正月休みに「宗方姉妹」を観た。評価は☆☆☆☆☆。「優雅なハリネズミ」の作者が受けた感じとはかなり違ったけれど良い作品だった。
ところで、「優雅なハリネズミ」の感想を書くのは、随分と先にしたい。本日は、その理由について。 この「優雅なハリネズミ」という小説をとてつもなく面白く感じた理由は以下の2点。
第1の理由は、作者の日本文化へのオマージュという側面に、ぐらっと揺らいだから。
第2の理由は、この小説に登場する二人の主人公の存在と、その先にあるものに惹かれたから。その先にあるものとは、作者(ミュリエル・バルベリ)の意識(思考)の置き方。そこに強く惹かれた。
では、何に対する意識の置き方か?
当初は、彼女の意識の置き方が、”知への探求だ!”と思っていた。でも、読了後は、違った。
作者の意識(思考)の置き方を見つめると、どうも、「美(意識)」を探究している。そして、その象徴こそが「小津作品に潜んでいるもの」であり、「宗方姉妹(に潜む日本人の持つ美意識)」であるように思えたのである。
作者は、日本文化に接する時、作者自身に備わる”美”意識の限界を感じていたのだと思う。しかし、その限界が、多くの「小津作品」に遭遇したことで、(その限界を破る)ひとつの突破口となったのかもしれない。
ただ、探究心旺盛だけれども、俄然、憧憬の方が強いままであり、結果、その憧憬を「優雅なハリネズミ」という本を書くことで、突破口としたかったのではないのだろうか?そのように感じてしまう。
だからこそ、「優雅なハリネズミ」は面白い。
この小説を書くことで、彼女は、フランス的(ニ項対立的)な思考からの脱却はできたかもしれない。が、しかし、美意識に関しては、小津作品から「日本的な美意識」を受信はできても、依然として、体得できていない、、、そのような感じに思える。だって、作者が日本人でないから、しょうがない。そこが微妙に面白い。
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