real SR

引越しいたします。

ラビア・カーディル、カナダ議会、国際人権問題小委員会での発言

2007-01-07 22:26:03 | ニュース

昨年12月12日 カナダ保守党議員ジェイソン・ケニー氏によってカナダ議会国際人権問題小委員会に招致されたラビア・カーディルさんの発言が発表されている。その一部を抜粋してアップする。 ラビアさんはかなり英語もマスタ―したことがわかる。

http://cmte.parl.gc.ca/cmte/CommitteeList.aspx?Lang=1&PARLSES=391&JNT=0&SELID=e21_&COM=10945

Rebiyanorge0612_1 最初に、私はジェイソンケニー先生に今日のヒヤリングを開催していただいたことの御礼を申し上げます。
また、私はこの席におられる関与されている政党の方々、ウイグルの人々の人権に関心を寄せていただける方々に特別な感謝を表明いたしたいと思います、そして本日、ウイグルの人々が中国において直面している人権侵害を説明する為に当地に来た事は私の本当に大きな喜びであります。

私たちはウイグル人です。中国人ではありません。中国政府は私たちの母国を1949年に占領し、そのあと中国政府は私たちの母国の名を東トルキスタンから新疆に変えました。私たちは自治地域です。新疆は中国語で新しい領域を意味します。

私たちの領域は約200万平方キロの大きさです。ウイグルの人たちの運命はチベットの人たちの運命ととてもよく似ています。私たちは両方とも中国の支配下です、しかし、中国が私たちの状況を覆い隠していることにより、チベットの兄弟のように成功裏に世界にウイグル人の人権侵害の事実を世界にとどろかせる事が出来ていません。
 
 翻訳と言語の問題により、通訳に私は任せる事にします、彼が皆さんに私の陳述を読み上げます。通訳が読み上げる前に私はカナダ政府およびカナダ国民の皆さんがウイグル人の問題を取り上げ、さして私を暗い中国の監獄から解放することに対してさえ助力をいただいたことに対して私は最大の感謝の気持ちを表したいと思います。

カナダ議会、国際人権委員会の紳士淑女の皆さん。私にウイグル人が母国、東トルキスタンで直面している人権状況について話すために招待いただき有難うございます。母国東トルキスタンは1949年から中国の支配下におかれ、その後新疆ウイグル自治区に改名されております。

私はカナダを訪れたのはこれが初めてです、そして私がここにいることはなんと喜びであるとともに名誉であるかをあらわすことに時間をいただきたいです。皆さんは世界中で「カナダ」という言葉が、自由である人々にも抑圧されている人々にも、すべての人々の権利と主体性が尊敬され保護される、繁栄し民主的で平和な地のイメージを起こさせることにお気づきのことと思います。このことは皆様の偉大な業績であり、カナダの議員の皆様および市民の方々が誇りに思われているところのことであると思います。

個人的なことですが私はこちらでの短期の滞在中、カナダの多民族、多言語また多様な文化の社会がうまく機能していることに衝撃を受けました。この社会はもちろん個人の権利と主体性の保護と尊敬の理想に基づいています。この理想はカナダの透明性があり、非差別的な社会制度によって育てられ維持されているものです。

ウイグル人もまた多民族、多言語、多文化的な社会の伝統を有しています。第一次の東トルキスタン共和国は1933年に建国されましたが、ウイグル、ウズベク、カザフそしてキルギス民族の人々を有していました。しかしながら東トルキスタンの大部分は圧倒的にウイグル人でしたが。第一次東トルキスタン共和国はトルコ以外では当時全世界で最初の民主的なムスリムの共和国であり、それはどんな健全な民主制でも持っている決定的な特長によって定義されたものでした、すなわち多数派が支配をしていても少数派は安全であり、包含されるということです。第一次東トルキスタン共和国の時代にはもっとも小さな集団でもより大きな社会に容認されていました。

小委員会の紳士、淑女の皆さん、私は人種や民族と言った用語だけを使って人々を定義したり、描いたりすることは本意ではありません。しかしながら、これが私が、そしてすべてのウイグル人が2世代またそれ以上にわたって育てられてきたやり方です。このように私たちは自分の世界を理解するために教えられてきました。

私たちはウイグル人です。それにより私たちは母国、東トルキスタンで2等市民です。漢族中国人、彼らが政府を動かします。それにより彼らがよい仕事、よい学校、よい医療施設をもち、そしてなによりよい生活を送ります。今日、もし東トルキスタンに行けばもてる者が漢族であり、持たざる者がウイグル人であることが昼と夜のごとく明確にわかります。

ウイグルの子供が学ぶ最初のメッセージはウイグル人が少数民族であり、漢族が大多数であるということです、私たちの母国のうち少なくなった、ウイグル人がいまだ90%を占める南部でもそうなのです。あるウイグル人の子供は幼いころからウイグル語は中国語より劣っていると学んでいます。ウイグルの歴史は長く豊富な中国の歴史の脚注のごとく教えられています。ウイグルの文化は脆弱でいわゆる中国の保護が必要だとも。ウイグルやチベットはおろか、中国自身の文化にもたらされた破壊をご覧になってください、あなたがたはカナダ人としてカナダの文化が中国によって保護されたいと思うでしょうか。

ウイグルの人々は中国共産党と中国政府の慈悲によって自身から守られているということで永久に恩があるのだとさえ求められています。換言すれば、私たちのいわゆる少数民族としての地位、そしてそのことによって劣っているということすべては中国共産党および中国政府によって付与されていることなのです。

 私たちはこのような地位を拒否します。
 私たちは中国政府が私たちに付与したアイデンティティーを拒否します。
 私たちはきらびやかな服装をまとい、歌を歌い、中国人の主人の饗応のための宴会のテーブルの上で踊りを踊ることによって中国共産党に対して単純なお礼を表現する子供じみたおめでたい馬鹿である役割を拒否することに何の後ろめたさも感じません。

 これが問題の根本なのです。私たちは中国の当局が私たちにあるべきであるという姿を拒否します。その結果中国の政治機構は完全に私たちを受け入れることが不可能で不本意となっています。このことが中国政府と私個人との関係でありました。私は中国でシステムを演じました、そして私は人民共和国全体で7番目に富裕になりました。私は中国のいわゆる議会(全国人民政治協商会議のこと)の一員になりました。私は上級政府顧問でした。しかし、私が中国のゲームをやめ私の富と影響力をウイグルの人々への援助のために使い始めたとき、(その援助は中国当局からのものではないのは当然ですが)私の急速な凋落が始まったのです。

ラビア・カーディル紹介サイト↓

このブログに興味をいただけたらblogランキングへクリックお願いします。