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クレシ・クセン(スルタン)氏とは。

2006-11-10 23:51:59 | ニュース

先月10月29日に亡くなったウイグル人音楽家クレシ・クセン氏について、詳しく書いたスウェーデンのフリーミューズと言うサイトが見つかった。

そこに書かれたクレシ氏の詳Sultan1 しい経歴をアップしてみたい。
クレシ・クセン(スルタン)氏はイスタンブールで2006年11月25日におこなわれる第三回フリーミューズ世界会議に招待されていた。彼は数え切れない母国の自由についての曲や詩を書いたウイグル人のアーティストである。
新疆ウイグル自治区ではウイグル人は自身の言語と文化を守るために戦っている。その同じ理由でクレシ氏は投獄され、拷問の憂き目にあった。その音楽は東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)では禁止され、彼は母国から逃げなければならなかった。彼は2006年11月1日にスウェーデンで埋葬された。

クレシ・クセンとしても知られるクレシ・スルタンは1980年代は音楽教師として働いていた、そして指揮を勉強していた。1992年から1995年彼は新疆ウイグル自治区の作家組合によって出版されている新疆芸術という雑誌の編集者として働いた。1987年彼は音楽合奏団を集めることに取りかかった。それから5年の間に東トルキスタン中で1000回以上の公演を行って、500万人以上の人が出席した。
クレシ・スルタンは全中国と全東トルキスタンから11回、賞を受けた。彼のカセットテープ"Hesret"(愛情)と"Echinish"(孤独)はこのマーケットで一番売れたカセットテープである。

1993年新疆自治区(共産)党は、彼がそのような音楽を作りつづけるならば逮捕すると警告したが、1996年に彼の芸術作"Erkek Su"は当局と彼がトラブルにならしめた。それで彼はトルコに亡命しなければならなかった。トルコで彼は4枚のアルバムを発表し、1996年中央アジアにパブリシティのために旅行に行った。中央アジアで彼と友人グループはマシュラップイベントを行ったが、そのイベントは中国政府に衝撃を与えた。中国の強い外交圧力のもとキルギスのKGBは1998年に彼を逮捕した。
9ヶ月の収監の後、1999年に彼は国連からの助けを受けてスウェーデンに行き、政治難民となった。クレシは世界ウイグル人青年会議の副議長また議長となり彼はつい最近、世界ウイグル人会議の筆頭監査役にも選ばれた。彼はスウェーデン、エスキルチューナ市の文化部で音楽研究者といて働き始めたばかりであった。

彼はヨーロッパ中の10以上の音楽祭に参加した。そしてCD「ウイグル民族歌」を2002年に、「クチャの調べ」「覚醒せよトルキスタン5(自由のための曲集)」を2004年にリリースした。

http://www.freemuse.org/sw15449.asp

クレシ・クセン公式サイト
http://www.duttar.com/English/uyghurche.htm
「ラビア・カーディル」という曲がある。

ラビヤ・カーディル紹介サイト↓

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