ありふれた生活、いくつもの週末、日日是好日

ごくありふれた、何気無く過ぎていく日々にある、いつもの出来事の備忘録

傍観者

2006年01月18日 | 【 足 探 り 】
ブログで、「この話題を取り上げたい」と思うものに限って、
表に出さずに、「棚上げ」となってしまうものが非常に多くあります。
それは、ブログとは思えないほど長くなってしまう傾向にあるからですが…

今回、正月のテレビ番組から最近知り合いが始めた活動を思い出し、
過去試験問題にあった社会心理学の事例と照らし合わせながら、
だらだらと数日に渡って下書きを綴っておりましたが…

だいぶ長くなりすぎたので、止めてしまおうかと思っていました。

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正月のテレビがつまらないと思いつつ、とある番組を観ていた。

「全国47都道府県超ランキングバトル」という番組だが、
アンケートを基に、いろいろな県民性に順位を付けると言うもの。

その中で「日本一おひとよしな県」が、1位「岩手県」。
最下位の47位は「東京都」だ。

岩手と東京でどれだけ違うか、盛岡と原宿で実験を行っていた。
おばあさん(仕掛け人)が困って道を尋ねるという設定で、
道行く人に声を掛けて、何人が立ち止まるかを検証する。

原宿は、ほとんど誰も立ち止まる気配が無く、
立ち止まった人は、ごく僅か。ほとんどの人が関心なく通り過ぎる。
立ち止まったのは20%ぐらいだっただろうか。

それに対して盛岡は、おばあちゃんが声を掛けずとも向こうから声を掛けてくる。
茶髪のちょっと悪そうな若者でさえ声を掛けてきて途中まで案内をし、
「寒いから気をつけてね」と優しい言葉を掛けていた。
確か85%ぐらいの人が立ち止まってくれた。

(ヤラセは無いと思いますが…)

これを観ていて、関連するいくつかの話を思い出していました。
(昔のカテゴリでいうと「知覚」です)

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最近、多くのテレビ局で特集をやっている災害対策関連の番組。
もう半年以上前にやっていたものだと思いますが、ある実験を行っていました。

ビルの会議室に見知らぬ若者同士を集め、非常ベルを鳴らし、煙を発生させると、
人はどのくらいで危険を察知し避難しようとするかというもの。

1人ないしは2人の場合は、非常ベルが鳴って、
その後の薄っすら煙が部屋に入ってくる事にすぐに気付き、
部屋をすぐに出るという行動を起こします。

しかし、5人くらいの人数を集めた場合、
非常ベルを鳴らし、煙を部屋に充満をさせ、
視界がかなりまっ白になるくらいに煙が部屋に充満しているにもかかわらず、
その状態で誰も何も行動も起こさず、そのまま5分以上にも渡って、
何事もないかのように、まったく動かないという結果が出ていました。

その場景は俄かに信じがたいもので、「まさかねぇ」と疑ってしまうほど。
あれだけ煙が充満しているのに…

しかし、これは非常ベルや煙に気付かないという訳ではなく、
集団でいることによって個人が正しい判断ができなくなるという典型的な実例でした。


人通りの多い東京の街でおこなった実験。
集団時の危機判断力の実験。

それぞれ似たような、いわゆる集団心理・群集心理の話なのですが、

社会心理学でいう「傍観者効果」と
「正常性バイアス・多数派バイアス」と呼ばれるものです。


(試験勉強中のため、こういうネタが多いです。すんません…)


この「傍観者効果」や「正常性バイアス・多数派バイアス」にも、
関連する様々な事件・事故の事例があります。

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◆傍観者効果 【bystander effect】(資料から)

この「傍観者効果」が研究されることになる発端となった事件がありました。
それは1964年に起きた「キティ・ジェノベーゼ事件」です

▽1964年3月14日、
ニューヨークマンハッタンの東、ベッドタウンとして栄えるクイーンズ地区で、
キティ・ジェノベーゼ(20歳)が自宅アパートの駐車場で殺害された。
彼女はバーで働くイタリア系の明るい女性でした。

最初はニューヨークタイムス紙の中記事に、ごく小さく扱われるような、
ニューヨークでは珍しくない殺人事件。

しかし、事件は捜査が行われると意外な闇を見せた。

1964年3月14日午前4時5分。
捜査の帰りだったニューヨーク市警のアルバート・シードマン警部と
ミッチ・サング警部は、住民の通報を受けて2分で現場に到着した。

通報から間もなく現場に到着したのに、既に野次馬が多くいたことが不思議だったと、
シードマン警部は思い出す。

めった刺しで大量の血を流していたキティは、その時まだ息があり、
すぐに病院に運ばれた。

シードマン警部は、人だかりの中から通報者のハロルドを探し出して話を聞いた。
ハロルドは、キティと同じアパートに住んでいるので顔見知りだが
挨拶をする程度だという。
犯人の姿は見ていないが、彼女の叫び声を聞いたので通報したのだ。

キティは手当の甲斐無く病院で息を引き取った。

医師は、なぜもっと早く運ばなかったのか、
「あと10分早く運ばれたら命は助かったのに」とシードマン警部に言った。
何故なら、キティは刺されてから1時間近くも経っていたからだ。

通報を受けてすぐに現場に行ったシードマン警部はその事実に驚いた。
叫び声を聞いてすぐに通報したというハロルドの証言とは矛盾が生じた。
警察はハロルドを犯人と疑い、ハロルドは無実を訴え事件を詳しく説明し始めた。

ハロルドが最初にキティの叫び声を聞いたのは、
そろそろ寝ようと思った午前3時15分頃。
窓から現場をのぞき込み、恐怖のあまりハロルドは体が凍りつき、
しばらく通報できなかったという。

ハロルドの証言を覆すため、警察は近所の住民に片っ端から事情聴取をした。
ハロルドの上の部屋に住むミルトンという男性は、
悲鳴を聞いただけでなく事件を目撃していた。
言い争うような声で目を覚まし、窓から「うるさいぞ、女を放せ」と
怒鳴ったというのだ。
そして彼も、時間は午前3時を回ったくらいだったと証言した。

さらにフランシスという女性は、悲鳴を聞いて窓を開けた時に犯人の男を見たという。
帽子をかぶった男に追いかけられ、女性が必死に逃げていたと話す。
時間は4時頃だったという。

ハロルドの証言には矛盾がなかった。
最初の叫び声を聞いたのが3時15分頃で、通報した時間はフランシスが目撃した時間と
一致している。
シードマン警部が釈然としなかったのは、ハロルドが通報するまでに40分も
時間があったことだ。

犯行現場の向かい側にあるアパートでも聞き込みを続けた。

すると、キティの悲鳴を聞いた住民が次々と現れた。
声を聞いたり姿を見た住民は、なんと38人にも上った。
しかし、犯人の姿をはっきりと見た者はいなかった。

警察は、街ぐるみで何かを隠しているのか、
それかキティがよほど憎まれていたのか疑問に思っていた。

そんな中、犯人が逮捕される。
ウインストン・モズリーという男が強盗の現行犯で逮捕され、
キティ殺害を自白したのだ。

午前3時10分、バーで働くキティは恋人とデートを楽しんだ後、
アパート近くでいつもの場所に車を停めて降りた。

襲う相手は誰でも良かったというモズリーは、
暴行目的で俳諧し、たまたま見かけたキティに狙いを定めた。
追いかけられたキティは必死に逃げた。
ナイフで刺された後も彼女は苦しみながら逃げようとしていた。
40分も逃げ回ったあげく、深く刺されて出血が原因で死亡したのだ。

殺人犯も逮捕され、一件落着したかに思えた事件だが、
恐るべき背景を持っていた。

それは、38人もの人が進行中の犯罪を目撃しながら、
誰も何の行動も起こさなかったことだ。
もし、あと10分早く誰かが通報していたら、彼女は助かったかもしれないのだ。

この地区では言い争いや銃声がしても、誰かが通報するだろうと
みんな思っていたようだ。

このことはニューヨークタイムス誌の一面で取り上げられ、
殺人よりも犯人が捕まったことよりも大きなニュースとなり、
マスコミは挙って都会人の冷淡さを大きく報道し、ニューヨーク市民に衝撃を与えた。


キティ・ジェノベーゼ事件は、人間のある心理が働いて起こったのではいかと、
ノースカロライナ大学の心理学教授ピップ・ラタネ博士は調査に乗り出した。

群集心理が引き起こす極めて重要な実例であり、実証するためにある実験を行った。

路上で心臓発作を起こした男性がいたとして、
目撃者が一人の場合は助けられる可能性は81%だった。

ところが目撃者が複数いる場合、声をかけてもらったり助けてもらえる可能性は
31%にまで落ちた。

群集心理がもたらす「傍観者効果」とラタネ博士は名付けた。





長すぎる…

このピップ・ラタネ博士の実験は、先程の東京でおばあちゃんが道を尋ねた実験に
近い結果になっています。

このキティ・ジェノベーゼは、傍観者効果によって見殺しにされてしまったのですが、
この傍観者効果は特別な現象ではなく、日本でも同じような事件が発生しています。

▽1991年、
首都圏郊外のタクシー乗り場に並んでいると、少年たちが列を無視して割り込んできた。
その少年たちを注意した男性が、少年たちにその場で殴り殺されてしまったという事件。

周囲にはタクシーを待つ多くの人がいたが、
その多くの人が見ている中で殴り殺されるというものでした。

周囲の人の中に、止めに入ったり、警察に通報した人は誰もいなかった。
まさに傍観をしていたのです。


今そこに困っている人がいて助けなければならないのに、
そういう時に限って人は、何もできないで見ているという状況が発生してしまう。
そのような「傍観者効果」が発生する要因として、以下のことがあげられます。

【刺激過多状況】 
多くの人間が同時に存在すると、
多くの情報が錯綜して刺激が多い状況が生まれる。
人はすべての情報を処理しきれず、一部の情報のみで対応し
適切な判断ができなくなる場合がある。

【モデルとしての他者の存在】
ある他者の行動はモデルとなり、自分の行動の判断基準になる。
あいまいな状況では自己判断ができず、
近くにいる他者が事態に対して何も行動しなければ、
自分も行動しなくて良いという判断に陥りやすい。

【責任の拡散】
事態に遭遇した人数が多いほど、
その事態に関わることで発生する責任分担量は相対的に小さくなる。
責任が拡散して援助行動は起こりにくくなる。

【観客としての他者の存在】
援助行動に注目が集まり、周囲が一種の監視状態になる。
それにより勘違いや失敗などを恐れ不安になり、援助の行動が及び腰になる。

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これの他にも「トラブルに巻き込まれたくない」とか「自身の安全」などの
心理もあるんじゃないでしょうか。
「責任の拡散」の中に含まれるのでしょうね。


…ですが、傍観者効果をしのぐ群集心理があります。
それが 「正常性バイアス・多数派バイアス」という心理です。

これは先程出てきた「モデルとしての他者の存在」という心理に
非常に近い物ではないでしょうか。



◆「正常性バイアス・多数派バイアス」

▽2003年2月18日
韓国・大邱市の地下鉄構内で起こった事件。
停車中の地下鉄が放火され、駅に入ってきた反対側の列車にも延焼した。

この事件には恐ろしい群集心理が働いていた。
犠牲者は198人にも登った。

黒煙が充満し視界の悪くなる駅構内から、
いかに迅速に脱出することができたかが生死の境を分けた。

延焼した列車内の写真が残されているのだが、煙の充満する中、
人々は我慢してそこに座り続けている。


この光景には、群集心理に潜む危険性が表れています。

通常なら煙の充満する車内にいることはおかしいことなのですが、
「正常性バイアス」が働いた結果です。

正常性バイアスとは、異常な状態に遭遇した時、正常であると誤認してしまう
心理状態のこと。

さらに多数派同調バイアスという群集心理も引き起こされていたというものでした。
大勢の人がいると、人に合わせようとする心理が生まれる。
誰かが動けば動くかもしれないが、誰も動かないのなら大丈夫だろうと思ってしまうのです。



これは、先程の「集団時の危機判断力の実験」と同じです。

「そんなバカな」「オレだったら、すぐに対応出来るさ」と思っていても、
その状況にならなければ、その人の情況はどうなるかわかりません。

地下鉄火災で、「その数分の判断ミスが命取りになる」と言われても、
正直、これを知っていても判断出来るかどうか自信が持てません。

近い未来に東京に大地震が来ると言っても誰も逃げ出さないのも、
多数派同調バイアスの心理によるものだと言われます。

実際、津波による避難勧告で避難する人は非常に少なく、
津波の多い日本国内でも、平均して50%以下という結果が出ています。


電車やバスでお年寄りに席がない時、「誰かが席を譲るだろう」という傍観者効果と、
「譲るのが照れくさい」多数派同調バイアスが働いていると言います。
また、「それほどお年寄りではない」と思い込もうとする正常性バイアスも
加わっているとも言えます。

ボクの場合、席を譲るとしても、その対象の方に声を掛ける事はしません。
無言で席を立つだけです。
お礼を言われるのも照れくさいと言うのもありますし、
お礼を言わせるような状況を作っているのも好ましくありません。
恩を売るような感じに受取れるからです。

それも、多数派同調バイアスの心理が働いていると言えるのでしょう。


人間は集団で生活し、役割を分担する社会をつくることで豊かさを手に入れてきました。

同時に、群衆は他人をあてにする傍観者効果を生み、
間違いを認めない正常性バイアスと、
とりあえず周りに合わせる多数派同調バイアスが働いていることを
忘れてはいけないのでしょう。




重要なことは、この結果にも表れています。
それは、モンタナ大学の社会学者アーサー・ビーマンの研究です。

ある集団に社会的サインや複数性無知や傍観者効果について教育を行えば、
将来の行動に対して予防接種的な効果を植えるけることになる。

この研究成果からすると、あなたはすでに自分が決定的な瞬間を
逃しやすいことを知っており、
誤った解釈の犠牲に落ち込む可能性は少なくなっている。

こういう学習をした学生はそうでない学生よりも、
人を助ける確率が二倍も高かった。

教育がこれほど効果的であることがわかっているとしたら、
なぜアメリカの教育制度はそれをきちんと取り込んでいかないのか。



集団心理・群集心理を知っていることも、良いことなのかもしれません。

自身が万が一、非常事態に遭遇しても、
周囲の多くは、そのような心理である事を認識していれば、
違ったアクションを取ることが可能であるのかもしれません。


それもそうなのですが、

子供達から知らない他人は危険因子として遠ざけようとする風潮の昨今、
都会の社会は、もっと、もっと、
他人の目を気にして、他人に気遣うことをしない社会になってしまうのでしょうか。

地域社会というもっと小さい社会の重要性を見直されなければならない。
そのことは、誰もが解っていることだと思うのですが、
なかなか難しいのでしょうね。
人間関係の問題ですから。


うーん、道がそれてしまった。


この集団心理や群集心理、インターネットでも同じことが言えます。
「傍観者効果」「正常性バイアス」「多数派同調バイアス」
むしろ顕著に出やすい場所なのでしょうか。
これらを意識すると、発見することもあるかもしれません。


本当はネット社会心理や、援助行動のことを書きたかったですが、
疲れたから、もういいや。


結局、自分の勉強で覚えるのにちょうど良いから、
これを利用している感じがする…