーキングをされています。




諸井駅の跡地です。この建物は近年になって整備されたものですが、休憩場所として重宝されている様です。




同時期に設置された駅名標。




諸井駅の南側にあるナローゲージの説明板。




線路が埋め込まれていて、狭軌(駿遠線762mm、JR在来線)、標準軌(新幹線)が実際に分かる様になっています。




自動車学校を通り過ぎました。




東部排水路に差し掛かりました。小さい頃は隣接する工場から膨大な水が流れ出ていて、その水路に葉っぱを
流して遊んでいました。




ここも切通しでした。実はこの区間、整備された現在はほとんど感じられませんが、軌道のあった頃は
南側の田圃地帯から結構な坂になっていたとのことで、例の力士が~の場所の一つです。




そしてこの切通しを抜けたところの路面に真横に縁石が埋め込まれています。これはかつての郡境を明示していていると
言われています。実際諸井と浅羽の堺に小さな堀が流れていますが、地元の古老から「ここが郡境」と教えられました。

が、です。


寛政元年(1789年)に記された「遠江國風土記傅」という書物では「山名郡」の中に「浅羽荘」が入れられています。


なので「ここが郡境」というのは何が根拠なのか分からないのですが、それが江戸中期以前の区割りにあるのか
もしくは「浅羽三社八幡」に属していなかった諸井地区に対して、いつの間にか「ここが境界」みたいになってしまったのか
更なる勉強が必要なようです。




そしてどんどん南下していきます。




ここで一つ橋が出てきます。篠ヶ谷地区の貫名地から流れてくる小さな沢があるのですが、ここに掛かっている橋です。




実はこの橋、両端の橋台部がレンガなんですね。私が小さい頃からこれですので、軌道があった頃からの物だと思われます。




南側の橋台も同様にレンガです。




で、他の沢や小川に掛かる橋は、この写真の様にコンクリート製になっているかボックスカルバート(コンクリート製の
トンネル状の構造物)に置き換えられてしまっていますが、




ここはかつての主桁が残っているんです。
私が小さい頃は、ほとんどの橋がこういう構造で残っており、この下に潜り込んで遊んでいた記憶があります。




因みに桁の太さが異なっていました。



とりあえず①はここまでにします。
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平成29年 芝八幡神社祭典カレンダー

2016-12-01 19:04:26 | 芝八幡神社祢里連合会広報部
本日より(一部では月曜日から)販売が開始されました

平成29年芝八幡神社祭典カレンダー



一部1,200円と気持ちお高めですが

全額来年のポスター制作費に運用されますので

祭典を盛り上げるためにも

是非お買い求め下さい


そこのアナタ!! 写ってますよ^^ 買って下さいませ~



遠鉄パディさんの中にあります「靴のマルオー」さんか

浅羽町商工会にて販売しております


一緒に靴を買って頂けると嬉しいな~とマルオーの店主も申しておりましたので

年越しは足元から気分一新と洒落込んでみては如何でしょうか?^^
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風邪ひいてノックダウン

2016-10-19 21:47:42 | 日々
 いやぁ、風邪ひきました・・・



週末の日曜日、午前中に自治会の用事を片付けて

祭典のゴミ捨てとか色々やって


家に戻ってダウン




 撮影行けませんでした




でもって、そこからゲホゲホと既に水曜日

一向に良くなる気配なし



HP更新もできないしでスイマセン



早く寝て早く治します
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